依田圭一郎さんの御逝去を悼み、お知らせいたします。
突然の訃報で驚かれることと存じますが、平成29年6月18日に、依田圭一郎さんが御逝去されました。慎んでお知らせいたします。
依田さんが亡くなられた原因は、心臓の動脈瘤です。奥様の都華子さんからうかがいました。
亡くなられるまでの経過は次のようでした。
6月17日(土曜日)、夜2時ごろ、ちょっと自分の状態が変だと奥様に話をなされた。起きて、様子を見てほしいと頼まれた。次の日の6月18日(日曜日)、この日は「K1」の試合を観に行く予定だったが、とても行ける状態ではないと言い、チケットを知人にあげた。これが18日の午前中だった。18日の夕方か夜ころか、あまりの不調でインターネットで自分の症状が何であるのか?を検索しようとした。激しい音がしたので様子を見にいくとあお向けに倒れていた。瞼(まぶた)が動いていたので救急車を呼んだ。板橋の帝京病院に連れていかれたが、そのまま病院で亡くなった。
おそらく、心臓の動脈の瘤が少しずつ破裂して心臓に行くべき血液の量が低下し、同時に心肺の働きがゆっくりか、少しずつ低下し、18日に大量の血液が心臓に送られなかったことで、心肺停止になったのではないかと思われます。
◎追悼・依田圭一郎さん
依田さんからは、ポルソナーレのゼミ生の皆様のために、約10年間、一回も欠かすことなく『初期ノート』の解説を書いていただきました。そして吉本隆明の「母型論」の解説と「心的現象論…精神分裂病」にちなんだエピソードと、吉本隆明の「オウム真理教」理論を擁護する、解説も合わせて、原稿用紙にして10枚前後の量を書いていただきました。「もうそろそろ飽きましたよ」と言いながら「吉本山脈を歩みつづける」の理念のもとに、疾風怒濤の迫力でこれ以上は望めない吉本理論をレクチュアしていただきました。
依田さんは、老人のための通所施設ショートステイ・『デイサービス追分』を立ち上げてアパート経営を合わせて高齢者のお世話もなさっていました。「後見人」の資格ももっておられたので、『デイサービス追分』の以前は、心身ともに病み疲れている孤独な高齢者の一人一人に朝も昼も夜も寄り添い、安らぎと安心のために力を尽した人でもありました。
毎年、年末になると「これから海外に行きます。初期ノートの解説を早めに送ります。ゼミ生の皆様によろしくお伝えください」というメールを送っていただきました。「それでは皆さま、よいお年を。来年もよろしくお願いします」と必ず、書いていただきました。
電話でのお声は、いつも明るく、楽しそうでした。
もう会えないし、声も聞けないのを悲しんでいます。
◎なお『デイサービス追分』は、奥様の都華子さんが再開されて6月26日より始めておられます。お通夜は6月24日(土曜日)、葬儀は6月25日(日曜日)だったとうかがいました。なお、『デイサービス追分』の住所は次のとおりです。
〒113-0023 東京都文京区向丘2丁目9−10 コート追分 1F
◎公的に生き、吉本隆明の思想とともに生きた依田圭一郎さん・享年64歳・『初期ノート』ともに輝いています。
くものいと くものいとに 息を吹きかけながら 明日の日の 小さな声を にはとこの ざやめきに 真実きいた 軒端のくものいと くもは居ないよ 息ふきかけて 夕焼 小焼(くものいと)
この詩は吉本が東京府立化学工業学校に在学中に友人と作っていた「和楽路」という同人誌に発表されたそうです。この詩の載った「和楽路」最終号は、1941年11月に発刊されたそうで、吉本は1924年11月生まれだから16歳の時に書いた詩か、あるいはそれ以前に書かれた詩なんでしょう。この化学工業学校の時代に吉本は今氏乙治という人の私塾に通って勉強していました。この無名の私塾の先生が吉本に大きな影響を与えています。吉本はこの時代に「書くこと」を覚え、幼い詩を書き始めたと書いていますから、この詩は吉本が詩を書き始めた手習いのような意味をもっていると思います。いっぽうでここには吉本の感性の故郷というものがあらわれているのではないでしょうか。
ただ、習作とはいえ完成度は高いと私は思います。この詩の感性は、自然に対する感性で、農村を舞台にした日本の自然詩人たちの影響を受けていると思います。こういう詩を書く吉本、また短歌が好きな吉本は日本的な自然感性の持ち主としての吉本です。それから童謡のようなものに対する好みがあると思います。童謡とか童話とかファンタジーに対する好みです。それは言い換えれば幼児性に対する関心です。それは吉本が最大の関心を向けた詩人の宮沢賢治につながっていきます。
そんなところで吉本の分裂病理解の解説に移らせていただきます。
サリン事件を起こしたオウムの麻原彰晃に対する吉本の考察を解説しています。吉本はオウムサリン事件に社会の転換期を象徴する重要な思想的特徴を読み取りました。
それまでの善悪の倫理基準が崩壊しかけて、新しい倫理を作る段階に社会が踏み込んだという理解をもったわけです。オウムが起こした無差別殺傷事件というものを宗教的な本質から導き出された宗教思想として捉え、それを超えようとしなければオウムサリン事件の提起した問題を超えることはできない。できないということは、形を変えて同様の事件は起き続けるし対応もできないということです。吉本の公開されたオウムサリン事件に対する見解の背景には、吉本が追求し続けてきた社会に対する考察があり、宗教についての考察があり、人間の心的なものへの考察があってその思想的な生涯の重量をすべて賭けて語られているのですが、ほとんどのマスコミや投書してくる読者にとって、吉本は殺人鬼の麻原を擁護しているイカレた評論家というものでした。それは福島の原発事故の時の吉本の公開された発言の引き起こした反応と同じです。バカがいっぱいいる嫌な社会だなあと思いますが、それは置いといて吉本の考察を追ってみます。
人はみな死んでいきます。では死ぬときにどのような内的体験をするのでしょうか。
死んでいくのは肉体ですが、死にゆく肉体のなかで意識はどうなっているのでしょうか。現在まで膨大な数の人が死んできたわけですが、みんな死ぬときには死にゆく内面を体験しながら死んでいったわけでしょう。そこには普遍性があるはずです。宗教の違い、国家の違い、思想の違い、貧富の違い、文化の違いを超えて死の共通性がある以上、死にゆく体験の共通性、普遍性もあるはずだと思います。しかしそれを体験する人はみんな死んで、あっちに行っちゃうわけだから生きている世界、つまり「この世」に伝わらない、ということになります。死にゆく内面というものは重要でしょうか。たぶんたいへん重要なんですよ。なぜ重要かというと、「あの世」はあるのか、つまり転生とか輪廻とか、あるいは天国とか地獄とか涅槃とか浄土とか煉獄といった世界はあるのかという宗教的な問題に決着をつけるからです。「死ねば死に切り」なのか、そうではないのか。さらに宗教的ではなく思想的にも、あるいは科学的にも興味のつきないものがあります。内面性、精神性が死に向かっていくということは何なのか。そこには精神が解体していく過程があるわけで、それは精神が形成されていく過程を逆に映し出すと思われます。吉本はそれを死とは誕生の過程を逆に辿ることだと言っています。
死にゆく体験は誰もが最後にはするのに、その体験をもってあっち側の世界に行ってしまう、つまり死んでしまうので伝える者がいない。しかし例外があります。それは臨死体験をして生還してきた人たちです。もう一つの例外は宗教的な修行者だということになります。しかも宗教的な修行者は死にゆく体験に近いものを自分でコントロールしながら行えるところが臨死体験者とは違います。吉本は麻原彰晃のなかにヨーガ修行者として死にゆく体験と同様のところに心身をもっていくことができ、それを明快に記述することのできる稀有の修行者をみていることになります。これがキチガイの殺人鬼という世間の評価と激突したところです。
しかし麻原の「生死を超える」の記述を読むと、麻原は死にゆく体験のさらに向こう側の体験を記述しています。それは死後の世界であり、転生の世界です。つまり輪廻していく原始仏教の世界観に沿った経験を記述しています。この問題について、吉本は「宗教の最終のすがた」(1996年春秋社)という本で、興味深いことを述べています。
この本でインタビュアーの芹沢俊介が、ヨーガの瞑想の過程は自己と自己との関係で「自己対」というべきものだと思うんですが、という言葉を受けて吉本は、その「自己対」を究めていくと死に接触するという観点と、死後の世界に入っていく観点がでてくると述べています。吉本は、そうすると精神医学ということが問題になると言っているんです。こうした死の問題は生誕の問題を逆に辿るという吉本の考察がありますから、それに沿って死や死後の世界を精神医学はどうとらえるかという問題がありえます。フロイト的にいえば、生まれたときから一歳未満までが無意識領域が主体になると考えられる。つまり言語獲得以前です。それが精神医学が死や死後のの問題と関わる範囲ということになります。
吉本はこの精神医学の範囲、つまりフロイトの無意識概念に対して、もう少し拡張して胎内の時期にまでさかのぼって考えたいと述べています。つまり胎児期から一歳未満までが人間の無意識の核だと考えたいということです。そこまで精神医学の範囲を拡張できるならば、母体の問題も含めて精神医学は統御できるかもしれないと言っています。つまり精神医学的に死や死後の世界の考察が可能だということになります。
しかし麻原などがいう宗教的な対幻想、「自己対幻想」における無意識というのは胎児になる以前まで行ってしまうと吉本は述べています。胎児以前というと、受精する以前ということになります。つまり前世までさかのぼることになります。吉本はそこまでの無意識となると「無意識が歴史意識と地続きになる」と言っています。そうなれば輪廻転生が自由になる。宗教で輪廻転生が自由であるというのは、要するに無意識が受精以前までさかのぼれるということを言っているんだと吉本は述べています。そんなところへ精神医学は行けない。吉本もわからないし、精神医学者もわからないというしかない、自己対幻想におけるいちばん難しい問題だと吉本は述べています。受精以前まで無意識がさかのぼれるか、さかのぼれないかが仏教の修行者と科学者、思想家の分岐点だということです。
吉本は精神医学者がオウムについて発言して麻原を批判しても、麻原は自信を持っていると言っています。その自信はどこからくるかというと、精神医学者はせいぜいフロイトのいう「無意識領域」、つまり出生以降の一歳未満の無意識を根拠にして「マインドコントロール」というような概念を使って非難しているわけですが、麻原の方は、おれは無意識を胎児以前にまでさかのぼれる、つまり前世までさかのぼれる、死後までさかのぼれるというところまでおれはやったぜという、そういう自信があるだろうと述べています。
無意識が受精以前まで遡れるのかどうか、ということは吉本がわからないように私たちにもわからないわけですが、仏教やその修行の意味の核心は吉本によってみごとに把握されていると思います。
つまり仏教、日本の浄土宗によって解体されるまでの仏教というのは、麻原がやった修行と同じようなことをやり、同じように死後の世界や転生の意味をしろうとしたということになります。その仏教やヨーガの修行の意味を思想的に言い換えると、無意識領域にどう自己コントロールしながら入っていくかということになりましょう。そしてその無意識領域への潜入がどこまで行けるかが修行の境地というものであり、あるいは悟りというものだと考えられます。精神医学との対比でいえば、フロイトの無意識概念を拡張する課題となりますが、それを受精以前にまで遡ったという仏教やヨーガ修行者の主張に対しては理解不能というしかない。
しかしもっと別の観点もありえます。つまりそうした修行の境地がどうであれ、だからなんなんだという観点です。日本浄土宗とくに親鸞は修行なんてしてもしかたがないという観点を徹底的に掘り下げていった宗教者だと吉本は考えています。では修行を放棄した宗教者は何を問題にするのかといえば、倫理を問題にするわけです。善悪の問題をどう普遍化するか、言い換えれば社会のなかで流通している善悪の基準から離脱した水準に善悪の基準を作ることができるかという問題に取り組みます。なぜならもし社会に流通している善悪を超ええないならば宗教者の意味は全くなくなるからです。いらないわけですよ世間の善悪に追従しているだけの宗教者なんて。しかしそういう宗教者ばっかりだということをオウムサリン事件はあぶりだしたといえます。
法然、親鸞の日本浄土教が仏教修行の意味を否定し、そういう意味で仏教を解体し、仏教の問題を善悪の基準の問題に置きなおしたと吉本は考えています。すると特に親鸞には、善悪のきわどい問題が突き付けられていきました。「善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや」という逆説で善悪の問題を説いた親鸞に対して、それなら意図して悪を行えば、より往生しやすくなるだろうと考えて悪を意図的になそうとする者があらわれます。これを「造悪論」と呼ぶと、オウムサリン事件もこの造悪論の現代版といえる面があると吉本は考えています。意図して悪をなす、ということの背景には麻原彰晃のヨーガ修行の達成があり、その達成が生み出すこの世とあの世の逆転、あるいはこの世もあの世もまぼろしとみるような「境地」というものがあるといえます。そのことに触れ、そのことを理解し、そのうえでその宗教的な思想を包括し批判する。それを吉本はしようとして幾度も親鸞に戻って考えています。
若し社会なるものが今日、日本の文学者における如く、自らに食を与へる一つの機能であるにすぎないならば、僕は斯かる社会なるものを必要としないだらう。併しながら、社会なるものは僕の精神にとつて明瞭に一つの場処を占めてゐる。(原理の照明)
この文章はこの下の「ゼミ・イメージ切り替え法」の文章と続いています。それを合わせ読むとわかりますが、吉本は歴史的現実、つまり歴史があってその積み重なりの上に存在している現在のこの社会、そのありようを内面の問題にしようとしていると思います。それは単に現在の社会問題を考察しようというのとは違うわけです。もっと内面の問題そのものに関わらせて歴史的現実を取り込もうということです。あるいは、歴史的現実に影響を受けて喜怒哀楽を生じている自分の内面の領域に気がついたということになります。
こういう考え方は、かってこうした文章を読んだ若いころの私には衝撃でした。社会というものや歴史というものは、自分のこころ、ひそかな内面、喜びや悲しみや美や不安を感じる他人には窺い知れない文学や芸術の棲む場所、といったこころの世界にどう関わるかわからなかったからです。社会というのは遠いところにあって新聞に載っているようなできごとが起きている。しかしそれは自分のひそやかな内面には関わらない出来事だ。そうとしか感じられなかったわけです。
吉本に私とは違った考え方ができたのは、戦争期と敗戦期という歴史的動乱の時期に青春を送ったからでしょう。私たちの世代はその後の戦後の「平和」の時代に生まれて、社会を内面に繰り込むということができにくくなっていると思います。しかし吉本がここで書いていることの意味は重要だと思います。吉本は歴史や社会に関心を持て、知識を持てと言いたいわけではないと思います。つまり知識人になることを奨励しているわけではない。ただ自分自身の内面という知識人であれ庶民であれひそやかに抱いている自分自身の「こころ」に、いっけん関係なさそうな歴史や現実社会が大きく影響しているという指摘です。だから身近な人々との関係や、身近な出来事によって自分のこころが揺れ動いているというホームドラマや私小説的な歌のような自分のこころの世界の把握には、こころ自体を描き切れない空白があるということです。それは歴史的現実を感性と論理の問題として、単なる知識の問題ではなく取り込めていないから生じる空白です。
最近の漫画やドラマを見ていると、日常的な世界と突如として登場する膨大な異世界との共存のような設定が多い気がします。つまり「ガンツ」のような漫画です。それは鋭敏な若い作り手が、そうした空白に気がついたために工夫された設定なんだと思います。なにか大きなものが自分のひそやかな心の世界に影響を与えている。それも尋常ではない大きな不安や疑問を。しかし日常は大きな変化なく続いていく。そうしたことに気づいている若い人間に大きな物語としての宗教やイデオロギーを与えれば、それを信仰していくかもしれない。しかし吉本は敗戦という経験を経て、自分でその空白を埋める思想を作り出さなければ意味がないということを自覚していました。
そんなところで吉本の分裂病の解説に移らせていただきます。
麻原彰晃の「生死を超える」の記述を吉本は最大限に評価しています。この本には一般の人間にはとてつもないと感じられることが記載されていますが、吉本はそれを適当な作り話だとかインチキだとかとみなしていません。ヨーガの修行の内的体験としてありうるものだと思っているわけです。
「生死を超える」は臨死体験の体験談とよく似ています。死ぬ間際の体験、そして死んだ後と自分では考えている「死後の体験」という臨死体験者の体験談と共通しているものがあるわけです。そして臨死体験が重要なのは、死ぬ間際と死後の世界とみなされている世界の体験が世界共通性として持っている特徴があり、それはもしかするとあらゆる人間が死に際して体験する普遍的な共通性かもしれないということです。世界中に臨死体験者という人たちはいます。その体験の内容はその地域の歴史や文化によって異なりますが、共通するものもあります。するとここでいくつかの大きな疑問が生じます。ひとつめは誰でも死に際して「臨死体験」と呼ばれているイメージの世界を経験するのではないだろうか、という疑問です。それは信仰のあるなしとも、宗教の宗派とも関わらない、その世界観の影響はあるとしても臨死体験を体験すること自体はどんな人間でも、あなたでも私でも体験することになる普遍性かもしれないという大きな疑問です。
もしこのことが普遍性だったとして、それが常識として浸透していないのは「臨死体験」を経験した人が通常はそのまま死んでしまうからでしょう。まれに臨死状態から生還できた人が語る「臨死体験談」があって、それが収集されはじめた時期があって、それで臨死体験の研究が始まったのでしょうが、それまでは臨死体験というイメージ体験が普遍的なものかもしれないという疑問は生じなかったのかもしれません。
さらに疑問は深まります。「臨死体験」という概念は近代のものとしても、臨死体験をした人は原始・未開の時代からいたでしょう。その人たちは自分の瀕死の体験を「死後の世界に行ってきた」と確信して身近な人々の話しただろうと想像できます。こうした死後の世界の言い伝えが「輪廻」というものを信じる根拠ではないでしょうか。
死後の世界の体験ともうひとつ双璧となるのが「前世の記憶」です。前世はこんなところに住んでいて、こういう人間だったと、そんなことを知るはずのない者が突然しゃべりだす。そしてその前世の記憶のとおりの人物や出来事が存在したとわかる。するとその前世の記憶は前世というものは存在するのだという信仰に変わります。前世があって死後があるならば、つまり生まれ変わりがあるわけで、輪廻は存在するという信仰になります。この輪廻の信仰が原始的な宗教に共通するものだと吉本は述べています。そしてブッダはこの輪廻という原始信仰を破って、輪廻からの解脱を解いたということになります。
麻原彰晃の「生死を超える」が吉本のいうように優秀なヨーガ修行者の体験談だとすると、ヨーガの修行、一般に浄土宗以前の仏教の「修行」といわれているものは、いわば自分でコントロールしながら自分の臨死体験に近いものを作り出すことだ、ということになります。自分でコントロールしながら意識を臨死の状態にもっていく修行によって、死後の世界とその先の世界まで体験するという記述を載せています。死後の世界の先とは「転生の世界」です。死んで死後の世界に行って、そこから人間や動物などに転生する。すなわち輪廻です。つまり古代の宗教の普遍的な信仰であった「輪廻」を意識体験として一貫して描くことができている。きっとそれが吉本に「生死を超えるは面白い」と感銘させた理由ではないかと思います。
「生死を超える」に記載されたヨーガの内的体験がどんなにとんでもないものに思えたとしても、吉本によればそうした体験は「未開や原始の時代にはオセアニアや西南アジアや北アジアの種族にとって普通の実体験の世界で、現在のこの地域では痕跡しか残っていない心的な体験の世界をヨーガの修練で産出するのが、著者(麻原彰晃)たちの信仰の中心ではないのかとおもえる」ということになります。つまり大昔には普通に体験されていた「もうひとつの世界」や「死後の世界」というものを蘇らせているだけで、自分の勝手に空想を記述しているわけではないということです。
もうひとつ吉本の記述で重要なのは「わたしの関心にひき寄せれば、この著者が生み出し、記述している肉体や感覚体験は、分裂病者が無意識の強迫から作り出している体感や感覚異常の体験の世界を積極的に自在に作ることができていることを意味するのではないか」というくだりです。そうだとすると、分裂病の妄想というものは、古代や原始の時代には普通の実体験としてあった内的体験とつながりがあり、その復活のような面があるということになります。分裂病者の妄想はその個人の勝手な空想の世界の思い込みではないということになりましょう。
すると古代、原始未開の世界の内面の問題、臨死体験者や前世記憶を持つ人の問題、ヨーガ修行者や仏教各派の修行者の問題、そして分裂病の妄想の問題がある共通の領域に結びつけられることになります。さらに吉本はもうひとつの問題をここにつなげようとしています。
「生死を超える」のなかに麻原が「夢見のヨーガ」と呼んでいるアナハタ・チャクラ(みぞおちのところの霊的なセンター)への精神集中の修練について書かれています。この段階では「この世」とちがうべつの世界を創り出し、そこで遊ぶことができるようになる。その創られた世界では、触れることも、見ることも、聞くことも、匂うことも、味わうことも、また考えることもできると書かれています。そして麻原はこういう実体験とおなじ如実な感覚体験がこの創られた世界でできることが逆に「この世」も無常なイメージにすぎないのではないかと感じさせる根拠になるという興味深いヨーガ体験観を述べていると吉本は書いています。
吉本は麻原のこの記述を読みながらふたつのことを連想したと書いています。
「ひとつは「古事記」の初期神話やアイヌ神話にある「あの世」は「この世」と対称的でそっくりおなじ世界になっていて、死者はおなじ暮らしをしているというイメージだ。もうひとつは現在作られているいちばん高次な映像体験であるバーチャル・イメージの世界だ。そこでは映像の世界にじぶんが入り込んで、触れることも、見ることも、聞くことも体験できる感じになる。わたしはこの未開、原始の世界と超現在の世界の両方に通底したイメージ体験は、著者が記載しているアナハタ・チャクラの体験と関係があると思った」(「生死を超えるは面白い」吉本隆明)
つまりつくば万博の富士通館で披露されたようなバーチャル体験というものの先進的な映像体験もまた、原始未開の内的体験や臨死体験やヨーガ体験や分裂病者の妄想とともに共通の領域に関わっていると吉本はみなしているわけです。こうした吉本の追求は、私たちが「この世」とみなしている世界を拡張する意味を持っていると思います。原始未開の体験も臨死体験もヨーガの修行体験も分裂病者の妄想も、わたしたちの一般の体験から離れた異端の体験です。だから私たちはそうした体験を特殊な体験と考え、あるいはうさんくさい作り物の体験とみなし、または異常な病的な体験に過ぎないとみなします。しかしそうではないのではないか。これらの体験が結びつく領域があり、それは私たち普通の人間が潜在的にもっている普遍性であるのではないでしょうか。
私たちが「この世」とみなしている世界、それは経済社会的にいえば高度資本主義社会ということになります。その高度資本主義、あるいは消費資本主義社会がある臨界点のようなものを遠方に感じさせるところまできています。となるとその先の社会はいわば「あの世」ですが、その社会のイメージはなんだということになります。現在の「この世」のあちこちで終末観がただよい、このままではもたいなのではないかという危機感が生じているとすると、その先にあるものはもっとも初源にあったのに切り捨ててきたものを取り込むという方法で切り開こうという発想になります。
しかしこの世が拡張されて新しい世界が垣間見えてきた時に、問題となるのは新しい倫理でしょう。倫理は共同性の規範だから、どのような倫理が新しく樹立されるのかが新しい世界の根幹となるわけです。オウムのサリン事件は最大の衝撃的な倫理的な課題を突き付けたといえます。しかしそれは現在の社会の、つまり「この世」の拡張をそれなりに達成したヨーガの内的体験の延長として生じたもので、バカがバカを集めてしでかしたキチガイ事件だという程度の認識では済まないはずです。
放浪と規律。僕はこの両極に精神を迷はせてゐる。刻々と僕が人生における一つの岐路に近づいてゐるといふひとつの予感が、僕を一層不安の方へつれてゆく。僕は放棄すべきなのだ、一切の由因を。この国の芸術家達が一様に悩み抜いた分裂が僕の心をも又占めはじめてゐる。恐らくこれは僕の負ふべき僕のゐる精神と社会との風土が負ふべきものなのだらう。だが僕はそれを逃れることは出来ない。人間は環境を必然として受入れることの外に、何もなし得ないから。この国は悪魔の国だ。しかも意地の悪い、卑小な悪魔のゐる国なのだ。(〈夕ぐれと夜の言葉〉
なにを言っているのかよくわかりません。昔この文章を読んだとき、感銘を受けたのは自分の悩みを自分の責任ではなく自分のいる風土の責任だと考えているところでした。すべてを自分の肩に背負わせてはならない、ということですね。自分だけが背負うと風土、つまり自分の属する社会や共同の幻想性への批判の糸口がないからです。自分の苦しみは、この悪魔の国、意地の悪い、卑小な悪魔のいる国のせいだ、そう考えるわけです。そういう転換ができないと内向的な資質の人は自滅してしまいます。
「一切の由因を放棄すべきだ」という文章は意味がわかりません。「この国の芸術家達が一様に悩みぬいた分裂」というのもよくわからない。わからないんですが、たぶんこれは風土、環境、社会といった共同体への徹底した批判をはじめなくてはならないところに吉本が進みつつあるということじゃないかなと思います。自分の内面の問題を、自分の内面に関わる因果関係だけで解釈することをやめよう、というのが「一切の由因を放棄する」という言葉の意味じゃないかという気がします。内面の問題を内面だけで解決しようとするのが、アジアの一国である日本の芸術家の習性になっている。しかし世界的な戦争に敗北した今こそ、歴史的な現実である客観的な社会とか共同体とか国家というものから内面の問題を捉える方法を確立するべき時ではないか。そういうことを「悩みぬいた分裂」という言葉で言っているんじゃないかと思います。どうでしょうかね。
そんなところで吉本の分裂病理解の解説に移ります。
吉本は麻原彰晃をヨーガの修行者として大きく評価するという日本中を敵に回すようなことを公言しています。これによって吉本から離れた読者も多かったと思います。しかしこの吉本の麻原評価の問題には、吉本の思想的な全重量がかかっていることは間違いありません。吉本は確信をもって麻原を評価しているし、覚悟をもってそのことを公言しているわけです。だから吉本の思想的解説もここを避けて通ることはできません。
吉本の麻原評価の原点といえるのは、『「生死を超える」は面白い』という文章です。(「親鸞復興」1995春秋社)「生死を超える」というのは麻原彰晃の著書の題名です。吉本は未知の人からこの本を贈られて読んでみたと書いています。そして非常に興味をひかれたということです。なにが吉本の興味をひいたかというと、麻原の記述しているヨーガの修行者としての内的な経験が、とても如実で微細で、これほど鮮明なイメージを与えるヨーガの修行の本を読んだことがないと述べています。
「生死を超える」は一般に「臨死体験」と呼ばれている瀕死の体験と同じものをヨーガの修行で作り出し、その内的な体験を記述しています。吉本は臨死体験に興味をもっています。なぜ吉本が臨死体験に興味をもっているかというと、臨死体験と呼ばれるものがひとつには人間の成育史における言葉の獲得以前の段階、乳胎児期、幼児期への探索の意味があるからです。もうひとつは人類史における言語獲得の以前の時期、いわゆる未開、原始の時期の内面性への探索の意味があるからです。さらにそれが同時に、これからの社会の高次映像の問題ともつながるからです。だから吉本はキューブラー・ロスなどの臨死体験の記述を熱心に読んできました。しかしそれらの本の記述には「どれも布きれ一枚を隔てたようなぼんやりしたあいまいさ」がつきまとっていると述べています。吉本によれば、麻原のヨーガ修行の記述はその布きれ一枚を取り去った鮮明な細部の体験イメージが描かれているということです。
「生死を超える」は臨死体験の記述から「死」の内的な記述に移ります。そして「死後の世界」への移行の記述になります。そして最後に死後の世界から「転生」して、再び人間界に戻ってきたり動物界に行ったり地獄に堕ちたりするということを述べています。つまり「生死を超える」という本は「死と転生のプロセス」を麻原の修行体験の記述によって描いた本です。吉本によれば、この麻原の本の意義は浄土教以前にあった仏教各派の修行が何をやっていたのかを明瞭にわからせてくれるところにあります。つまり昔から仏教とかヨーガの修行というのは、こういう「死と転生のプロセス」を内的に経験することを目指した行われていたということです。そういうふうに仏教というものがわかるということです。
そしてこうした修行をすることで、どのような認識に達するのか。吉本は麻原自身が述べているその認識をさらに「普通の人間」つまり信仰者、修行者でない一般人にも通用する言い方で言い換えています。
「①死後の世界の存在のイメージが作れる。
②転生のイメージを子宮にとび込むまでつなげられる。
③功徳(よいカルマ)と修行以外には、死後の世界のイメージをよくできる手だてがない。
④死後の世界の存在というイメージを放棄しないかぎり、功徳と修行以外に人間のすることは何もない。
⑤死後の世界の存在というイメージを確信するかぎり、現世は幻影と感ずるのは当然だといえる。
⑥死後の解脱に最高の価値を与えるかぎり、ほかのことに執着がなくなるのもまた当然だ。(『「生死を超える」は面白い』吉本隆明 より)」
これが吉本が言いかえた麻原の修行を経てたどり着いた認識の要約です。これは吉本によれば、浄土宗以前の仏教者がたどりついた認識と同型だということになります。ということは浄土宗、つまり親鸞だけは別物だと吉本が考えているということです。そしてこの要約は仏教だけでなく宗教一般にも通用する認識だとみなしてもよいように思います。
②の転生のイメージを子宮にとび込むまでつなげられる、という部分は説明が必要でしょう。麻原はヨーガの修練によって臨死の体験のイメージ、死後の体験のイメ
ジ、そこから子宮や卵子のなかに入り込んで人間界に再び転生したというイメージを、連続したプロセスとして描いています。吉本によれば、この連続したイメージを生み出したことが、生と死を超えた永生という理念を作る根拠になっています。麻原によれば死後の世界に行ったあと、魂はじぶんにあった世界へとび込んで行く。とび込んで落下してゆくとたいていの場合性交のヴィジョンがみえ、無意識にそこにとび込んでしまう。すると落ちてとまったところが子宮であったり卵子のなかであったりする。それが人間界への転生だと述べています。
吉本はもうひとつ興味深いことを書いています。麻原が記述している肉体や感覚の体験は、分裂病者が無意識の強迫から作り出している体感や感覚異常の体験の世界を積極的に自在に作ることができていることを意味しているのではないか、と吉本は述べています。つまり分裂病者が強いられて生み出している異常性の世界は、ヨーガの修行者が自己コントロールしながら生み出している幻想性と同じものではないかということです。吉本は分裂病の「異常性」とみなされているものを、もっと普遍的なイメージ体験の世界へつなげてみたいと思っているということです。やっと分裂病と今までの解説の接点が出てきたわけです。
サリン事件との関連性を考えると、ヨーガ修行によって到達する認識の問題は重要です。仏教というものは、生死を超えた永生という理念をもっています。ひとりの人間の魂は死んだらおしまいではない。それは転生して人間に生まれ変わったり動物に生まれ変わったりする。つまり「生まれ変わり」が信じられています。この「生まれ変わる」輪廻の繰り返しから「解脱」して仏さまの世界のような光の世界のようなところに行くことが仏教の目的ということになるんでしょう。詳しくは知りませんが。
この生まれ変わりとか転生とか永生というものは、現在の私たちにはとても信じられるものではありませんが、こうしたもののなかに信じようが信じまいが、修行者、宗教者であろうがそれ以外の普通の人であろうが、隔てなく普遍的に体験されるイメージがあるかどうかが問題となります。もし臨死体験というものが、そのような普遍的な体験であって、ただそれを体験した人はたいてい死んでしまうから伝わらないわけですが、少数の臨死体験から生還した人の記述というものがあるわけです。それは信仰とかと無関係に死に瀕した人を不可避的にやってくる臨死体験のイメージがあると思わされます。吉本が手に入れたいのは、この誰にでも普遍的に通用する普遍性としてのイメージ体験です。そこから言語以前の乳幼児期や原始未開の時代の理解の手掛かりが得られますし、また分裂病者の理解への手掛かりも得られるからです。
孤独は凍結するものだ。僕の資性はいま何も語らなくなつてゐる。(〈夕ぐれと夜との言葉〉)
宗教というものは私たちには遠いものですが、しかし世界はまだまだ宗教が大きな力をもっている段階にあります。また宗教にはさまざまなものがありますが、どこかに宗教が人間をとらえる普遍性があるはずです。そのひとつは臨死体験の普遍性なのだと思います。では臨死体験とは何なんだというと、それは出生体験を逆に体験しているのだと吉本は述べています。だとすれば死のイメージとは誕生のイメージのネガということです。するとそれは言語以前の乳胎児期、幼児期の内面性の問題につながります。そこには言語がないから、イメージだけがあり、しかもそのイメージは平面でなく高次映像的なイメージだと考えられます。臨死体験もまたそのような高次のイメージです。こうした問題を吉本は「ハイ・イメージ論」という連作で追求していました。吉本の思想の可否は、まずはその思想の正確な理解から始めなければなりません。
おまけ
ありません。