2009-01-01から1年間の記事一覧

「僕は後悔といふ魔物、その親族である宗教的ざんげを嫌ふ。且てキリスト教を堕落せしめた要因の一つは、キリスト・イエスにおける自己嫌悪としての悔ひ改めを、慰安としてのそれに転落せしめたことである。自立を依存に、独立を隷属にすりかえたことである。」(原理の照明)

後悔というものが嫌いだ、宗教的なざんげは後悔の親族みたいなものだから嫌いだという25歳の吉本の言葉の背景には戦争と敗戦の体験があると思います。当時の日本の戦争に対する一般的な感情が後悔とざんげになっていることへの反発です。 象徴的なのは例えば…

「我が国の現在における最大の不幸は無知蒙昧にして頑固なる政治家によつて行政及び立法府が支配されてゐるといふことである。しかも彼らは旧時代的帝国主義者によつて庇護されてゐる。」(原理の照明)

わが国の現在と言っているのは昭和25年頃のことです。まだマッカーサーのGHQによる占領下にあった時代です。首相は吉田茂。旧時代的帝国主義者というのは、戦争中に日本帝国を支配していた層が残存していて、それが政府の後ろ盾になっているという意味…

「僕に対する批評(悪評)はいつも僕のゐないところでなされる。僕はそれをよく知ってゐる。やがて僕は、それ(悪評)を僕の前に呼びよせるだらう。そこしれない愛情をもつて。そのときこそ僕に対する憎み手であった者たちも一緒に来るがいい。僕は、何の変化もなかったようにそれらの者たちに対するだらうから。」(エリアンの感想の断片)

自分が悪口を言われているのではないかとか、自分に不利なことを誰かが画策しているのではないかとかいう不安感は誰もが持つものだと思います。なんとなく嫌われているような気がするとか、バカにされているような気がするとか。そういう不安感を自分でコン…

「友よ。ではあの不かつ好な道標の前へ来たら訣れよう。君は右へ僕は左へゆけとそこに書いてある。ただひとつのことをむかへ入れたために僕の精神は何かを喪ったのだらうか。精神は自衛の本能をもってゐて、僕はネガティヴの思考と行為とを注意深く選択してゐる。」(夕ぐれと夜との独白)

これはただひとつのことって何?ってことですね。こういう書き方って文学的ですよね。もっとぶっちゃけてザックリ書いてほしいですね。しかし書きたくはないわけでしょう。なぜかというと通りいっぺんの言い方でいうと誤解を生じる微妙なことだからです。で…

「僕の労力は何ら交換価値を具へてゐない。やがて人生の機構は僕に教へることになるだらう。それでは死ぬより外ないことを。だが、僕はあのドストエフスキーの述べた原理だけは棄てはしないだらう。人は、或る目的のために人生を費やしてはならないといふ原理だけは……。そこで結局は、僕はある交換価値を目的として労力を費やしてはならないといふ原理に到達する。斯くて僕は生活するためにのみ仕事をし、それ以外のことのためには交換価値なき労力を捧げねばならない。」(風の章)

20年位前に吉本はさかんに先進国の社会の分析を発表していました。先進国とは何かというと、社会というものは特に欧米や日本では農業や漁業などの第1次産業が中心の近代以前の社会があり、そこから工業が中心の近代社会に移ります。そして工業(第2次産業)…

「上昇する倫理(道徳律)は必然的に現実化に限界を与へることである。下降する倫理は必然的に、作用の限界を無限にまで追ひやることを意味する。人間は、自らの作用化に限界するとき、必然的に他を限界し返へすものである。人間が自らと他とを交換し得るのは死においてである。何故ならば、死においてはじめて人間は等質化するからである。死において自由の問題は無限大に発散し消滅する。作用化された死においてそれ故自由があるのである。倫理を無償化することによって、我々は限界を無限に追ひやる。それは、自己を限界しないことによって他を限

なんとも判りにくい文章で困りますね。しかし借り物でなく自分の力で考えていくとこんなふうにギクシャクとした手作りの論理になるものです。この文章は「形而上学ニツイテノNOTE」という章全体で吉本が自己規定している概念を追っていかないと、ここだ…

「希望なくしては人は死の中にある。しかもあの貧しい人たちは死のやうにつらい仕事のなかに、生活のなかに、僅かに死を回避してゐるのだ。死の心にかへる死の労働。」(風の章)

これは仕事とか労働というものを貧しい人たちは死のようにつらいことをしていると捉えているわけです。死のようにつらいから心を無感覚にして耐えている。じゃあ無感覚になれば吉本が25歳くらいだった頃の敗戦後の社会に希望の感覚があるかというと、ありゃ…

「僕は一つの基底を持つ。基底にかへらう。そこではあらゆる学説、芸術の本質、諸分野が同じ光線によって貫かれてゐる。そこでは一切は価値の決定のためではなく、原理の照明のために存在してゐる。」(原理の照明)

なにが原理なのか、一番普遍的な真実はなにか、ということが吉本の若い頃からの関心であったと思います。私が吉本が提出した原理的な思考のなかで、いま一番気になりよく考えるのは、吉本のもとの文章が見つからないので引用はできませんが、要するに知とい…

「アジアの最も必要とするのは文化史的風土の発展といふことではなく、社会構造的な風土の発展といふことである。そして最も現実的な課題は、ヨオロッパの帝国主義的な経営の歴史を消滅せしめるといふことである。これが行なはれた後に、初めて、社会構造の淘汰が自律的な課題として現実化されるのである。」(断想Ⅱ)

これはアジアという地域の特長は社会構造を上から支配者が与えて、それを逆らわずに受け入れて、黙々と従い、社会構造がいいのか悪いのかさして関心がないということを指摘しているのだと思います。そう言われると思い当たることがあるでしょう。私はおおい…

「アジア精神の将来は、決して悲観すべきものとは思はれない。併(しか)し、現実的な抑圧がその光輝を剥奪(はくだつ)してゐるのである。」(断想Ⅱ)

アジア精神という言葉に戦争期の思想的な影響が出ていると思います。アジアの思想の一番怖ろしいところはアジア思想の一番苦手な共同体の思想の中にあります。共同体の思想、つまり共同の幻想の領域に個人と家族というものを引きづり込んでしまうところです…

「意味ない言葉こそ本能的といふことが出来る。」(風の章)

これは若い頃の吉本の言葉であって、その後の吉本であれば言葉についてこういう言い方はしないと思います。つまり本能的という言い方はしない。吉本は後年の言語論において言葉を意味を指し示す指示表出という概念と、価値を表す自己表出という概念の織り成…

「文学から僕は倫理を学んだ。恐らくは作者の意図に反して。だが、恐らくは作者の苦しみに即して。」(風の章)

文学者でもミュージシャンでも漫画家でも、あるいは身近な家族、友人でもいいですが、本当に気に入って追いかけたり深くつきあっているとふっと分かることがあるでしょう。それはその相手自身ももしかしたら気がついていないことだったりするでしょう。それ…

「僕が何よりもこの著書について驚嘆を禁じ得なかったことは、それが感性の高次な秩序を要求するといふことであった。僕は、この点についての多くの信者たちの悪循環をよく知ってゐるし、彼等に悪循環をさえ要求するような見事なマルクスの思想も知ってゐた。唯、僕が何故その悪循環を経験しなかったかと言へば、それは、僕の全く対蹠的(注・たいしょてき。正反対の位置関係にあること)な部門についての少しの修練があったからである」(カール・マルクス小影)

感性の高次な秩序を要求するというのはどういうことか。まず、資本論に表現されているマルクスの思想は何百年、何世紀というような時間の幅の上に成り立っているわけです。そういう大きな時間の中で自分のいる社会を考えるということ自体が感性を変えるでし…

「若し、現象を論理的に解明しようと欲するならば、この基本反応(注・動因を原理的なものに還元すること。帰納法のこと)に、若干の偶然的要素を加へて、各人がなすべきところのものであると思ふ。資本論は、正しくこのやうな抽象的といふことの持たねばならぬ重要さを具へてゐたと言ふことが出来る」(カール・マルクス小影)

この文章は前々回の解説でも引用したので同じことを繰り返す感じですが、要するに原理的な考察を行うときには具体的な現実の現象の分析から始めるわけです。マルクスも大英図書館にこもって膨大な歴史資料の山から現象の背後にある原理的な法則を発見しよう…

「(カール・マルクスの資本論について)僕はこの極めて抽象的であり、同時に原理的である論理の発展法が、僕の思考の原則に一致するように思はれた」(カール・マルクス小影)

この初期ノートの文章の前に書かれていることは、マルクスの思想の多くの間違いがあったとしても、逆に完全に間違いがなかったとしても、それは自分(吉本)にとって重要ではないという文章です。ではなにが重要だったのか。それが続きのこの文章になります…

「殊にいささかでも、自らの精神について何らかの苦闘を経て来た者は誰もが、思想といふものが如何にして形成され、如何にして発展せられるかを知ってゐるだらうし、そうすれば、幼稚な無関心でもって、思想と人間、現実と理論との必然的な関連や、微妙な断層を等閑に付することはしないであらう、と思はれた」(カール・マルクス小影)

思想というものはなんらかの形で人が個に追いやられ、追いやられた孤独の中で自分にとっての世界を回復しようとするものだと思います。だから個に追いやられたというのがいわば思想の出生の秘密であって、その哀しさというものが思想にはつきまといます。そ…

「カール・マルクスの資本論は、大凡(おおよそ)すぐれた著書が持っているあらゆる特質……精緻さ、心情の湧出、理論の完璧、現実性を獲得するまで鍛へられた理論…を具へていた。しかも一瞬もゆるむことのない精神の緊張性によって支へられてゐた」(カール・マルクス小影)

私は資本論をちゃんと読んだことがないので資本論について語る素養がありません。私が言えることは吉本がマルクスの思想をどう捉えていたかについてのおおざっぱな自分の理解だけです。マルクスの思想はヘーゲルの思想をどう乗り越えようとしたかということ…

「人はしばしば論理が現象を説明することの出来ないことを以て、論理に対する軽信を述べるが、僕の見解によれば、論理なるものは、現象の説明といふ責任を当初から負ってゐるものではない。若し、論理が何らかの役割を果すべきものとすれば、それは、すべての動因を原理的なものの基本反応に還元し、その基本反応の組み合わせを以って普遍的であり、同時に、近似的であるところの現象に対する一つの法則を獲得するにある」(カール・マルクス小影)

これはこの文章に続く文を読むと分かりやすくなります。「若し現象を論理的に解明しようと欲するならば、その基本反応に若干の偶然的要素を加へて、各人がなすべきところのものであると思ふ」つまり現象というものには様々な偶然的な要素が混入している。し…

「ランケの歴史哲学は、支配者の歴史哲学である。Uber die Epochen der neueren Geschichte (より新しい歴史の時代について)を見よ。支配者の意思により動かされた諸事件を記述することにおいて、彼の筆は如何に細やかであるか。ここにはあらゆる人間性の種子は疎外されてゐる。マルクスがその史観から〈人間〉を疎外することによって、却って人間を奪回したことと比較せよ。ランケは、偶然を連鎖することによって必然と考へようとしてゐる。」(原理の照明)

ランケってのはぶっちゃけ読んだことがないです。だから吉本のランケの批評が正確かどうかわかりません。だから一般論でいうしかないですが、支配者の側から書かれるのが歴史というものだから、それを細やかに追うだけの歴史観は駄目だと吉本は言いたいと思…

「マルクスの歴史哲学が提示したテーゼ。すべて抽象的なるものは現実的であるといふことである」(原理の照明)

抽象的なるものというのは観念に属します。モノではないわけです。現実という概念にはモノとしての世界ということと、観念としての世界ということの双方が含まれています。そして観念の世界は目に見える、感覚的に捉えられる具体性に富んだところから、抽象…

「〈僕の歴史的な現実に対するいら立ちの解析〉①要するに、根本にあるのは、僕の判断、正当化してゐる方向に現実が働いてゐないといふことから来るもの。②具体的には世界史の方向。③日本における政治経済の現状。僕が現実を判断する場合に、現実なるものが二重構造を持ってゐて、この断層が決定的である」(断想Ⅰ)

これは吉本が現実に対していらだっていることの要因をあげているわけですね。しかしまずもって「歴史的な現実にいらだつ」ということがピンときませんね。このあたりで分かったようなふりをすることが嫌です。分かったようなふりをすれば、知の中に入ること…

「いら立ちといふのは精神の剥離(はくり)感覚である。④僕の判断を実証することが、日本の国において殆んど不可能であるといふこと。⑤僕らの国の権威者によって典型的に表現されている劣等性が、僕に与える自己嫌悪と共鳴現象を呈する。⑥強制的に採用されてゐる日本における経済政策が、貧窮階級の意識的な無視によって行はれてゐること。⑦占有せられた現実。他律的な現実において僕の自律的な判断が占めるべき場所を有しないこと。」(断想Ⅰ)

吉本の中上健次という小説家に対する追悼文をおまけに書きます。私が言いたいことはこのきわめて優れた追悼文の行間にあります。 「中上健次」 吉本隆明 (前略)わたしはこの世の礼にかかわって、かれがのこした人柄と作品の印象をいそいでかきとめなくては…

「虚無からは何も生むことが出来ない。僕はこれを熟知するためにどんなに長く一所に滞ってゐたか!僕は再び出発する。それは何かをすることだ。この世で為すに値しない何物もないように、為すに値する何物もない。それで僕は何かを為せばよいのだと考へる」(エリアンの感想の断片)

今の仕事や勉強や生活が不満で、もっと別の生き方があるんじゃないか。自分が本当にしたいことがどっかにあるんじゃないか。そういう思いに襲われることは誰にもあると思います。吉本もまたそのように自分が本当にしたいことは何だろうと考えたのだと思いま…

「帝王はいまも神権につながれてゐる。あの荘厳で無稽(むけい)な戴冠式や即位式。それから支配者の位置につくものが僧侶の前で宣誓する風習。神権と王権。立法と行政とが、神と帝王から離れて民衆の手に移されるのは何日のことか」(エリアンの感想の断片)

宗教から地上の掟である法が分離して国家を生み出していくとすると、宗教と法にはへその緒のようなものが残ります。そのへその緒が切れるときが立法と行政が民衆の手に移るときです。それは立法と行政、いわば共同体のルールというものから一切の権威付けと…

「戦争に介入してはならぬ。そして僕の抵抗の基盤は、僕の畏敬する多くの人たちが死ぬのが堪えられないからだ。そして僕の軽蔑する人たちは、戦争が来やうと平和が来ようといつも無傷なのだ」(風の章)

戦争というのは吉本にとってただの言葉でも概念でもなく、自分の命を賭け、周囲の近親や友人が命を失った体験です。つまり触れれば血の噴き出る言葉です。もう戦争はごめんだ、戦争だけは嫌だ、戦争っていうのは最低だ、ひどいもんだ、それが敗戦当時の多く…

「社会は最早、無数の秩序ない抑圧の集積だ。居場所を喪った僕の魂は遥かな地下を歩いてゐる」(形而上学ニツイテノNOTE)

世の中はムカつくことだらけ。もう引きこもるしか魂を守る手がねーよ。現代訳すればそんな感じでしょう。おまけです。田原先生は照れくさいかもしれないけど、吉本が田原先生の著作「初期・性格と心の世界」に対して贈った言葉です。たしかいわゆる本の腰巻…

「神話のすべての特質のうち、何れの神話も持つひとつの性格、それは象徴性といふことだ。神話の象徴性とは、その原始性の産物であり、同時に述語的にはその単純性の産物である。象徴とは常にその原因を向ふ側にもつものでなく、こちら側に持つものであり、それが単純なるものは、象徴的であることの必要且つ充分な証明となるだらう。」(原理の照明)

ここで吉本が神話について考えているのは、やはり天皇について解明したいからだと思います。戦時中吉本は天皇を信じていた。それが生き神様だということを信じていたし、天皇を中心とした秩序を信じていたし、天皇の掲げる戦争の大義を信じていた。ところが…

「それ故、神話の科学的な解明なるものは、すべて無意識の心理学的分析に還元せられざるを得ない。さもなくば、それは考古学の問題に外ならないであらうから。」(原理の照明)

単純で原始的な神話の象徴性というものは何故高度な知識人から庶民の人々までを引っさらう力があるのか。それは無意識に関わるからだ。原始から形成されてきた人類の無意識の分析に還元する、つまりそこに分析を集中させなければ解明できない。現代の人間の…

「戦後世代の特質とは、言ふまでもなく、希望の放棄の中にある。希望の放棄…。放棄といふことのなかには、あの狡猾な前世代への信頼の放棄がある。」(形而上学ニツイテノNOTE)

希望を棄てたということは誰かがこの世の中を良くしてくれるだろうという希望を棄てたということだと思います。戦争中は吉本は日本の軍部や政府を信じ、この戦争をやることで日本やアジアが良くなるという希望を持っていたでしょう。しかしその戦争は負けた…

「民衆の最も重要な部分のひとは、社会的無関心を以て、社会的悲惨のなかに陥ちこんでゐる。芸術家と思想家の最も重要な部分のひとは、二千年以来の社会的無関心によって、相も変はらず、楽天的手仕事と切り口上を繰り返へしてゐるに過ぎない。」(中世との共在)

民衆の最も重要な部分の人とは最も民衆の本質的な暮らし方をしている人、つまりちょっと文化的なことや政治的なことにも首をつっこんでいるような人でなくて、生活圏をあまり出ることなく毎日毎日の生活を繰り返して生きている大衆の原像に近い人というよう…