2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧

思考の抽象作用――その苦痛……。斯くて建築群の間には、具象的実在である街路樹が植えられる。これは明らかに和らぎの作用であらう。(〈建築についてのノート〉)

建築というものは抽象的なものだということでしょうね。人類の最初の頃は、自然のなかで寝起きしていたんだと思います。穴倉とか樹の上とか。それがしだいに自然を加工した板とか柱とかで家を作ることになるんでしょう。もうそこには自然そのものから切り離…

常緑樹は建築群の底ではふさはしくない。何故なら其処で季節を感ずるのは、唯風と空の気配と街路樹とからだけであるから。(〈建築についてのノート〉)

常緑樹というのはいつもはっぱをつけている樹でしょうね。それでは季節を感じにくいから、冬には枯れて、春には芽をだすような樹がふさわしいと、なかなか細かいことを言っています。たぶんこのころ思考の抽象作用のなかに埋没していた吉本にとって、自然と…

僕はすでに詩において学ぶべき先達を必要としなくなつた。僕は充分ひとりで歩ける程成長した。あとは絶対と僕との対決がいつもあるだけだ。(断想Ⅵ)

これはずいぶん思いあがったことを言っちゃったなという感じですね。しかしこういうことを書く理由はわかる気がします。吉本に限りませんが、詩を書こうという人は最初は模倣から始めるんですね。熱心は人はそれこそ自分の尊敬する先達である詩人の詩を書き…

寂寥(せきりょう)は欠如感覚ではない。寂寥は過剰感覚である。(〈寂寥についての註〉)

寂寥といわずに「孤独感」といえば、孤独感は社会に対する強い批判意識からやってくるといえます。批判意識の薄いやつは社会のなかを泳ぐことができます。やあやあ、どうもどうもといいながら。しかし批判意識があればつきあう相手を選ぶし、めんどくさい、…