2008-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「僕の精神をあの古い哀愁の秩序に引きもどしてはならない」(原理の照明)

この世界が富める少数者の、一般大衆への支配によって秩序づけられている、という認識を一度「視た」者は、その認識から逃れることはできません。その秩序は観念によって支えられています。そしてその観念が左脳に宿るものとすれば、右脳に形成されるものは…

「独立不屈の精神はこの占有せられた現実を引き裂いてゆく。すべての従属の匂ひを避けよ」(原理の照明)

一般大衆はほんの数十坪の家やマンションを所有するのがせいぜいで、その家を一歩出れば自由に出入りできる空間はありません。巨大な資本と国家が所有する空間の中を虫のように歩いて、仕事をしたり金を預けたり借りたり、食事をしたり買い物をしたり、遊ん…

「他人を非難することは出来る。だが、自分を非難し罰するのは自分だけであることは知ってゐる必要がある。謙譲といふことはここからしか生まれない」(少年と少女へのノート)

これに似た言葉で、吉本がよく引用する太宰治の言葉があります。それは「人は人に影響を与えることも、与えられることもできない」という言葉です。 さらにつながりのある言葉で、吉本がよく引用する親鸞の言葉があります。本がないので正確な引用はできませ…

「薄弱な精神が強烈すぎる現実を歩むさま――様々の自死となって典型的に出現してゐる」(少年と少女へのノート)

自死とは自殺のことですが、吉本隆明は自分の心も死というものに親しい、つまり自殺を考えたり、死について想うことが多いとたびたび書いています。 なぜ自殺をするのか、それは薄弱な精神が強烈過ぎる現実に押しつぶされるからだ、というのがこの文章の意味…

「そこで僕は考へる。何が僕にとって成長であったらうと」(春の嵐)

「そこで」というのはどこでなのかを分かるために、この言葉の前に書かれた文章を紹介します。 「風は今日、冷たい。雲のありさまも乱れてゐる。 僕は少年の時、こんな日何をしてゐただらう。街の片隅で僕ははっきりと幼い孤独を思い起こすことが出来る。執…

「不安ほど寂しいものはない」(少年と少女へのノート)

これだけ読んでも分かりにくいのですが、やや強引に解釈してみたいと思います。 ふつう不安と寂しさは結びつかないと思います。不安は分からないことへの緊張ですし、いっぽう寂しさは情緒であって、情緒は緊張してたら解放されないものだからです。 たぶん…

「豊かな精神は泉のやうにわきあがる。貧しい精神は、沼の干割れのやうだ。それは時代の干割れを反映するのだ。これはお前たちの罪ではない。」(少年と少女へのノート)

これは前の言葉と同じことを別の角度から言っています。おそらくは欧米の豊かな文化的な土壌から生まれる文化・芸術と、日本の敗戦期の貧しい社会から生まれる文化・芸術を並べているのでしょう。 それは敗戦の時に少年少女である者たちの罪ではないわけです…

「薄弱な精神は現実の前にすくんでしまふ。このすくみは、何処から来るか。劣性意識」(下町)

これだけの言葉では分かりにくいですが、この言葉の背景には吉本の、個人の心と時代との関係についての考え方が存在しています。それは重要な考え方です。 私達は通常、個人の生活から生まれる悩みは個人の悩みとして考え、社会については新聞だの評論だのか…

「個性に出会ふ道と、空想を脱する道とは決して別ではない。むしろ同じことを別な表現でしているに過ぎない。」(夕ぐれと夜との言葉)

「オマエは青いね、現実はそんな甘いもんじゃねえよ」という新橋の飲み屋で中年サラリーマンが学生とか新入社員にセッキョーする言い方と、「現実ってタイクツじゃないですか。だからフィギアとかアニメとかにハマるボク達を責めるのは、タイクツな大人の嫉…

「論理は、その極北において個性と出遭ふ。苦しいがそこまで行かう。」(原理の照明)

この言葉は「待ってました!大統領」という感じです。私が一番印象に残った、ということは読後30年くらい忘れなかった言葉です。吉本の初期を一つだけの言葉で表せ、と言われたらこれを挙げるでしょう。 左脳で覚えた言葉がイメージとして右脳に浮かぶ、とい…

「僕は倫理性のない思想を尊重することができない。」(少年と少女へのノート)

倫理とは善悪のことですが、吉本隆明は倫理について若い頃から深く考えてきました。このテーマは大きく、全てを解説できませんが、いくつかのポイントは挙げることができるので、皆さんの考えの参考にしてください。●善悪についての考えも思想ですが、思想は…

「青春とはやりきれないことの重なる地獄の季節だ」(少年と少女へのノート)

吉本隆明の表現の魅力は、一方では骨太で本質的な論理性なわけですが、もう一方ではその論理性が赤裸々な情動や内向的な感受性を裏面に張りつけていることにあると思います。つまり腹の底からの怒りや、精神を危うくするほどの苦しみ、あるいは率直な愛情や…

「視ること。限りなく視ること。視ることの重要さが消え失せることは未だ未だ来ることはない」(少年と少女へのノート)

この「視る」という表記は吉本隆明の私的な愛用語です。目で「見る」というよりも、思考する、本質を見抜く、というような意味合いが込められていると思います。 だからこの文は、現実の事象を直接に対象として、そこから自力で論理や思想を作り上げることの…

「何にでも見付けられる困難だけを信じよう」(少年と少女へのノート)

この言葉は、読んで思い出しましたけど、若い頃「初期ノート」を読んだ時に共感した言葉です。 吉本隆明は思想と現実についてこう考えています。 思想というのは個人の内面にあるうちは、どのようにも考えを広げることができる。その限りでは思想は個人の自…

「精神は環境に従順である」(少年と少女へのノート)

これだけ読めば、環境次第でコロコロ精神は変わるというようにも読めてしまいます。例えば、小説家だった頃や芸人だった頃は、不道徳なことや性悪なことも奔放に書いたり言ったりして面白いところもあったのに、知事になったらコロッと変わってえらく道徳的…