2008-03-01から1ヶ月間の記事一覧
日本の敗戦は吉本に深刻なショックを与えています。敗戦後の自分を「恥ずかしくてしょうがなかった」と吉本は書いています。私はこの「恥ずかしい」という敗戦時の感想を他の人の体験記から読んだ記憶があまりありません。もちろんそういう思いを抱いた人は…
この文体には、ナルシズムもあり自己劇化したい(自分を主人公にしたい)ところからくる誇張も感じられます。平たく言えば少しカッコつけているところがあります。それでも、こうした言葉の背後には本当の怒りと自己嫌悪が感じられ、読むに耐えさせます。 そ…
これはこれだけを読めば、当たり前のことを言っているだけのように思えます。何に対して希望とか絶望とか言っているか分からないから、形式的に読んでしまうからでしょう。しかし、初期ノートのこの文の前後を読むと、だいたいどういうことが言いたいかが分…
これもこれだけ読めば、当たり前のことを言っていると思えるだけでしょう。小説家が小説を書くのをやめても、彼は思考をやめることはないわけですから。しかしこれも初期ノートの前後を読めば言いたいことはだいたい分かります。 ここで吉本がこだわっている…
ここで「遠ざかっていった愛している者」がどういう人を指しているか、よく分かりません。恋人を指しているのか、友人・知人を指しているのか。両方なのか分からない。おそらく恋人を指しているのではなかろうと思います。恋人が去るときには、たぶん吉本は…
エリアンというのは若い頃の吉本の詩の中で、吉本自身を託した主人公の呼び名です。孤立した少数者を信じるというのは普遍的に正しいわけではありません。孤立した少数者が間違っていることもあれば、多くの人の選択が正しいこともありえます。しかしここで…
以前にも書きましたが、吉本は工科の大学を卒業した化学者です。自然科学の考え方が身についているのが吉本の特徴です。科学は自然の中から法則を発見しますが、自然を把握し尽くすことはできません。しかし把握しつくそうという欲望がなぜか人間の中にある…
信じるというのは何かの絶対性を疑わないということです。一方、考えるというのは疑うということに等しい。そして考えるということは常に未知に向かうということです。例えば政治について考えるのは、政治を疑うからです。そして新聞やテレビで流通する通念…
日暮里駅のそばの夕焼けだんだん(だんだんは階段)と呼ばれる高台から谷中千駄木あたりの下町を眺めると低い家並みが広がっていくのが見渡せます。これを見て若い吉本は住まいをここいらにしようと決めたそうです。この文章はそうした光景をイメージして書…
これはゼミの前半で取上げた文章の続きの部分です。知識人、芸術家、権威者とは政治家とかいわゆるオピニオンリーダーと言われるような人たちのことを指しているのだと思います。吉本の若い頃に現存していたそうした人々への怒りがこもっている文章です。そ…
なまの現実に対して、現実に対する認識はつねに不十分で、追求を続ける途上のものとしてしか存在できません。認識を正しく扱うには、その認識が成立する範囲というものを知っていなければなりません。その範囲を逸脱すると、どんなすぐれた認識も思想も迷妄…
この文章は表現が不十分なため分かりにくいと思います。それは表現した吉本の責任です。不十分な表現は無理に分かろうとする必要はなく、分かるところだけを感じ取って離れればよいのです。またこうした他人の文章に対する態度も吉本から教わったものです。 …
これは頑張ろうということを言っているわけです。 あえて解説を加えるならば、いったい何からそんなにすべてを賭けて脱出したいのか?ということになります。 吉本は詩人として「エリアンの手記」というリルケ風の詩から出発しました。しかしこの詩の世界の…
一般的には二十歳前後で学校生活を終えて仕事を始めるわけですから、半生を費やしてから仕事を始めるのはのんびりしすぎということになりましょう。 従ってここで言われている仕事とは、吉本隆明の独自の意味が込められていると考えるしかありません。吉本が…