2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧

唯自分の考へてゐる処を表現しつくして、その時の何とも言へぬ安心から出発してもつと深い自分を見付けて行くのです。文章は少くとも僕達化学者が(化学をするものは皆化学者です。これ以外に化学者の定義はありません)書く時は、その様な安心立命を得るためと、その安心から出発してもつと深い自分を探して行くためであると思ひます。(巻頭言)

この初期ノートの文章は吉本が米沢の高等工業学校にいた時代に「からす」という、「同期回覧誌」というから同じ学年の学生で作る同人誌なんだと思いますが、その巻頭言として書いたものです。まだ若いころに書いたものですが、それでもその後の吉本の表現に…

文章を書いたり読んだりすると、現実を遊離してしまふなどと考へてゐる人は問題になりません。又文章を書いたり読んだりしながら現実を遊離してしまひはせぬかと不安に思ふ人は矢張り駄目なのだと思ひます。僕はその駄目な人間の一人です。(巻頭言)

こういうところは吉本の文章のうまさなんでしょう。「このなかにバカなやつがいる、それはわいや(⌒ー⌒)」というやつですね。深読みすればここにも後年の吉本がこだわった問題があるともいえます。文章を書くとは何か、文章を書くという行為のなかで深入り…

●それにもかかわらず、ある個人の未成熟な経路が、時間的な順列にしたがつていくらか公的な性格を帯びてよみがえるとすれば、そのかげに、言語に尽しがたいほどの愛惜の努力がかくされているとかんがえられる(過去についての自註)

この文章は吉本隆明の初期ノートのなかの「過去についての自註」という文章の冒頭部分にあたります。この文章には前段があって「あるひとつの思想的な経路は、それを「個」としてみるとき、あるひとつの生涯の生活を「個」としてみるのとおなじように、それ…

こういつた愛惜のまえでは、思想の巨きさと小ささとは価値をはかる尺度となえない。かれは、だれが何と言おうと、ひとつの取るにたらぬ個人の、未成熟な時代の作品をよみがえらせるために、どこかでそれを愛惜したのである(過去についての自註)

吉本はどこかで(作家についての自分なりのランキングがあって、そのランキングの基準は作品の出来ではなく、その作家が作品を作らざるをえない必然性です)という意味のことを書いていました。作家には作品を作る契機というものがあり、また作品を公表する…