2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

世界は一つの絶望のなかにある。若し人間精神の所産が人間精神を危機に陥しいれつつあるのが、この絶望の原因であるとするならば、それはヨーロッパの負ふべき絶望であらう。アジアは斯かる段階に対して何ら必然的な寄与をなさなかつた。アジアの絶望はその覚醒を阻害するところの現実に対する絶望である。(断想Ⅳ)

世界は一つの絶望のなかにある、というのは第2次世界大戦後の世界のことを指しているのだと思います。人類の歴史の果てに世界を舞台に戦争が行われ、多くの人間が殺戮された。こんなことが人間の文明の行き着いた結果なのか。これが絶望なのだと思います。 …

この間わたしはほとんど詩人たちと独立にあゆんでゐた。だからわたしはどんな詩人とも一致することを願つてはゐなかつたと言つてよい。わたしが一致することを願つた唯一の対手は、自らの眼で獲得した時代(現代)への認識との一致であつた。(〈詩集序文のためのノート〉)

こういう言葉は誰にでもあてはめることのできる規範的な言葉ともいえます。詩人という言葉を教師なら教師、ラーメン屋ならラーメン屋、サラリーマンならサラリーマンと自分のいる仕事に置き換えてみることもできます。私はいま介護職ですから、わたしはどん…

すべては荒れはててしまひました。そうして唯ひとつも僕らの可能性を裏づけてくれるものは残つてゐないのですからね。この国のみじめな都会が一層みじめになり、不毛の人々が荒れはててしまつても別に言ひようはないのですが、意識的に強制される政治や便乗者によつて行はれる貧窮人の滅亡策は堪えられない。僕らはこのやうな現実から思想としての絶望や虚無を導き出すことは容易です。だが明らかに、僕らをみじめにしてゐる対手が判つてゐるとき絶望にとぢこもることは不可能ではありますまいか。僕らは実践によつてこれを打解する外はありません。

これはひと言でいうと現実の事柄には当面の課題といえるものと永遠の課題といえるものが混在しているということだと思います。現実の事柄というのは常に様々な要素がごった煮で叩き込まれているものです。たとえばある社会、ある会社、ある家族の一定の期間…

歴史は下層階級があらゆる政治的、経済的、道徳的支配から脱すべきことを示す。(原理の照明」)

ここでいう歴史とは永遠の課題といえるような長いスパンをもった歴史概念です。それは悠久の大河のような歴史であって、ひとりの人間の人生に合わせた100年足らずの歴史とは違います。しかしひとりの人間は自分の人生にこの雄大な歴史概念を合わせなければ心…