2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧

わたしは、どのような小さな闘争であれ、また、大きな闘争であれ、発端の盛り上りから、敗北後の孤立裏における後処理(現在では闘争は徹底的にやれば敗北にきまつている)にいたる全過程を、体験したものと信じている。どんな小さな大衆闘争の指導をも、やらしてみればできない口先の政治運動家などを全く信じていない。とくに、敗北の過程の体験こそ重要である。そこには、闘争とは何であるか、労働者の「実存」が何であるのか、知的労働者とは何であるのか、権力に敗北するということは何であるのか、を語るすべての問題が秘されている。(過去に

吉本は30歳くらいの頃に、東洋インキという会社の青戸工場で労働組合運動を行い組合長になってリーダーとして会社と戦っていました。この文章はそういう体験をもとに書かれていると思います。私には組合運動の体験がないので、わかったようなことは言えま…

また、現在の情況の下では、徹底的に闘わずしては、敗北することすら、誰にも許されていない。かれは、おおくの進歩派がやつているように、闘わずして、つねに勝利するだろう、架空の勝利を。しかし、重要なことは、積み重ねによつて着々と処理したふりをすることではなく、敗北につぐ敗北を底までおし押して、そこから何ものかを体得することである。わたしたちの時代は、まだまだどのような意味でも、勝利について語る時代に這入つていない。それについて語つているものは、架空の存在か、よほどの馬鹿である。(過去についての自註)

こういう言葉は胸の底に届き、社会に対する目を開いてくれたものです。そして徹底的に闘って必ず敗れていく人物や集団を見抜く目を育ててくれたと思います。そして自分自身も敗れっぱなしではありますが、それが「敗北」という必然に値するものでありたいと…

私は何とも言はれない悲しみを感じながらこの筆を断たねばならない 「偉大な思想ほど亡び易い」と言つた「ドストエフスキーの生活」の筆者の言葉は実感である 種山ヶ原の 雲の中で刈った草は どこさが置いだが 忘れだ 雨あふる 種山ヶ原の 長嶺さ置いだ草は 雲に持つてがれで 無ぐなる 無ぐなる 種山ヶ原の 長嶺の上の雲を ぼつかげで見れば 無ぐなる 無ぐなる(地人時代後期)

これは初期ノートのなかの「宮沢賢治童話論」の最後の文章で、宮沢賢治が亡くなった時までを辿った後の感想として述べられています。引用されている宮沢賢治の詩は「種山ヶ原の夜」という劇の劇中歌からの抜粋で宮沢賢治が作詞作曲した楽曲でもあります。宮…

偶々その夜近隣の農民が夜おそく肥料の相談を受けに訪れた 家人の躊躇を他処に彼は病床から起き上ると端坐して農民と相対した 彼の最後の力であつた その農夫は二時間位も悠長に語つて戻つて行つた 蔭でこれを聴いてゐた家人は、はらはらしながら 憤激の情をおさへてゐた 彼はそのため疲労の極に達した 明くる二十一日午前十一時半頃容態は急変した(地人時代後期)

こうして宮沢賢治は死んでいった。宮沢賢治は若くして 死んでいった妹以外には対幻想としての女性というものを、つまり恋人や妻というものがいなかった人だと思います。では自分自身の内面に籠った生き方をしたかというとそうではない。宮沢賢治は生涯自分の…