2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

批評家にとつて対象となりうるものは、批評家の宿命と同じ構造をもつた、しかも異つた素材からなる対象のみである。これ以外に対する場合、批評家は自分の宿命を稀薄にするか、または対象をその環境(ミリュ)と同じ程度に稀薄にするか、何れかを撰ばねばならない。(〈批評の原則についての註〉)

たとえば漱石は吉本にとって自分の宿命と同じ構造をもった作家だとみなしたと思います。しかし鴎外は吉本の宿命とは違う構造をもっていたとみなしたと思います。宿命というのは、自分の無意識の構造のことでしょう。意識して行うこととは別の次元で自分の人…

批評家にとつて〈環境〉のなかにおける〈対象〉といふ主題は、常に魅力的である。併しこの場合、〈対象〉は無意識家または無意識的な作品であることを必要とするであらう。そうでないならば〈環境〉のなかにおける〈対象〉といふ主題は、必然的に批評家自身の宿命像の抽出に転化されてしまふ。(〈批評の原則についての註〉)

「環境」というのは時代とか社会とかその作家の生育史とかそういうものだと思います。そういう環境についての自意識がなく、あるいは自己分析がないのが無意識家、無意識的な作品というものです。もしたいへん自意識的な作家が自らの環境も十分に意識して作…

聴きたまへ。貧しい僕の仲間たち。だが並外れた期待は禁じられてゐる。地上に存在するすべてのものは僕たちのために存在するのではなくて、僕たちがすべての存在のために存在してゐるだけだから……。(夕ぐれと夜との独白(一九五○年Ⅰ))

こういう「聴きたまえ」みたいな口調はヨーロッパの文学の翻訳文の模倣でしょう。若き吉本にもヨーロッパの文化へのあこがれや陶酔があったのだと思います。それは吉本のナルシチズムでもあるんだと思います。しかしそういうナルシチズムは現実意識と反省意…

すべての美や真実や正義を、神へ、それから権威へ、それから卑しい帝王へ与へてきた人類。空しくそれを習慣や儀式のなかに、保存してきたひと達。神権と王権との結合。(夕ぐれと夜との独白(一九五○年Ⅰ))

ここで翻訳口調でちょっと陶酔しながら吉本が言っているのは、日本の天皇制のことです。天皇制であろうが王政であろうが教祖様であろうが、それがおかしいというのはわかっている。しかしそれがなぜ強固な信者によって守られているのか、なぜそれが成立し、…