2013-03-01から1ヶ月間の記事一覧

思考は眼を持たない。眼を原材とすることはあつても。従つて画家の仕事、即ち絵画は決して思想の表象ではない。それは眼だ。眼が思考するとき、抽象が表現される。(原理の照明)

言語的世界というものがあって、言語的世界が生まれ出るもやもやとした心の世界があるとすると、その心の世界が形成されるのにはふたつの経路があって、ひとつは身体の外壁系の感覚諸器官から入ってくるもので、もうひとつは内臓系の諸器官から入ってくるも…

やがて痛手は何かを創造することだらう。自然と同じように人間は抑圧をエネルギーに化することが出来るものなのだから。〈三月*日〉(夕ぐれと夜との独白)

この考え方も初期ノートのなかに何度か登場するものです。吉本の文体には化学の学徒としての教養と体験が入り込んでいますから、これもエネルギー不変の法則みたいな記述になっていると思います。吉本にはなにが痛手だったのかと考えると、さまざまなことが…

芸術の精神をあらゆる他の精神から区別する唯ひとつの要素は、それが人間をして彼自身の価値を放棄せしめるといふことである。(断想Ⅳ)

なんだか難しい言い方をしていますが、私なりの平ったい言い方で解釈すると芸術というのは植えつけられた価値観を疑う、ということをどうしても伴うということじゃないかと思います。世間に流通している価値の秩序というものがあります。知識のあるほうが無…

現代においてわれわれから寂寥を奪つてゐるものは事象の高い速度である。それ故われわれは既に受動的な寂寥を失つたと言つてよい。われわれの寂寥は世界に対する能動的な寂寥である。われわれの精神は今や包むもの(世界)としてしか存在し得ない。(〈寂寥についての註〉)

1980年代に入ってから吉本は「マス・イメージ論」を書き、高度資本主義とか超資本主義というべき現在の社会の解明に力を注ぐようになりました。その一連の考察のなかでこの文章にも出てくる「速度」の問題を取り上げています。社会的な速度、時間の流れ…