2010-01-01から1年間の記事一覧

批評家は批評についてたつたひとつのことを言ふことが出来るのみである。即ち、ここに自らの宿命によつて構築された作者の像があると……。(〈批評の原則についての註〉)

作者は自分の内面を作品に表現する。その表現は自由に行われるわけです。自由に自分が作りたいものを作るわけですが、ほんとうに自由かといえばそうとはいえないわけで、村上春樹の作品は村上春樹の作品になるし、村上龍の作品は村上龍の作品になります。つ…

あらゆる思考はそれが感性に依存する部分をもつ限り、瞬間的に生起し、瞬間的に消去する。(断想Ⅶ)

そうかこっちの解説もあったんだ。はやまって挨拶をしちまったい(*^-'*)> この文章はつまり感性というのはころころ変わるからですよね。思考というのは脳が行うものでしょうが、脳の思考という出力に対して入力として影響を与えるものを考えると、身体の表層…

人類はすべて二つの階級圏にわかれたる。その一方は、一方の抑圧と搾取のうちに僅かに生存を維持してきたのである。抑圧は当然、精神の財の貯蔵にそのすべてをかたむけることを余儀なくし、一方はその支配の強化のためにすべての物質財を貯蔵し、このために精神を奉仕せしめた。今や二つの階級圏は自らの方法を転倒せねばならない。(断想Ⅴ)

二つの階級圏というのは資本家階級と労働者階級という意味でしょう。農地とか工場とかオフィスビルとかの生産手段を所有しているのが資本家であり、労働力以外の何ものも持たないというのが労働者階級です。資本家は労働者を雇い、自分が所有している生産手…

最早、僕は自分の言葉が他人に全く通じないものになつてゐることを信ぜざるを得なかつた。あらゆる僕に対する批難は僕の陰で行はれたが、それは手にとるように判つた。どうして?何故?このような問ひは僕に関する限り何らの意味も持つてゐない。どうして?何故?こんな言葉は僕には了解することは出来なかつた。(断層Ⅳ)

ちょっとカッコつけた言い方だと思います。若いなーという。 自分の言葉が通じないというのはしゃべってもしゃべっても通じないということです。もはや書くことでしか通じる可能性はない。しゃべり言葉には盛り込める限界があるわけです。しかし書いたって相…

世界は一つの絶望のなかにある。若し人間精神の所産が人間精神を危機に陥しいれつつあるのが、この絶望の原因であるとするならば、それはヨーロッパの負ふべき絶望であらう。アジアは斯かる段階に対して何ら必然的な寄与をなさなかつた。アジアの絶望はその覚醒を阻害するところの現実に対する絶望である。(断想Ⅳ)

世界は一つの絶望のなかにある、というのは第2次世界大戦後の世界のことを指しているのだと思います。人類の歴史の果てに世界を舞台に戦争が行われ、多くの人間が殺戮された。こんなことが人間の文明の行き着いた結果なのか。これが絶望なのだと思います。 …

この間わたしはほとんど詩人たちと独立にあゆんでゐた。だからわたしはどんな詩人とも一致することを願つてはゐなかつたと言つてよい。わたしが一致することを願つた唯一の対手は、自らの眼で獲得した時代(現代)への認識との一致であつた。(〈詩集序文のためのノート〉)

こういう言葉は誰にでもあてはめることのできる規範的な言葉ともいえます。詩人という言葉を教師なら教師、ラーメン屋ならラーメン屋、サラリーマンならサラリーマンと自分のいる仕事に置き換えてみることもできます。私はいま介護職ですから、わたしはどん…

すべては荒れはててしまひました。そうして唯ひとつも僕らの可能性を裏づけてくれるものは残つてゐないのですからね。この国のみじめな都会が一層みじめになり、不毛の人々が荒れはててしまつても別に言ひようはないのですが、意識的に強制される政治や便乗者によつて行はれる貧窮人の滅亡策は堪えられない。僕らはこのやうな現実から思想としての絶望や虚無を導き出すことは容易です。だが明らかに、僕らをみじめにしてゐる対手が判つてゐるとき絶望にとぢこもることは不可能ではありますまいか。僕らは実践によつてこれを打解する外はありません。

これはひと言でいうと現実の事柄には当面の課題といえるものと永遠の課題といえるものが混在しているということだと思います。現実の事柄というのは常に様々な要素がごった煮で叩き込まれているものです。たとえばある社会、ある会社、ある家族の一定の期間…

歴史は下層階級があらゆる政治的、経済的、道徳的支配から脱すべきことを示す。(原理の照明」)

ここでいう歴史とは永遠の課題といえるような長いスパンをもった歴史概念です。それは悠久の大河のような歴史であって、ひとりの人間の人生に合わせた100年足らずの歴史とは違います。しかしひとりの人間は自分の人生にこの雄大な歴史概念を合わせなければ心…

明瞭にここに貧窮した階級が存在し、一方に富める階級が存在する。あらゆる生産は富める階級に対して行はれる傾向にある。この傾向は貧窮を益々貧窮化せしめる。これは事実の問題であつて理論の問題ではない。(原理の照明)

事実の問題で理論の問題ではないというのは、いい悪いを言う以前に、貧富の格差とその格差の拡大が疑い得ない現実としてあるということだと思います。この格差の拡大の予想はマルクスの資本制社会の予想に基づいているのでしょう。しかしこの予想は外れます…

心理の諸映像を論理に写像すること。これが僕の現在の主題だ。思考を鍛化する操作だ。(原理の照明)

こうした独特の言い回しは化学者としての思考方法からきているんじゃないかと思います。俗っぽくいえば論理を組み立てるときに心情とか感覚とか気分というようなものを論理に組み込むということを言っているのだと思います。実感とは本音というようなものを…

精神の体操は僕を爽快(そうかい)にしたことはなかつた。かへつて衰弱の感覚を与へたのだ。すると僕は精神が肉体のやうな現実性を獲取するまで、それを鍛へるより外仕方がないのかも知れないと思ふ。(忘却の価値について)

精神の体操というのは要するに「考えること」を指していると思います。なんで体操なんていう言い方をするかというと、考えるという作業自体を考えると、考えるとか論理を追うということにはいくつかのパターンがあるために、そのパターンに沿った体操をして…

この世では仕事より高級なことも、仕事より低級なことも、そして複雑ささへ、それ以上でも以下でもないのだから。(夕ぐれと夜との独白)

ここで言う仕事とは給料をもらう職業という意味よりももっと広い意味を含んでいます。まず最初に何もしたくない、何をしていいかわからない、何をしても虚しいというニヒリズムに捉えられたようなひきこもりの時間があり、いうにいわれない内面の格闘の結果…

一日の出来事の浮沈に一喜一憂する父親が還つてくる。次に経済史や社会思想史を熟知してゐる息子が戻つてくる。息子の願ひはただ暗い自負のうちに秘されてゐよう。彼はすべて貧しきものの存在する機構を知つてゐるのだ。息子は放棄の思想を血肉化しようとしてゐる。(夕ぐれと夜との独白)

この息子というのは吉本自身でしょう。またこうした息子、娘というのは世の中にいくらもいるわけです。そして社会のカラクリに目覚めた息子や娘は支配権力と戦いたいと思う。そして実際に政治活動をして逮捕される者も出てきます。かって中野重治という文学…

あらゆる選択のうちで死は、最も確実であり、誰もがそれをとつておきのものとします。(〈少年と少女へのノート〉)

死に誘われ、たえず死にたいと考える。そういう人はたしかにいます。なぜ限られた人生を自然に迎える死を待たずに、死に誘われるんでしょうか。そして死から逃れ、生きようと思うにはどうしたらいいのでしょうか。私はその自分なりの答えをもっています。し…

僕は形骸のみの人間になつてゐる。肉体も精神も痩せてしまつた。(原理の照明)

漫画家の西原理恵子は歯に絹を着せずに真実をずけずけという面白い人です。ついでに言うと西原の弟分のような文筆家のゲッツ板谷という人は私は平成の太宰治だと思っています。ホントかよと思う人は文庫本で出ているゲッツ板谷のエッセイを読んでみてくださ…

〈さらばカイザルの物はカイザルに、神の物は神に納めよ〉(マタイ伝二二の二二)。これは精神の受授の一般形式を物語つてゐる。そして人間のものは人間に納めよと言ふことを象徴してゐる。(夕ぐれと夜との独白)

政治支配と自然(神)とそして大衆。吉本は自分の責任を取る重さに耐えるために、責任のよってきたる基盤を解明しようとしています。政治支配が与える社会苦や戦争死の責任は政治支配者や支配イデオロギーの鼓吹者たちに叩き返さなければない。吉本の責任の…

僕は現実社会に依然として存在してゐる権力の支配とその秩序を憎む。だが現実そのものに対する嫌悪、それから人間の条件である卑小性をもつと憎む。(断想Ⅵ)

これは具体的に言うと、たとえば吉本が敗戦後に復員してきた軍人たちを見た時の気持ちにあらわれています。復員兵は大量の物資をリュックに詰めて日本に帰ってきた。それを見ている吉本は、徹底抗戦もせずにおめおめと帰国する兵隊に嫌悪を感じる。なぜ国家…

われわれは善悪の規準をもつてゐない。われわれの肯定的判断を善と規定し、否定的判断を悪と規定するよりほかない。このとき判断もまた絶対の尺度をもたない。ただ生存の量と質とに依存するだけである。判断を規定するのはわれわれの場であり、言ひうべくんば宿命がそれを決定してゐる。故に宿命に忠実なる判断は必ず肯定をとり、不忠実なる判断は否定をとる。われわれの善悪の規準もまた宿命に依存するだけである。(〈批評の原則についての註〉)

ここで吉本は善悪というものの基準を宿命に求めています。宿命という言葉はあいまいですが、われわれが意識を持つまでにすでに存在しているものが宿命でしょう。意識によって主観的に決定できるものではなく、個々の意識の誕生以前からすでにある関係を宿命…

倫理とは言はば存在することのなかにある核の如きものである。願望とか、愛とか、美とか、要するに人間性の現実化に伴ふ、精神作用の収斂点に存在するあるものである。ここであるものと呼ぶのは、それが人間の存在と共にあり、しかも規定され得ない、しかも(しかるが故に)人間の存在を除外するのでなくては、除外されないものであるからである。それは言ひかへれば人間の存在が喚起する核である。(形而上学ニツイテノNOTE)

吉本にとっての倫理という概念は独特です。普通倫理というと道徳的なことを意味するでしょう。道徳とは社会的な行動における善悪を指すわけです。しかし吉本にとっての倫理とは善悪自体ではなく、善悪という価値観が生じる人間の精神の必然性を指していると…

人間が存在し、しかもこの核が存在自体と衝突する状態、これは虚無と呼ばれる。それ故虚無はポジティヴな意味でも規定することが出来る。これは後に論じられよう。倫理はそれ故何ら道徳的なものを意味しない。道徳的なものを倫理的と呼ぶのは悪しき俗化と言ふことが出来る。(形而上学ニツイテノNOTE)

核が存在自体と衝突する状態、という言い方はわかりにくいですが、たとえばあることが正しいとか正しくないとか言われているなかで、そもそも正しいとか善悪という価値を生み出すものは何かというような問題意識を抱くとします。するとここで言うような核、…

愛は酔ふことが出来るものですが、憎悪は人を覚まします。(〈少年と少女へのノート〉)

この愛とか憎悪とかは誰に対して言っているのか。恋人とか友人のような一対一の関係について言っているのか。あるいは社会的な関係で政府とか政治集団について言っているのか。おそらく社会的な関係における愛とか憎悪とかを言っていると思います。 初期ノー…

人間は自らに出会ったとき同時に時間といふものの構造に出会ふ。(原理の照明)

時間というのは分かりやすくいえば、自分のなかの因果です。なんで俺はこうなんだろう。なんであたしはこうなっちゃうんだろう。その因果だと思います。その因果の奥底には意識の発生以前の胎内や幼児期の時間があります。自らに出会うというのは、その奥底…

夢は破れる。あたかも一角からくづれてゆく意識なのだが、くづれてゆく部分ごとに悔恨に変じていつた。(夕ぐれと夜との独白)

この文章からはどんな夢がどのように破れたかは分かりませんが、いずれにせよ痛切な体験によって起こった自分の心の推移を、化学実験の報告文のような観察力で書くところに吉本の特長があらわれていると思います。痛切さという血の通ったものと、普遍性に至…

死はこれを精神と肉体とにわけることは出来ない。それは自覚の普遍的な終局であるのだから。僕がそれに何かを加へることが出来るとするならば、すべてのひとにとつてそれが無であるとき、僕にとつてそれが自然であると考へられるといふことだけだらう。(夕ぐれと夜との独白)

自然という概念に人類史のすべてを叩き込み還元してしまおうとするマルクスの思想の徹底した姿、というのが吉本のマルクス理解の根底だと思います。それは親鸞の思想の中に吉本が見たものでもあります。それは吉本が自らの孤独な時間の中で開こうとした最も…

〈精神的存在はただ時間によつてのみ変化するが、物体的存在は時間と空間とによつて変化する。(アウグステイヌ)〉(断想Ⅵ)

これは吉本ではなくアウグスティヌスの言葉なので、アウグスティヌスの著作も読んだことのない私にはアウグスティヌスの思想は分かりません。吉本自身の時間と空間の考え方としては心的現象論の序説に出てくる時間化度と空間化度という概念を思い出します。…

人間が何を為すべきかといふことに答へることは不可能だ。人間の為しうることは限定されてゐる。限定された仕事に普遍的な意味を与へうるのは、彼の精神の決定よりほかない。この決定にすべての意味がある。この決定は判断であり、実践ではない。実践とは、常に単純な仕事の連続である。(断想Ⅶ)

精神の決定とは、考え選択することです。選択したら実行、あるいは実践するわけですが、それは手足を動かして行為することだということになります。手足を動かして行う行為、あるいは実践はだから実は単純な仕事の連続だ、というのが吉本の透徹した見方です…

憎悪はこれを訂正することができるが、且て愛したものを愛しなくなることは出来ない。このことは憎悪が偶然的なものに支配されるのに反し、愛は必然的なもの(生理的なもの)に支配されることに由因する。(断想Ⅵ)

愛というのは基本的にひとりの人間とひとりの人間のあいだに生まれるものだと思います。人間が人生の最初に受け取る愛は母親からの愛でしょう。乳児にとっての母親はまだ対象的に母親とは認識されていないと思います。したがって乳児期の母親は乳児にとって…

人間は生存するために卑小(ひしょう)でなければならない。そうして卑小性はぼくたちが歴史的に背負つてきた条件だ。僕らは時間を過去から切断し得ない限り、この卑小性を切断することは出来ない。そしてそれは不可能だ。(断想Ⅵ)

なにを卑小性といっているかよく分かりませんが、この社会の支配の秩序のどこかに組み込まれて、そこで金を稼ぎ、その秩序の感性に飼いならされていくような必然性を言っているのではないでしょうか。先祖代々政府や幕府や領主や地主の下で、生きるために働…

風は吹くのではない。空気が動いてゐるのだ。だから僕は言はう。今日空は荒れてゐると。(〈少年と少女へのノート〉)

風が吹いてくるというのは私たちが馴染んでいる感受性の言葉です。それに対して空気が動いているという感受性は馴染みがない。それは科学的な知識として一般的に理解できるものですが、知識にとどまって日常的な感受性となっているものではないわけです。そ…

〈死はいつも内側から忍び込んで来るのですからね。だから僕らはふり返へらなければいいのだ。いつも厳しいところにゐればよいのだ。〉(〈少年と少女へのノート〉)

うつ状態に閉じ込められた人と話していて気がつくのは、すべてが過去だということです。もう取り返しがつかないという悔しさと恐ろしさと怒りが心のすべてを占めています。人のせいにして攻撃しては、攻撃する自分の弱さに傷ついてまたうつを深めます。どこ…