2013-07-27から1日間の記事一覧

わたしは、どのような小さな闘争であれ、また、大きな闘争であれ、発端の盛り上りから、敗北後の孤立裏における後処理(現在では闘争は徹底的にやれば敗北にきまつている)にいたる全過程を、体験したものと信じている。どんな小さな大衆闘争の指導をも、やらしてみればできない口先の政治運動家などを全く信じていない。とくに、敗北の過程の体験こそ重要である。そこには、闘争とは何であるか、労働者の「実存」が何であるのか、知的労働者とは何であるのか、権力に敗北するということは何であるのか、を語るすべての問題が秘されている。(過去に

吉本は30歳くらいの頃に、東洋インキという会社の青戸工場で労働組合運動を行い組合長になってリーダーとして会社と戦っていました。この文章はそういう体験をもとに書かれていると思います。私には組合運動の体験がないので、わかったようなことは言えま…

また、現在の情況の下では、徹底的に闘わずしては、敗北することすら、誰にも許されていない。かれは、おおくの進歩派がやつているように、闘わずして、つねに勝利するだろう、架空の勝利を。しかし、重要なことは、積み重ねによつて着々と処理したふりをすることではなく、敗北につぐ敗北を底までおし押して、そこから何ものかを体得することである。わたしたちの時代は、まだまだどのような意味でも、勝利について語る時代に這入つていない。それについて語つているものは、架空の存在か、よほどの馬鹿である。(過去についての自註)

こういう言葉は胸の底に届き、社会に対する目を開いてくれたものです。そして徹底的に闘って必ず敗れていく人物や集団を見抜く目を育ててくれたと思います。そして自分自身も敗れっぱなしではありますが、それが「敗北」という必然に値するものでありたいと…