2014-01-01から1年間の記事一覧
この私塾は吉本が自らの「黄金時代」と呼んでいる少年期から青年期の初葉までの時期に通った私塾で、そこの教師が吉本に多大な影響を与えました。そのことは何度か解説したと思いますので同じことを繰り返してもしょうがないですが、なにが多大な影響を与え…
北村太郎や田村隆一が少年のころ、この今氏さんを囲む詩的グループに参加していたということは今氏さんも詩を書く人だったんでしょうね。 この場を借りて、「母型論」に関することを補足したいと思います。何度か解説のなかで触れましたが、吉本はアフリカ的…
この初期ノートの部分が書かれたのは1950年頃のようです。その頃と現在の経済構造はまるで違うと思います。なによりマネー経済が膨大化したことです。物やサービスの生産による実体経済の規模をはるかに超える規模の貨幣だけが回るマネー経済が世界を動き回…
飛躍というのは量から質への変化ということなんだと思います。だからなんなの?ということですが、なんなんでしょう。この断章は倫理について書かれているなかに突然書き込まれているようなものなので、なにを言いたいのかよくわかりません。だいたい発表し…
この初期ノートの部分は「虚無について」という短い章の一部です。この章は私が考えるには、後年「心的現象論序説」で展開した「原生的疎外」や「純粋疎外」という心的現象の根底のありかたを考えた概念につながっていくものです。詳しく解説していくと「母…
わたしには吉本の躍り上がるほどのよろこびはわかりません。しかしこうした文語詩を読みこなす吉本の基礎的な理解力の厚みというものには感嘆します。わたしたちは読者として吉本の努力の成果としての書物を読むことができるだけですが、その書物を作るため…
これは吉本が敗戦後に出会ったマルクスの著作の影響があらわれているんだと思います。平凡で狭い生活圏での生活、つまりあなたや私の生活のなかでのいろいろな悩みや不安は、あなたや私の狭い生活圏のなかにのみ原因があるのではなく、広い社会の現実のなか…
啓示とか天から降ってくるインスピレーションというのは、詩人が作品を書くにあたってよく用いる形容です。吉本はそんなものは信じないといっているわけです。社会現実があって、それが個人の内面に与えるものがあって、それが繰り返されて体得という自覚に…
この「形而上学ニツイテノNOTE」という章は初期ノートのうちでも格別にめんどくさいことが書かれていて、若い吉本の思考癖というか抽象癖というものを知るには格好の文章だと思います。ここで引用されている部分でも「自由」というものを吉本が自分の定…
自覚自体の有償化というのは最初に書いたように、自覚ということをさらに意味づけることなんだと思います。自覚を自覚するというか、意識する、考えるということ自体の根底を探るということだと思います。それは無意識の世界を把握すること、つまり「母型論…
怠惰とはなまけることですが、漱石も高村光太郎もなまけた時期があるそうです。なまけたから偉大な文学者になったということではないでしょう。しかしなまけた体験をその人がどう考えたかということは、その人の思想にとって重要な気がします。それが「怠惰…
歴史的社会的な現実が投影されるものを生理にまで掘り下げて考えている文章です。この場合の生理というのは人間の身体ということになりましょう。身体は三木成夫の研究によれば、外壁の感覚系と内臓系にわかれるわけです。身体の外壁である諸感覚は時代的な…
具体的にいえば、打ち砕かれた方法的な体系というのは軍国主義のイデオロギーということになると思います。吉本が戦中に信じた日本帝国のイデオロギーが敗戦によって打ち砕かれたということです。それを組み立てるというのは、戦後の社会でもう一度自分が信…
これは受け身ということを言っているわけです。受動性です。執着というのは意思です。忘れないぞとか絶対たたかってやるというのが意思です。しかしそういう覚悟や意思というのはもろいものです。それは世界が変わると変わってしまう。しかし世界からやって…
このノートに書かれた発想、つまり古代の人々が生み出した美しい、壮大な、妖しい幻想の土台には抑圧、欠乏の状態に置かれた共同体の生活があるという発想は、粘り強く追及されて後年の「共同幻想論」にまで展開されていったといえると思います。たとえば「…
政治と文学という主題を吉本が十分に解明していない時代の吉本の考察なんだと思います。政治と文学という主題は当時の左翼の大きな問題意識であり、吉本はその主題に取り組むなかで自分の思想の道を発見していったといえます。それについてはまた長い話にな…
このノートの部分(箴言Ⅱ)は1950年〜1952年ころに書かれているそうです。吉本は1950年に何をしていたかというと、大学を卒業して2、3の町工場に就職しますが、労働組合運動で職場を追われて、母校の東京工大の研究室に戻ります。1952年には東洋インキ青砥…
解答の方法はいつもただひとつだというのは、おそらく「考えること」だということじゃないっでしょうか。考えることの深みに入れば人の行動はとまってしまう。ごろごろしてぼーっとしているようにしかはたからは見えないときに、ひとは考えに考えているかも…
宗教というものは個人の自己幻想に浸透してくると同時に、共同性の規範としての共同幻想でもあるという二重性をもっているものだと吉本はいっています。この二重性のゆえに宗教は人間にとって逃れがたい拘束力をもっているのだと思います。では対幻想は宗教…
形式としての芸術はもう必要ない、ということは、「生活そのものが芸術だ」ということだと考えると、これは宮沢賢治が語ったこととつながります。おまけです。「マリヴロンと少女」より 宮沢賢治あらゆる人は皆自分の生きてきた跡を残している。それは鳥が飛…
ここで吉本が黄金時代といっているのは、アドレッセンスつまり思春期のことだと思います。それは少年期から青年期の初葉だということです。徳永英明の「壊れかけのラジオ」のように「♪思春期に少年から大人に変わる〜」という時期です。そのアドレッセンスに…
この私塾の教師というのは以前にも解説しましたが、今氏乙冶さんという人です。この今氏さんは終戦の昭和20年に東京の空襲のなかで亡くなったそうです。敗戦は吉本にとって、思春期に最大の影響を与えられた私塾の教師の死も意味していたことになります。ま…
これは吉本が東京府立化学工業学校に在学中に「和楽路」という学内の文芸同人誌のようなものに書いた詩です。卒業記念号に載っていたそうですから17歳くらいの作品でしょう。これが詩の全文という短い詩です。特徴は韻文だということです。韻をふんで書かれ…
とうろうながせ とうろうながせ この繰り返しがリズムです。リズムが言葉をとおして「大洋」を揺り動かします。それが言語の起源だから。そして吉本の詩では川の底で溺れた子のイメージが登場します。リズムが生み出す「大洋」の底に「溺れた子」がいるとい…
吉本は戦中世代、または戦中派ということができる。戦後世代というのは吉本より若い世代で戦争を青年期に経験していない世代といえると思います。生まれたのは戦中でもまだ子供であって、人格形成のポイントが戦後社会にあるという世代です。作家でいうと大…
観念から現実に降りていくということが痛切に必要とされるということは、現実の変化が観念を崩壊させていることに気づくからでしょう。吉本は常に現実の事象から、これまでの観念ではとられきれないものに気づき、それを解明するために自分自身の観念崩壊の…
こういう文章はリルケの作品の影響を受けていると思います。まあ言ってみれば真似してるわけです。リルケの文章をなぜ若い吉本が気に入ったのかを推測すると、病的な暗い感受性を抱えて、しかしそれでも社会に対する思考というものを手放さないところじゃな…
吉本は自分の体験から思想的な枝葉を伸ばしていく人です。きわめて抽象的な論理の展開にも体験的な感性や記憶がみっしりと裏打ちしている感じです。その自己体験を再現し論理化し普遍化しようとするひたむきさが、吉本に「チョッキ」を着せなかったともいえ…
吉本はこの社会がこれからどうなっていくのか、どうすれば人間の解放につながる方法があるのかということを終生考え続けたわけです。その姿勢を大学教授でもなく政治家でもなく一介の文筆業者という場所で貫いて、その思想が知的な政治的な指導者ぶった人々…
感性の論理化、論理の感性化、それは若き頃の吉本が固執した考えです。それは化学と詩とにはさまれた吉本の生き方とも関わります。吉本はこうした若いころに書いた自己思想と発表したことによる自己責任を生涯を賭けて背負っていったと思います。吉本の人生…