2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧

僕は現実社会に依然として存在してゐる権力の支配とその秩序を憎む。だが現実そのものに対する嫌悪、それから人間の条件である卑小性をもつと憎む。(断想Ⅵ)

これは具体的に言うと、たとえば吉本が敗戦後に復員してきた軍人たちを見た時の気持ちにあらわれています。復員兵は大量の物資をリュックに詰めて日本に帰ってきた。それを見ている吉本は、徹底抗戦もせずにおめおめと帰国する兵隊に嫌悪を感じる。なぜ国家…

われわれは善悪の規準をもつてゐない。われわれの肯定的判断を善と規定し、否定的判断を悪と規定するよりほかない。このとき判断もまた絶対の尺度をもたない。ただ生存の量と質とに依存するだけである。判断を規定するのはわれわれの場であり、言ひうべくんば宿命がそれを決定してゐる。故に宿命に忠実なる判断は必ず肯定をとり、不忠実なる判断は否定をとる。われわれの善悪の規準もまた宿命に依存するだけである。(〈批評の原則についての註〉)

ここで吉本は善悪というものの基準を宿命に求めています。宿命という言葉はあいまいですが、われわれが意識を持つまでにすでに存在しているものが宿命でしょう。意識によって主観的に決定できるものではなく、個々の意識の誕生以前からすでにある関係を宿命…

倫理とは言はば存在することのなかにある核の如きものである。願望とか、愛とか、美とか、要するに人間性の現実化に伴ふ、精神作用の収斂点に存在するあるものである。ここであるものと呼ぶのは、それが人間の存在と共にあり、しかも規定され得ない、しかも(しかるが故に)人間の存在を除外するのでなくては、除外されないものであるからである。それは言ひかへれば人間の存在が喚起する核である。(形而上学ニツイテノNOTE)

吉本にとっての倫理という概念は独特です。普通倫理というと道徳的なことを意味するでしょう。道徳とは社会的な行動における善悪を指すわけです。しかし吉本にとっての倫理とは善悪自体ではなく、善悪という価値観が生じる人間の精神の必然性を指していると…

人間が存在し、しかもこの核が存在自体と衝突する状態、これは虚無と呼ばれる。それ故虚無はポジティヴな意味でも規定することが出来る。これは後に論じられよう。倫理はそれ故何ら道徳的なものを意味しない。道徳的なものを倫理的と呼ぶのは悪しき俗化と言ふことが出来る。(形而上学ニツイテノNOTE)

核が存在自体と衝突する状態、という言い方はわかりにくいですが、たとえばあることが正しいとか正しくないとか言われているなかで、そもそも正しいとか善悪という価値を生み出すものは何かというような問題意識を抱くとします。するとここで言うような核、…