2013-10-26から1日間の記事一覧

青年期にはいりかけた傲倨(ごうきょ)は、すでにじぶん自身がこの教師を必要としないまでに成長したと錯覚させたのだが、後年、気付いたところでは、そうでなかつたのである。その時期からこそ、はじめてこの教師を全て理解する契機をえたことを意味する。(過去についての自註)

この「教師」という人は今氏乙冶といって東京の深川で私塾を開いていたそうです。吉本は小学校の4年生から7年間という思春期と青春期をこの私塾に通ってすごし、大きな影響をこの私塾の雰囲気と今氏さんからうけたと述べています。今氏さんはその後東京大…

それが人間に判るのは、青年期を過ぎ去ろうとするときである。わたしは、もはや書物以外に教師を必要としないとおもいはじめたのだが、そのとき、この優れた教師は、もはや、この傲倨(ごうきょ)な少年には何を言つても通じないと諦めはじめたにちがいなかつた。(過去についての自註)

この優れた教師というのは今氏乙冶さんですが、今氏塾では生徒の月謝に金額が決められていなかったそうです。塾の棚のうえに箱があり、そこにそれぞれの生徒が親から預かった謝礼を入れるけれど、その額は貧しい家庭は安く豊かな家庭は高めに入れる感じで、…