2014-08-01から1ヶ月間の記事一覧

現代の現実が何故に倫理的構造を持つに至つたのかといふことを厳密に考察することは極めて困難であるが、ぼくは次のやうな箇条がこれの解決のために挙げられねばならないと考へてゐる。①一つの原因の周辺に無数の原因が集積するといふ近代社会機構の特質が、現実を二つの極に集中せしめようとしてゐる。この現実の分極といふことは、人間精神の倫理的形成に同型である。換言すればかかる現実の構造は倫理性を喚起せしめるものである。②現代において人間の生存といふ課題が重要な条件として生起してゐる。生存は生存からの上昇または下降として考察

このノートの部分(箴言Ⅱ)は1950年〜1952年ころに書かれているそうです。吉本は1950年に何をしていたかというと、大学を卒業して2、3の町工場に就職しますが、労働組合運動で職場を追われて、母校の東京工大の研究室に戻ります。1952年には東洋インキ青砥…

われわれは精神に無数の問ひを用意してゐるが、解答の方法はいつもただひとつだ。(断想Ⅲ)

解答の方法はいつもただひとつだというのは、おそらく「考えること」だということじゃないっでしょうか。考えることの深みに入れば人の行動はとまってしまう。ごろごろしてぼーっとしているようにしかはたからは見えないときに、ひとは考えに考えているかも…

人間は最早や社会的体制としての宗教を必要とはしない。即ち組織としての宗教を必要としないのである。それ故各人は各々の宗教を持つだけであり、人間の数と同数の宗教が内在するだけである。(芸術家について)

宗教というものは個人の自己幻想に浸透してくると同時に、共同性の規範としての共同幻想でもあるという二重性をもっているものだと吉本はいっています。この二重性のゆえに宗教は人間にとって逃れがたい拘束力をもっているのだと思います。では対幻想は宗教…

それと同様に人間は最早型式としての芸術を必要とはしない。各人が各々の芸術を持つのであつて、それは如何なる類別をも拒否せざるを得ない。(芸術家について)

形式としての芸術はもう必要ない、ということは、「生活そのものが芸術だ」ということだと考えると、これは宮沢賢治が語ったこととつながります。おまけです。「マリヴロンと少女」より 宮沢賢治あらゆる人は皆自分の生きてきた跡を残している。それは鳥が飛…