2013-07-13から1日間の記事一覧

私は何とも言はれない悲しみを感じながらこの筆を断たねばならない 「偉大な思想ほど亡び易い」と言つた「ドストエフスキーの生活」の筆者の言葉は実感である 種山ヶ原の 雲の中で刈った草は どこさが置いだが 忘れだ 雨あふる 種山ヶ原の 長嶺さ置いだ草は 雲に持つてがれで 無ぐなる 無ぐなる 種山ヶ原の 長嶺の上の雲を ぼつかげで見れば 無ぐなる 無ぐなる(地人時代後期)

これは初期ノートのなかの「宮沢賢治童話論」の最後の文章で、宮沢賢治が亡くなった時までを辿った後の感想として述べられています。引用されている宮沢賢治の詩は「種山ヶ原の夜」という劇の劇中歌からの抜粋で宮沢賢治が作詞作曲した楽曲でもあります。宮…

偶々その夜近隣の農民が夜おそく肥料の相談を受けに訪れた 家人の躊躇を他処に彼は病床から起き上ると端坐して農民と相対した 彼の最後の力であつた その農夫は二時間位も悠長に語つて戻つて行つた 蔭でこれを聴いてゐた家人は、はらはらしながら 憤激の情をおさへてゐた 彼はそのため疲労の極に達した 明くる二十一日午前十一時半頃容態は急変した(地人時代後期)

こうして宮沢賢治は死んでいった。宮沢賢治は若くして 死んでいった妹以外には対幻想としての女性というものを、つまり恋人や妻というものがいなかった人だと思います。では自分自身の内面に籠った生き方をしたかというとそうではない。宮沢賢治は生涯自分の…