2016-12-01から1ヶ月間の記事一覧

一行の詩もかけない時期に、雑多な書物を読んでは、独語をノートにかきつけた。それは、わたしの『初期ノート』の主要部を形作つている。もし、わたし以外の人物が、このノートを精読されるならば、現在のわたしの思想的原型は、すべて凝縮された形でこの中に籠められていることを知るはずである。緊張度は可成り高く、ノートのこの部分を公刊することについては、わたしは、水準についてすこしもひけ目やためらいを感じていない。(過去についての自註)

吉本が当時の詩の書き方を説明していました。まず白い紙に細い罫線を手書きで引きます。そして毎日毎日2時間ほどの時間、その紙の前に座っているわけです。それが吉本の詩の書き方です。言葉は出てくることもあるし、出てこないこともあります。一行の言葉…

ただ、おまえの愛惜する著作をあげろといわれれば、ためらいなくここに収録されたものを最上のものの一つとして自薦するだろう。すくなくとも、わたしの「書く」ものに関心をいだいている少数のひとびとは、ここに収録された断簡のもつ意味を愛惜することができるはずである。なぜならば、わたし自身がかけ値なしにそれを愛惜しているからである。(過去についての自註)

ここまできっぱりと自分の初期のノートの文章についていえるということは大したもんだと思います。とても自分にはいえないなと思います。どうですかあなたは。ではよいお年を。 おまけ「だが動くものとしての現実はあくまでも詩的なものだ。また逆に詩的なも…

○科学は力である。それは大自然を抽出して来て人間のいとなむ社会生活に適合調和せしめやうとする力である 真実を行く知性も、透明な理性も、妙味のある悟性も、それとは相背馳せざるを得ない力である 宗教が人間性を挙げて大自然のふところに還らうとする点に於て、それは全く反対の方向に動いて行く力である (〔科学者への道〕)

この科学と宗教ともうひとつあげれば文学とが、吉本の深く探求したもので、そして探求すればするほど別々の方向に自分を連れていくことを感じるのでしょう。そしてそれらを統合する方法を構想していくようになります。シモーヌ・ヴェイユについての吉本の考…

○アインスタインの相対性原理はアインスタインの人間性をはなれて存在し得るのである 彼がユダヤ主義的な自由主義を抱いてゐても、アメリカ政府の先棒をかついで対日経済絶交を叫んでも、相対性原理は存在するのである 即ち相対性原理はアインスタイン以外の人によつて同様に称へられてもよい性質のものである 科学はかかるものである (〔科学者への道〕)

昔はアインスタインと言ったんですね。アインシュタインを例に、科学の発見者を越えた普遍性のことを言っています。吉本が自分の思想の先に見ていたものも、こうした普遍性だと思います。吉本という探求者、発見者は万人の思想の方法のなかに普遍性として沁…