2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

僕は決意したいと感じてゐる。若し現実がこのまま発展してゆくならば、僕らは、再び不幸な戦争の渦中に自らを見出すといふことになるだらう。人々は、傷つき易いように忘れやすい。僕は、執拗に且て自らを苦しめたからそれを再びしたくはないのだ。何人も殺し合ひを好むものではない。併し戦争を阻止するといふことは決して、単に殺し合ひを好まないといふ意志によつて行はれるものではない。若しそのやうに軽信するものがあるとすれば、それは歴史といふものに対する無知に外ならないのだ。戦争とは一つの指向性であつて、これを阻止するには、逆に

戦争は、殺し合いはイヤだ、平和が好きだという意思を持つ人が単にたくさんいれば避けられるか。そんなことはないと吉本は言っています。副島隆彦によれば戦争は国家のおこなう一種の公共事業であるということになります。戦争は軍事産業の大量の在庫を一掃…

これを為してどうするのかといふ問いが絶えず僕を追つてゐる。僕は、それに対して何も大切なことは答へられない。完全に答へられない。僕はすすんでこのノートを取ってゐるのではなく、無理にといつて良い程習慣的に行つてゐるにすぎないのだから。習性は僕を生きさせるという教義は、怠惰な僕がひとりでに得た唯一のたのみと言つてよいものだ。(断想Ⅲ)

習慣ということの意味を初期ノートの時期、吉本は執拗に考えています。なぜ毎日を送るのか、なぜこういうことを今日もやり明日もやるのか。はぎ取っていい理由をはぎ取っていくと、習慣と化しているからやっているだけだということしか残らない。その底には…

僕は沢山の書物の中から師を見付け出す。だがこの師は問ふただけのことについて応へてくれるだけだ。山彦のやうに。並外れた応へとしてくれることを期待することも出来ない。僕が並外れた問ひを用意してゐない限り。それからひとりでに教へてくれることもない。僕が憂ひに沈みきつてゐるとき。何故なら僕はそんな時、書物に向ふこともしないで大方は夜の街々を歩いてゐたから見慣れない家々の灯り。それは唯の灯りであつた。僕が様々の意味をつけようとしてもそれは唯の灯りであつた。結局地上に存在するすべてのものは僕のために存在するのではなか

これは吉本のなかの孤独さが作られていく道筋を自分で説明しているわけでしょう。書物の著者というものとの一体感から引きはがされて自分という個になっていくこと。町の灯りというような地域社会とか庶民の町の光景から引きはがされて個として分離されてい…

わたしたちは自らを完成させるために生きてゐるものではない。また社会変革の理想を遂げるためにでもない。人類といふ概念のあいまいさを思ひみるべきである。人類はない。自らの像がいつもある。自らに対する嫌悪と修正の意欲が、わたしを精神的に生かしてゐるのだと言つたら誤謬だらうか。(断想Ⅵ)

共同の幻想として流布されている自己完成とか社会変革とか人類というような概念に一体化できずに個としての自分を区別する思考作業が行われているのだと思います。実朝の歌を事実を叙する歌だと見た吉本は、かって「固有時との対話」という詩集を書いていま…