2013-05-01から1ヶ月間の記事一覧

さて私はその童話の本質を今「夢」であると考へやうと思います そしてその考へを押拡げて見やうと試みます 夢と言ふものが子供の生活でどんなに大きな部分であるかは申すまでもありません 一つの遊戯や考へはみんなその夢を現はさうとしてゐる努力であります 子供達は或一つの夢を作り出した瞬間からもうその夢にのつて、それからその次の夢にまで駆けて行くのです(宮沢賢治童話論 一、序論)

吉本は宮沢賢治が大好きなんだと思います。吉本が傾倒した同時代の文学者というと高村光太郎や太宰治や横光利一などがいるわけですが、その中でも宮沢賢治への傾倒の仕方は格別だという感じがします。それはたぶん資質というところで最も似ているというか、…

又子供達の夢が実際にその手でもつて行はれた場合を考えて見ます 残念なことには子供達には経験とか知識とか言ふものがどうしても不足なのです そして子供達はその夢を空しく放棄してしまふより他に仕方がないのです これで子供達の夢の限界が或る一定のところより以上に発達し得ないことは明らかであらうと思ひます 今私は童話と言ふものがこの子供達の夢を充分に拡げるに役立つものであると思ふのです(宮沢賢治童話論 一、序論)

現在の社会で倫理として通用しているヒューマニズムのような倫理の形がどうしても白々しく感じられるという段階が到来していると感じられます。しかしそれに代わる新しい倫理というものが視えてこない。その新しい倫理のあり方というのは、吉本がずっと考え…

数々の夢から分裂する悔恨を僕はとうの昔、忘れはてたと信じてゐる。精神は抒情の秩序を失なつてしまつたから。僕が夕ぐれ語り得ることは嬰児の如き単調なレポートだけなのだ(〈夕ぐれと夜との言葉〉)

この初期ノートは1950年頃に書かれているようなので、つまり敗戦直後の混乱期にいる吉本が書いているわけです。吉本は「精神は抒情の秩序を失ってしまった」と書いています。戦争に敗北し、天皇が人間宣言をし、軍人たちが戦犯として処刑され、進駐軍が…

すると自由といふものはあの長い長い忍耐のうちにしかない。この忍耐はしばしば生きることに疑惑を感じさせる原因となる。(〈少年と少女へのノート〉)

自由というものは長い長い忍耐のうちにしかない、ということを吉本は後年、自由ではなく「自立」という概念にしたといえると思います。長い長い忍耐をして、気がつけば白髪のおじいさんということになります。それじゃ生きることに疑惑を感じるのも無理はな…