2008-01-01から1年間の記事一覧

「僕はすべてを抽象に翻訳しようとしてゐる」(断想Ⅰ)

すべてというのは現実ということですね。現実の現象を抽象した概念で捉えようとしているということを言っているわけです。現実というものは様々な要素の混沌としたものですから、それをある思考の方法によって抽象化して抽象化した概念の器に盛るわけです。…

「ヨオロッパは精神の課題を第一義と出来るに反し、アジアは現実の課題を第一義となすべきである」(断想Ⅱ)

アジアというのは要するに農業の中心の世界です。そして西欧とは工業中心の世界としてアジアを支配しようとしてやってきた世界です。そしてアジアは農業から工業へとその生産と経済を移していきます。脱亜であり入欧です。その最先端の優等生が日本です。こ…

「1950年代に入り、自殺者相継ぐ。プロレタリアートの貧困、中産階級の窮迫は急。電産、金鉱連、ストに入る」(序章)

これは当時の世相であって、書いてあるまんまですね。敗戦後5年経ったあたりの日本の社会の姿を書いているわけです。空爆で主要都市が叩き潰され、働き手が戦地で大量に亡くなっていますから、経済状態がいいわけがない。焼け跡の世界です。 そうした中で吉…

「コミニスト、ファシスト共に民族の独立を主張す。エリアンこれに不信。祖国のために決して立たず。人類のため、強ひて言へば、人類における貧しいひとびとのため」(序章)

社会主義を標榜するイデオロギーも、民族主義を標榜するイデオロギーも、ともに祖国のためという国家主義を超えられない。では貧しい人たちの側に立つという貧民の側主義は希望なのか。その吉本の当時の決意は、多くの現実と観念の津波をくぐりぬけていきま…

「世界は二つの虚偽に支配されてゐる」(断想Ⅰ)

世界は二つの虚偽に支配されているというのは、おそらく世界が資本主義圏と共産主義圏に分かれていて、それぞれの国家圏の為政者が自らの国家圏を正当化している、その正当化が虚偽だということでしょう。日本の国内で言えば、当時の自民党政権の主張もウソ…

「僕らは、己れの環境を後悔することは許されてゐない」(断想Ⅰ)

前半で疲れちゃったんで簡単にすませます。すいません。 なんで自分の環境を後悔することは許されていないか。それは後悔するためには自分で意思をもって選択する必要があるからです。環境はものごころついた時にはそこにあったものですからね。親を選べない…

「われわれは自分のなすべき仕事の進路について考へる。つまりどのやうな道を、どの程度のひろがりで、どこへゆくかといふようなことについて考へるわけである。そのとき、われわれが末知らぬ路を歩いていると感じられるならば、われわれは、すくなくともその道を行ってよいのである」(第二詩集の序詞(草案))

これは未知というか未踏というか、誰も行ったことのない孤独な道を自分は選んで進んでいこうと思うという宣言だと思います。仕事という言葉は、ここでは詩集の序として書かれているわけですから、職業という意味ではなく詩のような表現を行うことを仕事と呼…

「無数の希望とは、希望について考へるぼくたちの精神的情況それ自体のことである。しかし、ぼくたちは精神の働き自体をどこかへあづけてしまってゐるのだ」(第二詩集の序詞(草案))

これは宿命ということを言いたいのだと思います。あれこれ考えて希望を語ることとそういう主観的な自由さをよそに、人間の観念を根源的に規定している宿命が別個に存在している。しかしそのことまで誰も踏み込もうとしないというようなことじゃないでしょう…

「やがてわれわれの時代は、均衡の崩壊といふ現象につきあたるだろう。純然たる力学的均衡が人間精神の倫理的な性格を決定してゐるとして、この均衡の崩壊が、人間精神に何の変化を与えるかといふことは考察に値しよう。われわれの認識が少しも予言といふ機能をもたないとしても。この均衡の崩壊によって、人間のもっている組織に対する畏敬の滅したることは容易に考えられる」(断想Ⅷ)

何を言ってるのか分かりにくいので、少し噛み砕いて考えてみます。均衡というのは社会の秩序のことを言っているのだと思います。社会というものの主な要素は国家、企業、家族、そして個人というものだと考えてみます。こうした要素がある秩序を現実に保ち、…

「組織といふのは人間の精神の理論的判断の集成であることは違ひないとしても、その実られた果実でないことは確かである」(断想Ⅷ)

実られた果実どころか、きのうまでえらっそうに世界を脅していたアメリカ政府という組織は足元のアメリカの一般大衆から腐った果実のように見捨てられようとしています。しかし見捨てたくても結局政府のメンバーを入れ替えることしかできないでしょう。世界…

「組織の下における精神の生産者はつねに疎外される。精神はつねにその深度をもってゐる」(断想Ⅷ)

この文章の前半は具体的に言えば、会社の中で会社の方針や上司の判断を超えて考えようとする人は煙たがられるというようなことです。組織というものは下の方の人間の意向を取り入れようとするか、あるいはワンマン的であるかに関わらず、最終的にはトップ、…

「われわれによって解決されるべき問題は、先づわれわれ自身によって深化せられなければならない」(断想Ⅷ)

われわれによって解決されるべき問題というのは、自分達の生活や社会に関わる問題ということです。それをわれわれ自身以外の者が扱うということは、知識人とか政治家とか官僚とかが扱うということです。知識人とか政治家とかが社会について語り、こうあるべ…

「わたしは決して眠りたいとは思はない。限りない覚醒を欲する。わたしが覚めきったまま、わたしの死をむかへる、そのやうな一種の凄愴(せいそう)な光景を思いうかべる」(断想Ⅵ)

これは醒めていたい、ということを言っているわけです。醒めるというのは、言い換えれば対象と一体化したり、対象に包み込まれたりしないで、対象を突き放して認識する精神の態度です。それは西欧的な学問・思想・科学の態度と言えます。その果てに、自分の…

「信仰といふのは一種の収斂性。精神の収斂感覚である。人は信仰によって何を得るか。ひとつの不均衡である」(断想Ⅵ)

これも吉本自身の戦争中の信仰体験が回想されているのだと思います。死と取り替えられるかという、ぎりぎりの一点に収斂して問い詰められたところに生き神様としての天皇への信仰があらわれた体験です。 吉本は「一言芳談抄」という日本の中世の有名無名の宗…

「思考操作の可鍛性について。極めて精密に、極めて展性的に、行ふこと」(形而上学ニツイテノNOTE)

可鍛性というのは鍛えることができるということです。展性的というのは伸び広がっていくということでしょう。考えるということは鍛えることができる。極めて精密に伸び広がるように考えるようにしようと自分に言っているわけです。 考えることは人間の人間的…

「一つの立場はそれを深く鍛化することによって多くの立場に変ずる」(形而上学ニツイテノNOTE)

吉本の思考の体操に即して言えば、例えば「原子力発電所の建設に賛成か反対か」という問題があるとします。第一型の思考の浸透によって考えるならば、原発の安全性とはいかなるものかを調べることになるでしょう。それは核という人類が発明したエネルギーに…

「夕ぐれが来た。見るかげもない凄惨な心象」(風の章)

自分が命を捨てて闘おうとした国が無条件の降伏をして、その存在のためにすべてを賭けようと思いつめた天皇が人間宣言をして、今までの考え方は軍国主義で過ちだったと、戦争中は抵抗もせずに黙っていた連中が大声で演説を始める。そんな社会のあり方が嫌で…

「猫のように身をこごめて一日を暮した」(風の章)

ひとりの方が楽だからひとりになって、そんで歩き回るんだけど歩きくたびれちゃって、どっかのベンチに座ってしょうもなく景色を見てる。そんなことがよくありました自分。ネコのようにというよりも、牛のようにかもしんないけど(/_・) こんなんで社会で生き…

「人間は何かを為さねばならないが、何かを為すために生きるものではない」(断想)

何かを為すとか、何を為すべきかというようなことは、人間の人間的な部分が問いかけるものだと思います。つまり意識とか観念とか言語という人間が他の生命にない部分を持っている、その部分が問いかけるものです。そして人間の人間的な部分は、母親の胎内か…

「人間の生存には意味がない。ただ結果がある」(断想)

憲法の前文にこの文章を入れてほしいと思いますね。日本国憲法前文「人間の生存には意味がない」それは憲法による憲法の無化です。あるいは相対化です。人の世にはルールというものが最低限でも必要で、それが人を助けもすれば苦しめもします。しかしルール…

「肉体は建設することが出来るが、精神は否定する作用なしには何も産み出すことをしない。」(夕ぐれと夜の言葉)

私は犬一匹とネコ二匹と暮らしています。それ以外の人類の家族はみんな出ていっちゃったんでねρ(-ε- ) だから動物の家族と住んでいますが、動物って連中は毎日おんなじことを繰返しますね。腹が減ったら食い物を探し、発情したら異性を探し、眠くなったら寝…

「僕は健全なる精神を畏敬する。だが信じられない」(夕ぐれと夜の言葉)

人間の人間的な本質、それは精神をもつ生命であること、そして精神というものは終わることのない否定性を根本に持っている。だとすれば病気とは何か。吉本が言うところでは、肉体の病気であれ精神の病気であれ、病気という概念を拡張するならば、人間が精神…

「判断のかぎりではないことが余りに多すぎる。」(下町)

「判断のかぎりではない」という言い回しは裁判官が判決を述べる時などによく使われます。判決もひとつの判断ですから。今回の訴えについてこういう判決を下すと、ちなみに、これこれの件についても判決を求められているけれども、こっちの件は今回の裁判と…

「方法といふのは一つの意識性と言ふことが出来る」(方法的制覇)

これも断片的でわけのわかんないことが書かれている、と言えばそれまでですけど(  ̄3 ̄) たぶんこんなことが言いたいんじゃないかと思います。ここで方法と呼んでいるのは、ヘーゲルやマルクスの世界認識の方法です。世界、あるいは世界歴史という概念は、…

「戦争は、常にすべてのものを単純化せしめる。経済、道徳、思想……。」(原理の照明)

戦争が経済や道徳や思想などを単純化せしめる、ということは言い方を変えると、戦争という集団の目的が、個人個人で千差万別であるべき生活や行動や思考を規制して集団の目的に従わせた、ということです。お国のため、陛下のため、戦地の兵隊さんのため、と…

「倫理性とは、精神の単純化の所産である」(原理の照明)

ここで倫理性と言っているのは、集団化された倫理性、言い換えればいわゆる道徳というものだと思います。人間の精神の本質としても倫理という概念を使うのでまぎらわしいですが、そういう根底的な倫理のことを指しているのではないでしょう。戦争のような悲…

「ともすれば病理学が僕の苦悩のうちに入りこんできておびやかしたり、卑怯な振舞を僕に強ひたりする」(エリアンの感想の断片)

ここで病理学と言っているのは精神の病理学だと思います。つまり自分が苦しんで考えている時に、精神病についての知識が、俺はうつ病ではないかとか、分裂病ではないかと不安にさせるということを言っているのでしょう。「卑怯な振舞」とは何かよく分かりま…

「僕は、自分が狂人であることを病理学的に承認してはならない。それは、僕自身に対する敗失であり、あの長かった人間の精神史に対しての、僕の冒涜(ぼうとく)でもある」(エリアンの感想の断片)

これは「エリアンの手記と詩」という吉本隆明の長い詩の一部分です。―― ― ない>― ― つける>― ―― ― から>―このエリアンというのは吉本の自画像を託した物語詩の主人公です。このエリアン自身のこの世に生きられないという思いは、吉本が自分に感じていた思い…

「すべての現象を基本的な原理に還元すること。原理的なものはすべて抽象的である」(形而上学ニツイテノNOTE)

この「形而上学ニツイテノNOTE」は、初期ノートの中でもとりわけ抽象度と緊張度が高い章です。この文章は冒頭の断章で比較的分かりやすいですが、ここから抽象的な観念をじりじりと辿る断章が延々と続きます。それは潜水に喩えれば、普通の人間だったら…

「思考は抽象的なものから現実的なものへ向ふ操作である。現実的なものから抽象的なものへ向ふのは直覚である」(形而上学ニツイテノNOTE)

この直覚ということが分かりにくいです。私もよく分かりません。現実的なものから抽象的な原理に向かうものだって思考を呼んだっていい気がします。しかし言いたいことはこうなんじゃないでしょうか。 思考というものは概念を必要とすると考えます。概念操作…