2014-05-01から1ヶ月間の記事一覧

豊富な世界で富は果実のやうに分配せられます。彼等は窮乏する世界をかへりみる要なき者たちです。これは彼等の習性ではなく、人間が負ふべき習性です。人間の習性のうち最も普遍的なものは、自らの必要なくしては何も産み出さず、自らの必要なくしては何事も為さないといふことです。窮乏する世界の人達は自らの窮乏を思考せざるを得ません。そしてその結果何を産むでせう。(原理の照明)

吉本はこの社会がこれからどうなっていくのか、どうすれば人間の解放につながる方法があるのかということを終生考え続けたわけです。その姿勢を大学教授でもなく政治家でもなく一介の文筆業者という場所で貫いて、その思想が知的な政治的な指導者ぶった人々…

恐らく精神についてのあらゆるものは、既に思考し尽されてゐる。僕にはただ一つの可能性が見える。それは古い精神の秩序を組織して新しい精神の秩序を組立てることである。僕には、感性を論理化する習熟によつて、論理を感性化すること以外にその道がないように思はれる。実践はここで、論理を感性化することの実証を、現実の変革といふことによつて与へるであらう。(原理の照明)

感性の論理化、論理の感性化、それは若き頃の吉本が固執した考えです。それは化学と詩とにはさまれた吉本の生き方とも関わります。吉本はこうした若いころに書いた自己思想と発表したことによる自己責任を生涯を賭けて背負っていったと思います。吉本の人生…

世界の三聖を釈迦、孔子、キリストと言ふ。釈迦は一番利口だから金仏になつてゐる。キリストも相当利口だつたらうが、惜いかな磔の像になつてゐる。孔子は馬鹿だから何にもなつてゐない。私が誰が一番好きかと言へば論なく孔子を第一 とする。決して用ひられそうもない大経論をふところに、狗のやうに諸国を廻つ た孔子こそは、私達が最も近づき易い感じがするのである(孔丘と老耼(たん)後記)

これは吉本が初期ノートの発刊のとき、自分の初期の文章を読み直して恥ずかしいと感じただろう若気のいたりのような文だと思います。つまりわかっちゃいないくせにわかったように書くのは恥ずかしいことですからね。あえていうなら、大きな思想を抱いている…

孔子は政治と言ふものが、民の中にあるのを知つてゐた。孔子は終に政治は一人の人民を救ふ事に遙かに及ばないのを悟つたのである。この点は現在に徴して私達に幾多の示唆を与へてくれるものがあらう(孔丘と老耼(たん)後記)

孔子の思想がここで吉本がいっているようなものなのかは私にはわかりません。しかし孔子を離れて、政治が民のなかにあるとか、政治はついに一人の人民を救うことに及ばないという考え方は後年の吉本の思想に継続していると思います。政治が民のなかにある、…