2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧

仮りに君が街の市場へ出て飴の棒を購つて見給へ 針金のやうに細く可憐な飴が一本で一円するだらう けれど君はそれを売つてゐるお神さんを恨んではいけないのだ その理由は言ふまい お互に空腹だから黙つてゐても判るだらう 若し君が高い飴を売るお神さんも傷つけず、君自身の心も傷つけたくないと思つたら、甘いものを欲しがる心を抑へて買はないで済ますことだ けれど若し君の心は傷ついてもいゝ唯お神さんが可哀そうだと思つたら敢然として余り甘くもない針金のやうな可憐な飴をながめるがいゝ それとおなじやうに私の無門関を読むべきだ(

この「無門関研究」という文章は1945年つまり日本敗戦の年に書かれています。吉本は20歳くらいです。無門関研究といっても学術的な研究ではなく心情をぶつけたような文学的な文章です。「無門関」というのは中国の宋代(1200年頃)に無門慧開とい…

もう一週間に近くてもまるで身体を八裂きにされたやうな傷心は消えてゐなかつた 頭脳はもう動かず何も為たくなくなつた 電車に乗ればもう停るのが唯つらいのである 走るのが又つらいのである 電車を降りれば歩くのがつらいのである 歩けば止るのがつらいのである 私は無門関の最後に来た 私は今こそ無門関を直視すべきだと思つた もう二週間この状態が続けば私は精神分裂症となるのである(無門関研究)

吉本はいわゆる理性的すぎるゆえにオカルトとか宗教とかに違和感をもっているという人物とはちがいます。逆にオカルト的なもの宗教的なもの、現世を超越したものにたいへん心を惹かれる資質をもっていたと思います。そうした資質は娘の吉本ばななにも受け継…

夏目漱石の孤高は内的には惨憺たる自意識の格闘があり、外的には周囲の低俗との激しい反撥に露呈してゐますが、この根源に於て人間性に対する暖い愛を感じさせ、その愛が余りに清潔であつたための悲劇と解することが出来ます 漱石の苦悩には暖いものがあふれてゐるのです(或る孤高の生涯)

ここで若き吉本が述べている漱石の孤独の底には人間性への愛があり、しかしそれがあまりに清潔であったために悲劇を生んだとか、また後半のノートの文章にあるように宮沢賢治の孤独の底には人間性に対する愛は発見できず、それは科学的な修練が人間性への開…

併るに宮沢賢治の孤独は周囲の低俗との調和を保ちながら、実は徹底した冷たさを感ぜずには居られません 人々は彼の孤独に於て人間性の底に横はる愛を発見することは出来ないのです  常人は彼の孤高の心を思ひやるとき、寒くふるへずに居られません それは科学的な修練が、人間性への開眼に先行したからに外ならないと思ひます(或る孤高の生涯)

科学的な修練が人間性への開眼に先行したから、人間性への愛を見いだせなかったというのは考えられない気がします。科学的な修練などにたづさわる以前に人間は家族のなかで愛情を見出すものだからです。しかし吉本が洞察したように、宮沢賢治のなかに普通の…