2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧

夕ぐれが来た。見るかげもない悽惨な僕の心象。だが理性は僕に尚いろいろの思考をやめるなと告げる。政治経済学のこと。革命のこと。それから大変困難な歴史的な現実の分析。ひとつとして他の誰も満足すべき役割を果してはくれない。僕は思はずこの国の学者や、芸術家たちへの非難を並べたくなつてしまふ。だが待ちたまへ。僕は想ひ起こす……(夕ぐれと夜との独白)

吉本隆明は亡くなってしまいましたが、吉本の提起した思想の課題と彼自らが挑んだ思想の展開とはいまだ生きているわけです。つまり「生き体 でいるわけで、思想としてはとっくに「死に体 になっているのにゾンビのようにメディアや権力の周囲に群がっている…

友らはやがて未知らぬ地平に散らばつてゆくだらう。僕は又未知らぬ地平で営むだらう。(原理の照明)

どう営むか。それは現実的に営んだのは根津千駄木の下町の家ですが、観念が営んだのは荒野にテントを張るような単独行だったと思います。「擬制の終焉」という論文だったと思うんですが、昔々安保闘争のあとに書いた吉本の文章のタイトルのわきに書いてあっ…

死はあまりにも普遍的なものであるから、誰でも死のまへでは貧しい人々になるものです。それは死においてすべては均質化せられるので、その前提として勲章や位階や富などが沈黙する外はないのだらうと思ひます。(〈少年と少女へのノート〉)

吉本さんの追悼文として少し書き足します。吉本さんが考えたことは著作を読むしかない。しかしあれだけのことを考えて考えて死んでいった吉本さんの生活人としての姿は、吉本さんの観念のあり方ほどはよく分からない。しかしそれでも垣間見えるものはありま…

僕は眼を持たない。眼なくして可能な芸術。それは批評だ。(原理の照明)

吉本は視えないものを視、聴こえないものを聴く。分かりやすくいえば、どこにも書かれていない発言もされていない秘された個人の心の奥に触れることができる。私の若いころ大学闘争が盛んだったころ、教授がつるし上げられたり教室がバリケードでふさがれた…