2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧
吉本は30歳くらいの頃に、東洋インキという会社の青戸工場で労働組合運動を行い組合長になってリーダーとして会社と戦っていました。この文章はそういう体験をもとに書かれていると思います。私には組合運動の体験がないので、わかったようなことは言えま…
こういう言葉は胸の底に届き、社会に対する目を開いてくれたものです。そして徹底的に闘って必ず敗れていく人物や集団を見抜く目を育ててくれたと思います。そして自分自身も敗れっぱなしではありますが、それが「敗北」という必然に値するものでありたいと…
これは初期ノートのなかの「宮沢賢治童話論」の最後の文章で、宮沢賢治が亡くなった時までを辿った後の感想として述べられています。引用されている宮沢賢治の詩は「種山ヶ原の夜」という劇の劇中歌からの抜粋で宮沢賢治が作詞作曲した楽曲でもあります。宮…
こうして宮沢賢治は死んでいった。宮沢賢治は若くして 死んでいった妹以外には対幻想としての女性というものを、つまり恋人や妻というものがいなかった人だと思います。では自分自身の内面に籠った生き方をしたかというとそうではない。宮沢賢治は生涯自分の…