2010-06-01から1ヶ月間の記事一覧

〈精神的存在はただ時間によつてのみ変化するが、物体的存在は時間と空間とによつて変化する。(アウグステイヌ)〉(断想Ⅵ)

これは吉本ではなくアウグスティヌスの言葉なので、アウグスティヌスの著作も読んだことのない私にはアウグスティヌスの思想は分かりません。吉本自身の時間と空間の考え方としては心的現象論の序説に出てくる時間化度と空間化度という概念を思い出します。…

人間が何を為すべきかといふことに答へることは不可能だ。人間の為しうることは限定されてゐる。限定された仕事に普遍的な意味を与へうるのは、彼の精神の決定よりほかない。この決定にすべての意味がある。この決定は判断であり、実践ではない。実践とは、常に単純な仕事の連続である。(断想Ⅶ)

精神の決定とは、考え選択することです。選択したら実行、あるいは実践するわけですが、それは手足を動かして行為することだということになります。手足を動かして行う行為、あるいは実践はだから実は単純な仕事の連続だ、というのが吉本の透徹した見方です…

憎悪はこれを訂正することができるが、且て愛したものを愛しなくなることは出来ない。このことは憎悪が偶然的なものに支配されるのに反し、愛は必然的なもの(生理的なもの)に支配されることに由因する。(断想Ⅵ)

愛というのは基本的にひとりの人間とひとりの人間のあいだに生まれるものだと思います。人間が人生の最初に受け取る愛は母親からの愛でしょう。乳児にとっての母親はまだ対象的に母親とは認識されていないと思います。したがって乳児期の母親は乳児にとって…

人間は生存するために卑小(ひしょう)でなければならない。そうして卑小性はぼくたちが歴史的に背負つてきた条件だ。僕らは時間を過去から切断し得ない限り、この卑小性を切断することは出来ない。そしてそれは不可能だ。(断想Ⅵ)

なにを卑小性といっているかよく分かりませんが、この社会の支配の秩序のどこかに組み込まれて、そこで金を稼ぎ、その秩序の感性に飼いならされていくような必然性を言っているのではないでしょうか。先祖代々政府や幕府や領主や地主の下で、生きるために働…