2013-01-01から1年間の記事一覧

あるがままの過去を、ないように見せかける必要から、わたしは遙かに遠ざかつているし、ことさら体裁をとりつくろわねばならぬ根拠も、もつていない。(過去についての自註)

この文章は、具体的に考えるとひとつには戦後吉本が評論家として登場したときに「文学者の戦争責任論」を提起したわけですが、吉本は自分が戦争中に戦争を肯定する愛国青年であったことをいっさい隠し立てしなかったことを指すと思います。しかし吉本が戦争…

これは、わたしが虚偽から遠いからではなく、わたしの思想が、「自然」にちかい部分を斬りすてず歩んできたし、いまも歩んでいるからである。(過去についての自註)

わたしが若いころ吉本を読み始めて、こんな考え方にははじめて出会ったという驚きを感じたのは、知識を増やしていくということが人間にとって「自然過程」にすぎない、というところでした。自然過程という言葉は吉本がよく使う言葉ですが、ほっておいても自…

宮沢賢治には祖国がない けれど彼が日本の生んだ永遠の巨星であることは疑ふべくもありませんでした 彼の非日本的な普遍性に対して私は考へつづけました それの解決は私自身の直面してゐた種々の苦悩の解決に重要な部分を成すことは明らかでした(創造と宿命)

宮沢賢治の祖国のない非日本的な普遍性というものは、ひとつには科学者としての科学の普遍性からきているのだと思います。宮沢賢治は科学者であると同時に熱烈な日蓮宗の信者でした。宗教というものはその発生から国家以前に遡るものです。宗教というのは古…

私は彼の出処行蔵を検討してゆくうちに、そのなかに彼の行為の言動となつてゐる思想が全く日本的であるといふ事実を発見致しました 私はここでそれを例証する繁雑さをさけたいと思ひますが、その事実は実に不思儀に思はれて来ました 彼の作品の中の非日本的な豪華さや、彼の感覚や言行の汎人類的な主張と、彼の行為の背後に流れてゐる無形の日本的な思想と、それらは如何にしても調和するとは考へられませんでした(創造と宿命)

「グスコーブドリの伝記」の特徴として吉本があげているのは自然観以外にもうひとつあります。それは「超人になりたい」という宗教的な願望です。超人、あるいはにんげん以上の存在になりたいというのは、法華経でいえば菩薩になりたいということになります…

私は今日「小人」を斯う考へたのである。自分の性格、乃至は人生観といふ針の穴程のものを通して他人を見、他人を批判する、これが小人であると思ふ。小人は自分の主張以外の人を全く排さうとするのである。(随想(其の二))

この文章は前回の文章が書かれた吉本が米沢高等工業高校に進学する前の、東京府立化学工業学校に通っていた当時の「和楽路」(たぶんワラジと読むんでしょう)という文芸誌のなかの文章で、ガリ版刷りの冊子だったそうです。当時吉本は16歳くらいで、これ…

私は私と全く正反対の人生観の持主であつても、尚その人格を尊敬してゐる人がある。人は私自身が「俺は小人ではない」と自惚れても許して呉れるだらう。(随想(其の二))

こうした幼い文章のなかにも、その生涯の終わりまでを見届けた者には吉本の初期とその後の人生を貫くものがあるように読めてしまう。吉本がマルクスについて書いたように、そのアルファとオメガが円環をなすように感じられてしまうわけです。吉本が書いてい…

どんな種類の文章を書いても、自分を自分以上に表はそうとしたり、又何の意味もないことを意味ありげに書いたりさへしなければ、その人が自然に現はれるものです。(巻頭言)

この文章は吉本が米沢高等工業学校に通っていた時に友人と作った「からす」という同期回覧誌の巻頭言のようです。1943年に書かれたということなので19歳くらいだとおもいます。高等工業学校というのは今でいう工業大学なんだとおもいます。米沢高等工…

僕達はその自分を自然に表はすやうな文章を書くと共に、その表はされた文章を正しく読み取り得る様に努力しやうではありませんか。他人の文章を理解し得ると言ふことは、他人を理解し、正しく洞察し得ると言ふことです。(巻頭言)

他人の文章を理解するということが他人を理解し洞察することだという素朴な文章観もまた吉本の戒律であり思想であるものです。ほかの人間を深く理解しようとして幾多の作品の批評を行ってきたのが吉本の人生だといってもいいと思います。吉本の社会思想や歴…

青年期にはいりかけた傲倨(ごうきょ)は、すでにじぶん自身がこの教師を必要としないまでに成長したと錯覚させたのだが、後年、気付いたところでは、そうでなかつたのである。その時期からこそ、はじめてこの教師を全て理解する契機をえたことを意味する。(過去についての自註)

この「教師」という人は今氏乙冶といって東京の深川で私塾を開いていたそうです。吉本は小学校の4年生から7年間という思春期と青春期をこの私塾に通ってすごし、大きな影響をこの私塾の雰囲気と今氏さんからうけたと述べています。今氏さんはその後東京大…

それが人間に判るのは、青年期を過ぎ去ろうとするときである。わたしは、もはや書物以外に教師を必要としないとおもいはじめたのだが、そのとき、この優れた教師は、もはや、この傲倨(ごうきょ)な少年には何を言つても通じないと諦めはじめたにちがいなかつた。(過去についての自註)

この優れた教師というのは今氏乙冶さんですが、今氏塾では生徒の月謝に金額が決められていなかったそうです。塾の棚のうえに箱があり、そこにそれぞれの生徒が親から預かった謝礼を入れるけれど、その額は貧しい家庭は安く豊かな家庭は高めに入れる感じで、…

かくして、かれらは、自らの力では、永久に現実を変ええないで、他力だけを頼みにする論理を、勢いにつれて行使し、勢いの衰弱とともに失うという循環をくりかえすにすぎない。(過去についての自註)

これは自らのちからで現実自体から論理を築くことができないというアジア的な特質を突いたことばですし、だから私じしんにも突き刺さってくることばですね。もちろんあなた自身にもね。勉強するのは結構だけど、勉強なるものの結果が偉大な知的な人物の思想…

誤謬は再生産され、歴史的にうけつがれ、またおなじ行路をゆき、青年はやがて老いる。しかし、思想の生命は、このような循環のなかには存在しない、戦争体験の思想的展開は、わたしども、二三のものによつて生命を保たれて現在にいたつている。(過去についての自註)

戦争体験の思想的展開はわたしども二三のものによって生命を保たれて現在にいたっている。この自負の凄さと、たった二三のものしかいないのかという厳しさを昔読んだ時に感じました。でも実際そんな感じだとその後数十年がたった私はおもっています。その時…

私は又、「頭髪を無雑作に苅つた壮年の男が、両手をポケットに突込んだまま、都会の街路樹の下をうつむいてゆく、もしなれたらそういふものになりたい」といふことを、一生の念願とするより外に能のない、下らぬ人間である。(哀しき人々)

これは初期ノートのなかで心に残る箇所でした。これは喩なんですね。このイメージのなかに当時の吉本の心情や倫理や時代や宿命の感覚が凝縮されています。拾い上げてみると、まず「考えること」をしている、というイメージですね。「うつむいていく」という…

私は哀しき人々と題したが、何も私達三人が哀しき人々であると思つたのではない。人は誰でも幾許か、哀しき人々であるやうな気がしたのである。若し私の言ふことが間違つてゐると言ふのなら、その人は、君はどう言ふものになりたいかと訊ねられて何と答へるだらうか。(哀しき人々)

この哀しいという感覚は宿命にたいする感覚なんだとおもいます。自分で将来像を自由に決めているわけではない。各自の宿命というものが将来像に投影されているんだということです。おまけです 有名な小林秀雄の文章 「様々なる意匠」より 人は様々な可能性を…

もし、わたしに思想の方法があるとすれば、世のイデオローグたちが、体験的思想を捨てたり、秘匿したりすることで現実的「立場」を得たと信じているのにたいし、わたしが、それを捨てずに包括してきた、ということのなかにある。それは、必然的に世のイデオローグたちの思想的投機と、わたしの思想的寄与とを、あるばあいには無限遠点に遠ざけ、あるばあいには至近距離にちかづける。(過去についての自註)

この文章は具体的にいえば、たとえば戦争中に軍国少年として戦争を徹底的にやるべきだと信じていた過去の吉本自身というものを捨てたり隠したりしないということです。戦争に敗けて戦争中のイデオロギーは悪い軍部が国民を支配するために振り撒いたものだと…

かれらは、「立場」によつて揺れうごき、わたしは、現実によつてのみ揺れうごく。わたしが、とにかく無二の時代的な思想の根拠をじぶんのなかに感ずるとき、かれらは、死滅した「立場」の名にかわる。かれらがその「立場」を強調するとき、わたしは単独者に視える。しかし、勿論、わたしのほうが無形の組織者であり、無形の多数派であり、確乎たる「現実」そのものである。(過去についての自註)

この文章は若いころ読んだのですが、まだよく覚えています。これは吉本の社会思想の核心を余すところなく述べているとおもいます。とくに「無形の組織者であり、無形の多数派であり、確乎たる「現実」そのものである」という断言の迫力は無類の凝縮力をもっ…

体験の対自的な思想化ということは、とくに日本のばあい不可避であり、不可欠であるといえる。このような構造をあたええない、どんな普遍的な「立場」も、すくなくともわが国では、永久に不発におわるだろうと断定することができる。(過去についての自註)

この文章は吉本が自らの思想を築く実践的な支柱のようなもので、この柱の上に様々な思想的な仕事が広がっています。まず自らの体験があり、それを論理によってほじくり返す。徹底した論理性を体験に与えることによって、自らの体験を普遍化し抽象化していく…

しかし、この思想化が、一種のスコラ主義や停滞におちいつたとき、その作業といつでも訣れうるものでなければならない。思想が現実と逆立する契機は、いつも、どこにでも転つているようなものである。すなわち、わたしたちはいつも「立場」主義者とおなじ危険に、裏側から対面しているのである。(過去についての自註)

ここで「立場」主義者と呼んでいるのは、いわば教条主義のことで具体的には左翼政党(共産党とか社会党)を指しているのだと思います。マルクスやレーニンの言説を教典として信仰に近い無批判な忠誠を示すならそれは教条主義です。それに対して自らの体験を…

わたしたちの思想は、坐して大勢力の出現を夢みることはできないし、救世主をどこかに求めることはできない。不滅の思想的な根拠から、どのような勢力の消長にもくじけない思想としての拠点を構成する宿命を担つている。わたしたちは、何ものをも、勢力としては頼まないのであり、これを了解するものを受入れるが、これを拒絶するものを立去るにまかせ、それを追おうとも引きとめようともしないだけである。(過去についての自註)

こうした文章や、もう一つの「ゼミ・イメージ切り替え法」のほうの文章は学生の頃初めて吉本の本に出会った私に世界というものの考え方の基本を教えてくれたものです。とてもよく考え抜かれた世界についての考え方の基本。それは他の誰からも教えてもらえな…

ある現実的な体験は、体験として固執するかぎり、どのような普遍性をももたないし、どのような歴史的教訓をも含まない。ただ、かれの「個」にとつて必然的な意味をもつだけである。この体験の即自性を、ひとつの対自性に転化できない思想は、ただ、おれは「戦争が嫌いだ」とか、「平和が好きだ」という情念を語つているだけで、どんな力をももちえないものである。(過去についての自註)

体験から思想は生まれる。しかし体験を思想として練り上げることをしないから、ただ体験につきまとう情念をもちうるだけだ。そして情念は年月のなかで風化してしまう。逆にいえば、どんなに卑小な閉ざされたアンタが思っているように取るに足らないような経…

わたしは、どのような小さな闘争であれ、また、大きな闘争であれ、発端の盛り上りから、敗北後の孤立裏における後処理(現在では闘争は徹底的にやれば敗北にきまつている)にいたる全過程を、体験したものと信じている。どんな小さな大衆闘争の指導をも、やらしてみればできない口先の政治運動家などを全く信じていない。とくに、敗北の過程の体験こそ重要である。そこには、闘争とは何であるか、労働者の「実存」が何であるのか、知的労働者とは何であるのか、権力に敗北するということは何であるのか、を語るすべての問題が秘されている。(過去に

吉本は30歳くらいの頃に、東洋インキという会社の青戸工場で労働組合運動を行い組合長になってリーダーとして会社と戦っていました。この文章はそういう体験をもとに書かれていると思います。私には組合運動の体験がないので、わかったようなことは言えま…

また、現在の情況の下では、徹底的に闘わずしては、敗北することすら、誰にも許されていない。かれは、おおくの進歩派がやつているように、闘わずして、つねに勝利するだろう、架空の勝利を。しかし、重要なことは、積み重ねによつて着々と処理したふりをすることではなく、敗北につぐ敗北を底までおし押して、そこから何ものかを体得することである。わたしたちの時代は、まだまだどのような意味でも、勝利について語る時代に這入つていない。それについて語つているものは、架空の存在か、よほどの馬鹿である。(過去についての自註)

こういう言葉は胸の底に届き、社会に対する目を開いてくれたものです。そして徹底的に闘って必ず敗れていく人物や集団を見抜く目を育ててくれたと思います。そして自分自身も敗れっぱなしではありますが、それが「敗北」という必然に値するものでありたいと…

私は何とも言はれない悲しみを感じながらこの筆を断たねばならない 「偉大な思想ほど亡び易い」と言つた「ドストエフスキーの生活」の筆者の言葉は実感である 種山ヶ原の 雲の中で刈った草は どこさが置いだが 忘れだ 雨あふる 種山ヶ原の 長嶺さ置いだ草は 雲に持つてがれで 無ぐなる 無ぐなる 種山ヶ原の 長嶺の上の雲を ぼつかげで見れば 無ぐなる 無ぐなる(地人時代後期)

これは初期ノートのなかの「宮沢賢治童話論」の最後の文章で、宮沢賢治が亡くなった時までを辿った後の感想として述べられています。引用されている宮沢賢治の詩は「種山ヶ原の夜」という劇の劇中歌からの抜粋で宮沢賢治が作詞作曲した楽曲でもあります。宮…

偶々その夜近隣の農民が夜おそく肥料の相談を受けに訪れた 家人の躊躇を他処に彼は病床から起き上ると端坐して農民と相対した 彼の最後の力であつた その農夫は二時間位も悠長に語つて戻つて行つた 蔭でこれを聴いてゐた家人は、はらはらしながら 憤激の情をおさへてゐた 彼はそのため疲労の極に達した 明くる二十一日午前十一時半頃容態は急変した(地人時代後期)

こうして宮沢賢治は死んでいった。宮沢賢治は若くして 死んでいった妹以外には対幻想としての女性というものを、つまり恋人や妻というものがいなかった人だと思います。では自分自身の内面に籠った生き方をしたかというとそうではない。宮沢賢治は生涯自分の…

宮沢賢治の作品には絶えずこの悲しみが付きまとつてゐますが果してこれはどんな所から生れて来た要素なのでせうか 私は思ふに二つの主たる理由があると考へます その第一は彼の生れ持つた性格なのです 彼には一面には脆くくづれてしまふ様な処があり、醜いもの悪意あるもの、その様なものをさけるやうな消極的な処がありました そして清純なるもの善意なるものを探究してその醜さ悪意のわりなさを、一歩高い所に立つて眺めやうとしたのです(宮沢賢治童話論)

宮沢賢治は生涯経済的にちゃんと自立できなかった人で、親の仕送りに頼って暮らすことから抜けられなかった人らしいです。だからそういう面から見ればダメな人だともいえます。一人前の社会人になりきれなかった弱さをもった人といえるでしょう。宮沢賢治に…

この性格は或る程度まで、彼の一生を通じて絶えなかつたものの一つでした けれど後になつては、この消極性の中に、何とも言はれぬ積極性が現はれる様になりました このやうな表現は相矛盾するやうに考へられますが決してそうではありません そして幾度か作品の中の人物の性格となつては現はれてゐます うちにはぷすぷすと燃えたぎつてゐる激しさが静かな色に覆はれてゐるのです それは容易に爆発するものではないでせうけれど容易に朽ち果てるものではないのです(宮沢賢治童話論)

吉本は自分の性格をなにかのアンケートに答えて「受動的戦闘性」と書いていました。これはこの文章の「この消極性の中に、何とも言われぬ積極性が現れる」ということと共通しているように私は思います。受動性というのは受け身ということで、受け身であると…

彼(宮沢賢治)が童話と言ふものに生命を打ち込んだ理由は実に明らかであると思ひます 斯様にして創られた彼の作品に於て私達が忘れてはならない事がたつた一つあります それは彼の作品には「生命の悲しみ」とも言ふべき一つの悲哀を帯びた調子が一貫して流れてゐる事なのです (宮沢賢治童話論)

吉本にとって宮沢賢治は大きな存在で、正面からぶつかった宮沢賢治論は膨大なテーマを追求しています。その全体はとてもここで書ききれないわけですが、このノートの部分に触れるようなところを少し解説してみます。「悲劇の解読」(1979筑摩書房)のな…

それは実に大きな悲しみであり、私達の魂を奥底からゆさぶつてさらひ去つて行くやうなものなのです 何か自然の悲しみと言ひませうか、山川草木の悲しみと言ひませうか、その様な確かに宇宙の創造的な意志に付きまとふやうな本質的なものなのです (宮沢賢治童話論)

その悲しみはひとつには魂の奥底からゆさぶるようなものだということであり、もうひとつはそれが「わけがわからないところにわけのわからいことろ自体としてある」ということなんだと思います。つまり二重になった悲しみです。そこで吉本は少なくともわけが…

さて私はその童話の本質を今「夢」であると考へやうと思います そしてその考へを押拡げて見やうと試みます 夢と言ふものが子供の生活でどんなに大きな部分であるかは申すまでもありません 一つの遊戯や考へはみんなその夢を現はさうとしてゐる努力であります 子供達は或一つの夢を作り出した瞬間からもうその夢にのつて、それからその次の夢にまで駆けて行くのです(宮沢賢治童話論 一、序論)

吉本は宮沢賢治が大好きなんだと思います。吉本が傾倒した同時代の文学者というと高村光太郎や太宰治や横光利一などがいるわけですが、その中でも宮沢賢治への傾倒の仕方は格別だという感じがします。それはたぶん資質というところで最も似ているというか、…

又子供達の夢が実際にその手でもつて行はれた場合を考えて見ます 残念なことには子供達には経験とか知識とか言ふものがどうしても不足なのです そして子供達はその夢を空しく放棄してしまふより他に仕方がないのです これで子供達の夢の限界が或る一定のところより以上に発達し得ないことは明らかであらうと思ひます 今私は童話と言ふものがこの子供達の夢を充分に拡げるに役立つものであると思ふのです(宮沢賢治童話論 一、序論)

現在の社会で倫理として通用しているヒューマニズムのような倫理の形がどうしても白々しく感じられるという段階が到来していると感じられます。しかしそれに代わる新しい倫理というものが視えてこない。その新しい倫理のあり方というのは、吉本がずっと考え…