2013-10-01から1ヶ月間の記事一覧

青年期にはいりかけた傲倨(ごうきょ)は、すでにじぶん自身がこの教師を必要としないまでに成長したと錯覚させたのだが、後年、気付いたところでは、そうでなかつたのである。その時期からこそ、はじめてこの教師を全て理解する契機をえたことを意味する。(過去についての自註)

この「教師」という人は今氏乙冶といって東京の深川で私塾を開いていたそうです。吉本は小学校の4年生から7年間という思春期と青春期をこの私塾に通ってすごし、大きな影響をこの私塾の雰囲気と今氏さんからうけたと述べています。今氏さんはその後東京大…

それが人間に判るのは、青年期を過ぎ去ろうとするときである。わたしは、もはや書物以外に教師を必要としないとおもいはじめたのだが、そのとき、この優れた教師は、もはや、この傲倨(ごうきょ)な少年には何を言つても通じないと諦めはじめたにちがいなかつた。(過去についての自註)

この優れた教師というのは今氏乙冶さんですが、今氏塾では生徒の月謝に金額が決められていなかったそうです。塾の棚のうえに箱があり、そこにそれぞれの生徒が親から預かった謝礼を入れるけれど、その額は貧しい家庭は安く豊かな家庭は高めに入れる感じで、…

かくして、かれらは、自らの力では、永久に現実を変ええないで、他力だけを頼みにする論理を、勢いにつれて行使し、勢いの衰弱とともに失うという循環をくりかえすにすぎない。(過去についての自註)

これは自らのちからで現実自体から論理を築くことができないというアジア的な特質を突いたことばですし、だから私じしんにも突き刺さってくることばですね。もちろんあなた自身にもね。勉強するのは結構だけど、勉強なるものの結果が偉大な知的な人物の思想…

誤謬は再生産され、歴史的にうけつがれ、またおなじ行路をゆき、青年はやがて老いる。しかし、思想の生命は、このような循環のなかには存在しない、戦争体験の思想的展開は、わたしども、二三のものによつて生命を保たれて現在にいたつている。(過去についての自註)

戦争体験の思想的展開はわたしども二三のものによって生命を保たれて現在にいたっている。この自負の凄さと、たった二三のものしかいないのかという厳しさを昔読んだ時に感じました。でも実際そんな感じだとその後数十年がたった私はおもっています。その時…