私は何とも言はれない悲しみを感じながらこの筆を断たねばならない 「偉大な思想ほど亡び易い」と言つた「ドストエフスキーの生活」の筆者の言葉は実感である 種山ヶ原の 雲の中で刈った草は どこさが置いだが 忘れだ 雨あふる 種山ヶ原の 長嶺さ置いだ草は 雲に持つてがれで 無ぐなる 無ぐなる 種山ヶ原の 長嶺の上の雲を ぼつかげで見れば 無ぐなる 無ぐなる(地人時代後期)

これは初期ノートのなかの「宮沢賢治童話論」の最後の文章で、宮沢賢治が亡くなった時までを辿った後の感想として述べられています。引用されている宮沢賢治の詩は「種山ヶ原の夜」という劇の劇中歌からの抜粋で宮沢賢治が作詞作曲した楽曲でもあります。宮沢賢治という偉大な思想が亡びることの比喩として吉本が選んだんだと思います。「ぼつかげで見れば」というのはよくわかりませんが、私はたぶん岩手の方言で「追いかけて見れば」という意味なんじゃないかと思います。刈った草の置き場所が忘れられ、草は雲に持っていかれて無くなり、雲も無くなっていく。人間の生きた痕跡が自然のなかに溶けて消えていく。宮沢賢治の生きた偉大な思想のその真価というものも同じように自然のなかに消えていくし、偉大な思想であるほどそうなりやすいと吉本は感じていたのだと思います。
この種山ヶ原の詩でも感じられますが、宮沢賢治の詩は自然を描いたものがたいへん多いわけです。そして宮沢賢治の詩や童話に出てくる自然は独特です。それは一言でいうと自然という空間が時間化されているのだと思います。自然は空間としてあらわれているわけだけど、それは同時に心的な時間が重なっている。種山ヶ原の詩でいえば最後に長嶺の上の雲が無くなって空ばかりがそこにある。それは空間ですが、時間化された空間なんだと思います。
この空間を時間化する秘密を吉本は宮沢賢治の視線の特異さとして解こうとしています。「悲劇の解読」という吉本の本の「宮沢賢治」の章では、「やまなし」という童話を取り上げて、この視線の特異さの分析をはじめています。「やまなし」というのは「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈」という副題がついています。水底にいる蟹の視線ですべてが視られている作品です。水の底から蟹の親子が水面を見上げると白い樺の花が水面を流れて行って、その花びらの影が水底の砂をすべっていく、という描写があります。そんな静かな水底からの視界に、突然水のなかの魚をとろうとして頭から躰を突っ込んでくるかわせみが登場します。このかわせみの姿も水底から水面を仰ぎ見る視覚でとらえられています。読者はその素晴らしい描写力に魅了されて、小さな川底の蟹になって水底からの眺めに同化します。
吉本によれば、この「やまなし」の描写は水底からの視線だけでは成り立たないというのです。水底からの視線と同時に川の流れをあたかも水槽を外から視ているような位置で観察しているもうひとつの眼の存在なしには不可能だと述べています。そしてこのもうひとつの眼は無意識のように作品に瀰漫(びまん)していると述べます。「水底の蟹の眼になった視線と、川の流れを横断面から視察しているもうひとつの架空の眼の二重視がわたしたちを惹きこんでいる」と吉本は考えます。そしてこの全体に瀰漫した無意識の眼のはたらきが、水底の景観の総体を遠くへ押しやる構図を提供していて、そのために読者は個々の描写を追いながら全景を遠くに時間化している体験をおぼえると述べています。
この空間を時間化するもうひとつの眼の瀰漫という方法は種山ヶ原の詩にもみられると私は感じます。置き忘れた草が、それをおおう山にかかった雲が、その雲が消えていくさまが描かれていますが、同時にそれをはるか遠方から視ているような視線があるように感じます。それがこの雨のなかの種子ヶ原の光景を内面の奥行きを感じさせる作品の秘密になると思います。
もうひとつの眼ということで私にも体験があります。学生時代に友達三人でヒッチハイク能登のほうを旅した時のことでした。ヒッチハイクというのはやってみたら大変なことで、やっと乗せてもらった時には疲労困憊でした。車の窓から疲れ果てて広がる田んぼを見ながら乗せてもらっている時に、その自動車に乗っている自分たちと自分たちの乗った自動車が田んぼの広がる平野を走っているのを真上から視ているような感覚との二重視が起こりました。また友達とバンドをやっていたとき聞いたんですが、一流のミュージシャンは演奏をしながら、同時に自分たちの演奏を真上から視ているような感覚にとらわれることが稀にあるというのです。こうした二重視、あるいは自分の眼とは別のところから自分を視るという経験は、よく思い出してみると人生のところどころにあったような気がします。そしてそれはかなり心身が追い詰められていたり、極度に疲労していたりということと関連していると思います。これはもっと極限的には臨死体験と呼ばれている死に臨んだ人が体験する不思議な体験につながっていると考えられます。宮沢賢治の作品のなかにあるものは、こうした死に臨んだ体験や幼児期の心や原始人のこころにつながっていると吉本は考えています。
ここからは吉本が述べていることではなく私が考えたことなので、ぐっとクオリティが落ちますがあしからず。このもうひとつの眼というものの出所はどこにあるのかと考えますと、それは内コミュニケーションのなかにあるのではないかと私は考えます。内コミュニケーションは大洋期の母子の言葉以前のコミュニケーションとして吉本が名づけた概念です。自分の外側からの眼というものが芽生える時期には、まだ諸感覚が未分化な時期でもあります。胎内で母親の声を聴くとすると、それは声であるとともに胎児の視覚でもあるかもしれません。宮沢賢治の天才的で特異な資質がその世界を「ほんとうの世界」として、あるいは「わけのわからないものが、わけのわからないままにある領域」として察知しているのだと考えると、私はおもしろいなあと思うわけです。