2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

若し社会なるものが今日、日本の文学者における如く、自らに食を与へる一つの機能であるにすぎないならば、僕は斯かる社会なるものを必要としないだらう。併しながら、社会なるものは僕の精神にとつて明瞭に一つの場処を占めてゐる。(原理の照明)

この文章はこの下の「ゼミ・イメージ切り替え法」の文章と続いています。それを合わせ読むとわかりますが、吉本は歴史的現実、つまり歴史があってその積み重なりの上に存在している現在のこの社会、そのありようを内面の問題にしようとしていると思います。…

僕は恐らく、歴史的現実の諸相を、喜怒哀楽に翻訳するところの機能を精神のうちに持つてゐるのだ。名付けようもない苦悩が、暗い陰のやうに、僕以外の原因からやつてくると、僕はそれに対し、何人も僕に教へることのなかつた種類の、一つの対決を用意せざるを得ないのだ。正しく斯かる種類の対決を且て如何なる思想かも人間に対して残してはゐなかつた。(原理の照明)

歴史的な現実が引き起こした事件、たとえばサリン事件を自分自身の内面の情緒のありように翻訳するということを言っています。サリン事件は吉本に関わらないところで実行され、吉本も事件に巻き込まれたわけではない、しかしその事件は吉本の情緒に暗い陰を…

放浪と規律。僕はこの両極に精神を迷はせてゐる。刻々と僕が人生における一つの岐路に近づいてゐるといふひとつの予感が、僕を一層不安の方へつれてゆく。僕は放棄すべきなのだ、一切の由因を。この国の芸術家達が一様に悩み抜いた分裂が僕の心をも又占めはじめてゐる。恐らくこれは僕の負ふべき僕のゐる精神と社会との風土が負ふべきものなのだらう。だが僕はそれを逃れることは出来ない。人間は環境を必然として受入れることの外に、何もなし得ないから。この国は悪魔の国だ。しかも意地の悪い、卑小な悪魔のゐる国なのだ。(〈夕ぐれと夜の言葉〉

なにを言っているのかよくわかりません。昔この文章を読んだとき、感銘を受けたのは自分の悩みを自分の責任ではなく自分のいる風土の責任だと考えているところでした。すべてを自分の肩に背負わせてはならない、ということですね。自分だけが背負うと風土、…

孤独は凍結するものだ。僕の資性はいま何も語らなくなつてゐる。(〈夕ぐれと夜との言葉〉)

宗教というものは私たちには遠いものですが、しかし世界はまだまだ宗教が大きな力をもっている段階にあります。また宗教にはさまざまなものがありますが、どこかに宗教が人間をとらえる普遍性があるはずです。そのひとつは臨死体験の普遍性なのだと思います…