2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

批評における判断力の表象は言ふまでもなく批評家の宿命である。この言ひかたが唐突に感じられない者にとつては、主観的客観的といふ分類は意味をなさない。批評家は常に主体的であるのみである。(〈批評の原則についての註〉)

言葉使いが難しいですが、批評家が批評をするときにその判断力は批評家自身の宿命によて行使されると言っていると思います。また批評家は批評をするときに、対象である作家の宿命を作品のなかから取り出す。それが批評だということになります。これは小林秀…

批評における判断力はまた、肯定または否定としてあらはれるとは限らない。現実の構造がそうであるように、感性の構造は元来倫理的なものではない。(〈批評の原則についての註〉)

倫理、つまり何が正しくて何が正しくないとか、これは善でこれは悪とか、そういう区分は文学という立場のなかでは、そして文学である批評のなかで溶けていくというか不分明になっていく。それはなぜか。それはたぶん倫理というものが宿命という概念を超える…

思想は経験に勝つことはない。経験しただけが思想になるのだから。思想が経験に勝つやうに見えることはある。それは見えるだけだ。これは空想と呼ぶべきだ。(〈少年と少女へのノート〉)

「経験しただけが思想になる というのは吉本の深部での確信だったと思います。この思想というのは個人が抱くその人の糧であり井戸であり牢獄であるようなその人固有のものを指しています。たとえば芥川龍之介のような文学者に対しては、芥川の下町のガキとし…

ときどきこの世で住むのはいやだと痛切に泣きさけぶことがある。(断想Ⅶ)

こころのなかでこの世に住むのはいやだ、死んでしまいたいと痛切になきさけぶというのが本当なら、エロスとしてにんげんをみればエロスの発現が過酷に弾圧されているからだとみなせるように思います。この弾圧は多層にわたっていて、単に社会的な弾圧に還元…