2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧

現実は膜を隔てて僕の精神に反映する。この膜は曲者だ。言はばそれは僕の精神と現実との間にある断層の象徴としてあるわけだが……。この断層は僕の生理に由因するかどうか。(断想Ⅵ)

ここで「膜」といっている概念はあいまいです。「現実」というのも「精神」というのもあいまいだと思います。「生理」というのもあいまい。それはその後の吉本の思想から逆に照らしてあいまいだと感じるわけです。ここには共同幻想、自己幻想、対幻想という…

人が何かをする事さへ確かなら、少し位待つたつて何でもない。〈オーギユスト・ロダン〉(断想Ⅵ)

吉本の「心的現象論」の「序説」が「試行」誌上で始まったのが1965年、「本論」が「試行」の終刊とともに終わったのが1997年。なんと32年間の歳月を費やして「心的現象論」は書かれ続けてきたわけです。「少しくらい待ったって」という言葉の重さというもの…

文字にうつされた思想……そこにはもう生理はなくなつてゐる。(風の章)

生理がないというのは、なまなましい情動が文字にしてしまうと失われるというようなことだと思います。それでも同時代の読者が読む場合は、同じ時代の空気や事件や風俗を共有していますから文字の背後のなまなましい内面も推測がしやすい面があります。これ…

あまたの海鳥が海の上で演じてゐる嬉戯――それは幼年の日から僕の意識の中に固定した像を結んだ。港 船舶 三角浮標 それからクレエンの響き いまも残つてゐるのはその響きである。(風の章)

これは吉本が幼少期をすごした佃島のあたりの光景でしょう。吉本は自分の出生とか生い立ちとか人生の経路とかを隠したり美化したりすることのない人です。失敗は失敗として挫折は挫折として貧しさは貧しさとしてそのまま表現できる人です。なんとか自分じゃ…