2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

若し僕たちが幼い時のままの感受性に加へるに論理的な綜合力と分析力とを保続しようとするならば、日課として幾つかの思考の体操の基本型をくりかへせばよいことになる。人間はしばしば自らの理解力や知力が齢とともに増進すると信じてゐるようだが、それは明らかに錯覚であると考へられる。(〈思考の体操の基本的な型について〉)

ここで吉本が思考の体操としているものは3つあって、①思考の浸透と拡散を同時に行使する演習②抽象されたものを更に抽象化する演習③感情を論理化する演習 論理を感情に再現する演習、です。このなかで思考の浸透と拡散というのがわかりにくいと思いますが、…

精神のすべての操作はそれが保存せられるために、演習せられねばならないのであって、演習せられなければ減退するのである。(〈思考の体操の基本的な型について〉)

アタマは使わなければ衰える。使っているアタマだって年とともに衰えるけれど、なんとか寿命まではもたせたい。だいたい今のような老人の認知症が問題になってきたのは、寿命が急激に延びたからだとおもいます。戦後すぐには50歳台でしかなかった平均寿命が7…

歴史は人間が持つてゐると同じ数の欲望と動機を持つものだ。(秩序の構造)

吉本はいろいろなところで何回も言っているんですが、つまりそれは吉本自身がなんどもそこから考えを組み立ててきたということでしょうが、歴史というのは仮に世界に100万人の人間がいたとすると、100万通りの生きてきたあり方がある、その総和が歴史だとい…

歴史はしばしば上部構造の歴史として描かれてきた。法制史は多くの部分を歴史の分野で占めてゐるが、それは原因の分野を占めるものではなく、結果の分野を占めるものだ。(秩序の構造)

ここではヘーゲルよりマルクスの歴史観が土台になっているわけでしょう。歴史は世界のすべての人々の行動の総和だ、という土台ではあるが土台すぎてどうにもならないところから出発して、マルクスは観念の歴史としての上部構造と、経済の歴史としての下部構…