2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

○科学者とは、科学に没入し、次に否定し、次に肯定し、これを超克した人にのみ与へられる名称である 科学に没入したのみの人を科学者とは言ひ得ぬ それは泥と飯とを前に並べられて泥を撰ばずに飯を喰ふ小児をもつて栄養学者と言はれないのと同日である。(科学者の道)

科学にしても栄養学にしても知識の世界、知の世界ということですね。吉本は知の世界に没入していくんですけど、どうしても没入しきれないものがある。知の世界よりも現実の世界のほうが大きいと感じるんでしょうね。それは特別な現実じゃないんで、ごくあり…

○矛盾的自己同一の世界では、それに於てあるものが相対立し空間的に一である 即ち世界は多の一である かかる方面に於ては何処までも物質的であるがそれが一の多として時間的であるとしては生命的である 而してそれが何処までも時間的として多否定的なる時世界は全体的一として自己形成的となる かかる場合個物は世界を宿すものとして個体的となり身体的となる かかる方向に於て我々は意識的となるのである 意識の世界は現はれるのである。(科学者の道)

矛盾的自己同一というのは西田幾多郎の概念だろうと思います。読んだことがないので解説はできませんが。手に負えないのでパスさせていただきます。おまけありません。

戦後、わたしは、どんな解放感もあたえられたことはない。聖書があり、資本論があり、文学青年の多聞にもれず、ランボオとかマラルメとかいう小林秀雄からうけた知識の範囲内での薄手な傾斜があり、仏典と日本古典の影響があつた。戦争直後のこれらの彷徨の過程で、わたしのひそかな自己批判があつたとすれば、じぶんは世界認識の方法についての学に、戦争中、とりついたことがなかつたという点にあつた。おれは世界史の視野を獲るような、どんな方法も学んでこなかつたということであつた。(過去についての自註)

吉本にとっての敗戦は、こころの底から信じ込んでいたものが間違いであったと気づかされたということでした。日本の軍国主義が教え込んだ歴史や世界や現状というものが、間違いに充ちたものだと気づいた。それは宗教団体のなかで育って、まったく疑うことな…

ひそかに経済学や哲学の雑読をはじめたのはそれからであり、わたしは、スミスやマルクスにいたる古典経済学の主著は、戦後、数年のうちに当つている。いま、それらのうち知識としては、何も残つていないといつて過言ではない。このような考え方、このような認識方法が、世の中にはあつたのか、という驚きを除いては。(過去についての自註)

副島隆彦が述べていたことで「それだ」と思ったことがあります。日本人の評論家というのは、自分を問題の外側に置いて語るやつが多いということです。自分の立場をはっきりさせないで、問題の枠外に超然としているように語る。それを知的とか思っている。欧…