この性格は或る程度まで、彼の一生を通じて絶えなかつたものの一つでした けれど後になつては、この消極性の中に、何とも言はれぬ積極性が現はれる様になりました このやうな表現は相矛盾するやうに考へられますが決してそうではありません そして幾度か作品の中の人物の性格となつては現はれてゐます うちにはぷすぷすと燃えたぎつてゐる激しさが静かな色に覆はれてゐるのです それは容易に爆発するものではないでせうけれど容易に朽ち果てるものではないのです(宮沢賢治童話論)

吉本は自分の性格をなにかのアンケートに答えて「受動的戦闘性」と書いていました。これはこの文章の「この消極性の中に、何とも言われぬ積極性が現れる」ということと共通しているように私は思います。受動性というのは受け身ということで、受け身であるというのは大洋期の特色です。つまり母親に対して受け身でしかありえなかった時期の特色であるわけです。受動的な性格であるというのは、いずれにせよこの大洋期の状態がなんらかの理由で解消されず残存しているということだと思います。ひきこもるとか仕事をリタイヤするとか、あるいは自殺を図って死んじゃえばそれまでだけどなんとか生き残ってしまったとか、そういうことのなかにもきっとこの受動性の問題があるのではないかと私は思います。では戦闘性は、あるいはこの文章でいえば「ぶすぶすと燃えたぎっている激しさ」はどこから湧いてくるのでしょうか。それが体験されるときに、きっと現在の倫理や価値観の桎梏が剥がれ落ちてんだと思います。

おまけです。
最近はまったマンガ「俺はまだ本気出してないだけ」の第一巻の「オマケポエム」です。
「俺はまだ本気出してないだけ 1 」(2007小学館) 青野春秋

「俺、元気です。」

もう転びすぎてヒザがボロボロです。
でも転びかたは悪くないと思います

変わったあだなで呼ばれてます
人気があるんだと思います

まったく友達が出来ません
みんなえんりょしてるんだと思います

ふるえるくらい怒られます
みこみがあるんだと思います

カガミに知らない人が映ってます
たぶんいいヤツなんだと思います

首から左腕にしびれを感じます
いちじ的なものだと思います
 

俺は大丈夫です


家賃はきちんと納めています

野菜もちゃんと食べてます

なるたけ笑ってやってます

こんなに大きくなりました


お母さん産んでくれてありがとう