2009-01-01から1年間の記事一覧
後悔というものが嫌いだ、宗教的なざんげは後悔の親族みたいなものだから嫌いだという25歳の吉本の言葉の背景には戦争と敗戦の体験があると思います。当時の日本の戦争に対する一般的な感情が後悔とざんげになっていることへの反発です。 象徴的なのは例えば…
わが国の現在と言っているのは昭和25年頃のことです。まだマッカーサーのGHQによる占領下にあった時代です。首相は吉田茂。旧時代的帝国主義者というのは、戦争中に日本帝国を支配していた層が残存していて、それが政府の後ろ盾になっているという意味…
自分が悪口を言われているのではないかとか、自分に不利なことを誰かが画策しているのではないかとかいう不安感は誰もが持つものだと思います。なんとなく嫌われているような気がするとか、バカにされているような気がするとか。そういう不安感を自分でコン…
これはただひとつのことって何?ってことですね。こういう書き方って文学的ですよね。もっとぶっちゃけてザックリ書いてほしいですね。しかし書きたくはないわけでしょう。なぜかというと通りいっぺんの言い方でいうと誤解を生じる微妙なことだからです。で…
20年位前に吉本はさかんに先進国の社会の分析を発表していました。先進国とは何かというと、社会というものは特に欧米や日本では農業や漁業などの第1次産業が中心の近代以前の社会があり、そこから工業が中心の近代社会に移ります。そして工業(第2次産業)…
なんとも判りにくい文章で困りますね。しかし借り物でなく自分の力で考えていくとこんなふうにギクシャクとした手作りの論理になるものです。この文章は「形而上学ニツイテノNOTE」という章全体で吉本が自己規定している概念を追っていかないと、ここだ…
これは仕事とか労働というものを貧しい人たちは死のようにつらいことをしていると捉えているわけです。死のようにつらいから心を無感覚にして耐えている。じゃあ無感覚になれば吉本が25歳くらいだった頃の敗戦後の社会に希望の感覚があるかというと、ありゃ…
「僕は一つの基底を持つ。基底にかへらう。そこではあらゆる学説、芸術の本質、諸分野が同じ光線によって貫かれてゐる。そこでは一切は価値の決定のためではなく、原理の照明のために存在してゐる。」(原理の照明)
なにが原理なのか、一番普遍的な真実はなにか、ということが吉本の若い頃からの関心であったと思います。私が吉本が提出した原理的な思考のなかで、いま一番気になりよく考えるのは、吉本のもとの文章が見つからないので引用はできませんが、要するに知とい…
これはアジアという地域の特長は社会構造を上から支配者が与えて、それを逆らわずに受け入れて、黙々と従い、社会構造がいいのか悪いのかさして関心がないということを指摘しているのだと思います。そう言われると思い当たることがあるでしょう。私はおおい…
アジア精神という言葉に戦争期の思想的な影響が出ていると思います。アジアの思想の一番怖ろしいところはアジア思想の一番苦手な共同体の思想の中にあります。共同体の思想、つまり共同の幻想の領域に個人と家族というものを引きづり込んでしまうところです…
これは若い頃の吉本の言葉であって、その後の吉本であれば言葉についてこういう言い方はしないと思います。つまり本能的という言い方はしない。吉本は後年の言語論において言葉を意味を指し示す指示表出という概念と、価値を表す自己表出という概念の織り成…
文学者でもミュージシャンでも漫画家でも、あるいは身近な家族、友人でもいいですが、本当に気に入って追いかけたり深くつきあっているとふっと分かることがあるでしょう。それはその相手自身ももしかしたら気がついていないことだったりするでしょう。それ…
感性の高次な秩序を要求するというのはどういうことか。まず、資本論に表現されているマルクスの思想は何百年、何世紀というような時間の幅の上に成り立っているわけです。そういう大きな時間の中で自分のいる社会を考えるということ自体が感性を変えるでし…
この文章は前々回の解説でも引用したので同じことを繰り返す感じですが、要するに原理的な考察を行うときには具体的な現実の現象の分析から始めるわけです。マルクスも大英図書館にこもって膨大な歴史資料の山から現象の背後にある原理的な法則を発見しよう…
この初期ノートの文章の前に書かれていることは、マルクスの思想の多くの間違いがあったとしても、逆に完全に間違いがなかったとしても、それは自分(吉本)にとって重要ではないという文章です。ではなにが重要だったのか。それが続きのこの文章になります…
思想というものはなんらかの形で人が個に追いやられ、追いやられた孤独の中で自分にとっての世界を回復しようとするものだと思います。だから個に追いやられたというのがいわば思想の出生の秘密であって、その哀しさというものが思想にはつきまといます。そ…
私は資本論をちゃんと読んだことがないので資本論について語る素養がありません。私が言えることは吉本がマルクスの思想をどう捉えていたかについてのおおざっぱな自分の理解だけです。マルクスの思想はヘーゲルの思想をどう乗り越えようとしたかということ…
これはこの文章に続く文を読むと分かりやすくなります。「若し現象を論理的に解明しようと欲するならば、その基本反応に若干の偶然的要素を加へて、各人がなすべきところのものであると思ふ」つまり現象というものには様々な偶然的な要素が混入している。し…
ランケってのはぶっちゃけ読んだことがないです。だから吉本のランケの批評が正確かどうかわかりません。だから一般論でいうしかないですが、支配者の側から書かれるのが歴史というものだから、それを細やかに追うだけの歴史観は駄目だと吉本は言いたいと思…
抽象的なるものというのは観念に属します。モノではないわけです。現実という概念にはモノとしての世界ということと、観念としての世界ということの双方が含まれています。そして観念の世界は目に見える、感覚的に捉えられる具体性に富んだところから、抽象…
これは吉本が現実に対していらだっていることの要因をあげているわけですね。しかしまずもって「歴史的な現実にいらだつ」ということがピンときませんね。このあたりで分かったようなふりをすることが嫌です。分かったようなふりをすれば、知の中に入ること…
吉本の中上健次という小説家に対する追悼文をおまけに書きます。私が言いたいことはこのきわめて優れた追悼文の行間にあります。 「中上健次」 吉本隆明 (前略)わたしはこの世の礼にかかわって、かれがのこした人柄と作品の印象をいそいでかきとめなくては…
今の仕事や勉強や生活が不満で、もっと別の生き方があるんじゃないか。自分が本当にしたいことがどっかにあるんじゃないか。そういう思いに襲われることは誰にもあると思います。吉本もまたそのように自分が本当にしたいことは何だろうと考えたのだと思いま…
宗教から地上の掟である法が分離して国家を生み出していくとすると、宗教と法にはへその緒のようなものが残ります。そのへその緒が切れるときが立法と行政が民衆の手に移るときです。それは立法と行政、いわば共同体のルールというものから一切の権威付けと…
戦争というのは吉本にとってただの言葉でも概念でもなく、自分の命を賭け、周囲の近親や友人が命を失った体験です。つまり触れれば血の噴き出る言葉です。もう戦争はごめんだ、戦争だけは嫌だ、戦争っていうのは最低だ、ひどいもんだ、それが敗戦当時の多く…
世の中はムカつくことだらけ。もう引きこもるしか魂を守る手がねーよ。現代訳すればそんな感じでしょう。おまけです。田原先生は照れくさいかもしれないけど、吉本が田原先生の著作「初期・性格と心の世界」に対して贈った言葉です。たしかいわゆる本の腰巻…
ここで吉本が神話について考えているのは、やはり天皇について解明したいからだと思います。戦時中吉本は天皇を信じていた。それが生き神様だということを信じていたし、天皇を中心とした秩序を信じていたし、天皇の掲げる戦争の大義を信じていた。ところが…
単純で原始的な神話の象徴性というものは何故高度な知識人から庶民の人々までを引っさらう力があるのか。それは無意識に関わるからだ。原始から形成されてきた人類の無意識の分析に還元する、つまりそこに分析を集中させなければ解明できない。現代の人間の…
希望を棄てたということは誰かがこの世の中を良くしてくれるだろうという希望を棄てたということだと思います。戦争中は吉本は日本の軍部や政府を信じ、この戦争をやることで日本やアジアが良くなるという希望を持っていたでしょう。しかしその戦争は負けた…
民衆の最も重要な部分の人とは最も民衆の本質的な暮らし方をしている人、つまりちょっと文化的なことや政治的なことにも首をつっこんでいるような人でなくて、生活圏をあまり出ることなく毎日毎日の生活を繰り返して生きている大衆の原像に近い人というよう…