偶々その夜近隣の農民が夜おそく肥料の相談を受けに訪れた 家人の躊躇を他処に彼は病床から起き上ると端坐して農民と相対した 彼の最後の力であつた その農夫は二時間位も悠長に語つて戻つて行つた 蔭でこれを聴いてゐた家人は、はらはらしながら 憤激の情をおさへてゐた 彼はそのため疲労の極に達した 明くる二十一日午前十一時半頃容態は急変した(地人時代後期)

こうして宮沢賢治は死んでいった。宮沢賢治は若くして
死んでいった妹以外には対幻想としての女性というものを、つまり恋人や妻というものがいなかった人だと思います。では自分自身の内面に籠った生き方をしたかというとそうではない。宮沢賢治は生涯自分の故郷の地に生きる農民の人々とともに生きたいと思っていたように感じます。それがこの死の間際の姿にもあらわれています。宮沢賢治にとって自分の作品も、現実の農民のありかたの問題に比べれば軽かったのかもしれません。そのことがまた宮沢賢治の作品の無償性の美しさにつながっているのだと思います。吉本が宮沢賢治を偉い人だというとき、世間的な偉人という意味でいっているのではなく、自分の資質の核にむかってひたすらに進もうとした生涯の貴重さを指しているのではないでしょうか。

おまけです。
「やまなし」のなかのかわせみが水面から飛び込んでくるところです。

その時です。俄かに天井に白い波がたって、青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾のやうなものが、いきなり飛込んできました。
兄さんの蟹ははっきりとその青いもののさきがコンパスのやうに黒く尖ってゐるのも見ました。と思ふうちに、魚の白い腹がぎらっと光って一ぺんにひるがえり、上の方へのぼったやうでしたが、それっきりもう青いものも魚のかたちも見えず、光の黄金の網はゆらゆらゆれ、泡はつぶつぶ流れました。