2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

あゝ貧しい人達! 君達は長い間、すべての美や真実や正義やを、神へ、それから権威へ、それから卑しい帝王へ、あづけてきた。空しくそれを習慣のやうに行つてきた。今こそそれを君たちの間に取かへすのだ。破れ切つた軒端や赤茶けた畳の上に。それから諍ひの好きだつた君達の同胞達のうへに。僕は血の通つた人達だけを好きなのだ。(エリアンの感想の断片)

これはへたな解説は不要なので、このまま読んで伝わってくるもので十分だと思います。これが吉本の終生変わらなかった思想的肉体というべきもので、吉本の思想をおおかたの政治的人間や知的人間の思想と別のものにさせているところだと私は思います。意味だ…

悲しみはこれを精神と肉体とにわけることは出来ない。それは僕らが自覚と呼ぶもののなかに普遍するあのやりきれない地獄なのです。だから悲しみは理由のなかに求めることは出来ません。むしろ存在とともにあるべきものと言ふべきです。僕は数々の死や訣れや、不遇やに出会つたりしましたが、いつも悲しくはありませんでした。強ひて言へば悲しみよりももつと歪んだ嫌悪に似たものでした。(〈少年と少女へのノート〉)

これも微妙なことがらを述べていて、はらわたで聴くしかないものです。現在に関わることが、いつも根源的なことに同時にかかわることだという吉本の資質というか過敏さのようなものがここにあると思います。それが現実に膜をかけているといえばいえるし、現…

原則として語られる限り、言葉は人間の自由にはならない。人間が言葉の自由になるより外に表現は成立しない。この場合人間の思考もまた言葉の自由になるより外ない。(断想Ⅶ)

「言葉の自由になる という言い方はあまりこなれていない言い方だと思います。人間が幼児期に言葉を獲得するときに、すでに言葉は外部に存在します。幼児はそれを習得していきます。しかし同時に言葉は人間が人類史として、どこかで自ら生み出したものです。…

仮りに僕が何者であらうとも、僕の為すべきことは変らない。(断想Ⅶ)

僕が何者であろうとも、というのは様々な解釈ができますが、僕が為した結果がどのようであろうともということではないかと思います。僕が才能のない者であろうとも、僕が貧しさに拘束された者であろうとも、僕が孤立を余儀なくされる者であろうとも、僕の為…