私は今日「小人」を斯う考へたのである。自分の性格、乃至は人生観といふ針の穴程のものを通して他人を見、他人を批判する、これが小人であると思ふ。小人は自分の主張以外の人を全く排さうとするのである。(随想(其の二))

この文章は前回の文章が書かれた吉本が米沢高等工業高校に進学する前の、東京府立化学工業学校に通っていた当時の「和楽路」(たぶんワラジと読むんでしょう)という文芸誌のなかの文章で、ガリ版刷りの冊子だったそうです。当時吉本は16歳くらいで、これが吉本の発掘された創作のうち最も若いころのものではないかと思います。こういう吉本自身でさえ手に入れることの難しい資料を発掘したのは、初期ノートの編集を行った川上春雄という人の業績です。川上春雄は吉本の書くものを徹底的に発掘したり整理したりして完璧な年表を作成したりした人です。そうした根気のいることを出版社に雇われた編集者という給料の出る立場ではなく、一介の民間の資料発掘者としてやったということだと思います。これは吉本が無報酬で自分の雑誌「試行」にもっとも力の入った心的現象論などの力作を書いてきたことに匹敵するような無償の大仕事だと思います。彼のおかげで吉本の初期の、ほっておけば誰の目にも触れなかったであろう文章を読むことができるわけです。川上春雄と吉本の出会いは吉本が「高村光太郎」を筑摩書店から出版したころで、川上がその本の詳細な誤植の訂正箇所を送ってきたことから手紙の交換が始まったそうです。川上は詩を書いていたそうです。吉本は川上との交流のなかで(ああ、おれはいい読み手をもったな)と思えるようになっていったと書いています。川上はそういう資質であったんでしょうが、吉本の未発掘の資料を徹底的に収集しようと思い立ったわけです。そして吉本が青春を過ごした土地を訪ね歩き、ときにめんどくさがられ、変人と見られながらこつこつとガリ版の文芸誌などを収集していったんだろうと思います。そういう川上春雄の無償の情熱というものが、この初期ノートの背後に言葉にならない言葉として存在しています。
この文章の内容は幼いものですが、さすがに核心的なことに触れています。吉本はよく論争をしてきた人ですが、自分のしてきた論争について書いていたものを読んだことがあります。その文章がないのでうろ覚えで申し訳ありませんが、ひとつはできれば論争、あるいはケンカはしないで済むならしないほうがいいということでした。もうひとつは、論争、あるいはケンカをするときには、相手の攻めてきたところだけに対応するのではなく、相手の言葉のもっと遠くまで行くように心がけることだということでした。それが相手に勝つことだということです。つまり相手の欠点や欠落を突くのではなく、相手の思想を包括するような思想を作り出せるときに相手に勝つことができるということだと思います。吉本は相手への悪感情、つまり怒りとか軽蔑とかを隠すことなく言葉にしますから、ときに馬鹿とか阿呆とか罵ることもありますし感情的な論争をしているように見えますが、それはいくぶん下町育ちの悪たれ口の解放であって、ビートたけしが馬鹿野郎!とよく言うようなものです。そして言いたい放題のような悪口の背後にはちゃんと相手を包括するような思想の蓄積というものがあることがわかります。そうした包括的な思想がまだできていない領域では、吉本は論争などせずにひたすら現実と原理の両面からその思想の対象に孤独に打ち込んでいます。それは吉本に批判されて悔しくてむかむかして仲間を集めて吉本をけなしたりくさしたりする連中にはけしてわからない吉本の根本の態度だと思います。
ではそんな吉本の「母型論」の解説の続きをさせていただきます。男女の性というものがあって対幻想の形成ということがあります。アジア的段階とマルクスが名づけた歴史段階を吉本は対幻想の形成される古代以前の段階と考えているとおもいます。その段階のなかで形成されていった対幻想はそれ自体の観念としての構造をもつことになります。その構造のなかで氏族内婚制が氏族外婚制に移行していく。婚姻の制度が大きく変化するわけです。そして氏族外婚制への転化が人類の初めての国家の形成におおきく関与する。そこで対幻想の構造ということが問題になっていくわけですが、それは動物と同じような身体生理的な性というものが、どのように観念としての性に分離していくかという問題でもあります。このあたりのことを心的現象論の本論から解説してみたいとおもいます。
ざっくりと核心的な部分を引用してみます。
「おそらく、<観念>としての<性欲>は、遠隔の対象にたいしても直接的な接触を行いたいという願望あるいは必然性が、はじめて発生させたものであり、そのばあいの<性>的な接触を、個体と個体のあいだで保証するものは、<観念>としての<性>いがいにはないという理由によっている」
 「心的現象論」の「身体論」の「3 フロイトの身体論」より引用
観念としての性欲というのは対幻想のことだと考えてよいと私はおもいます。対幻想はどのように発生したか。それは遠隔の対象にたいしても直接的な接触を行いたいという願望あるいは必然性が発生させたのだと吉本は述べているわけです。このばあいの遠隔というものをアジア的段階の問題に置きなおせば、それは他の氏族の男または女に対する接触の願望あるいは必然性だと解釈することができます。なぜ自分が幼いころから親しんだ同じ氏族の部落の兄弟姉妹ではなく、見知らぬ他の氏族の男または女と接触したいと望むのか。それは観念というものが遠隔のものを志向する本質をもっているからだとおもわれます。その観念の本質を性的なばめんで考えるとより遠隔の異性と接触したいという観念の願望ということになると思います。その問題と同時に近親相姦の禁止という掟の問題があります。近親の親兄弟との性行為の禁止ということと、遠隔にある他の氏族の異性への接触の願望ということは表裏をなしているわけです。
「なぜ、近親姦の<禁止>は、未開の社会のある段階で普遍的に行われるようになったのか?それは、<家族>の共同体が、<氏族>の連合体の内部で内閉的になり、凝縮して、独自な位相を占めるようになり、もはや、観念の自然過程としての<遠隔対象性>を、<家族>の<壁>のところで阻止しうるまでに強固になったので、近親姦の<禁止>は発生したのだ、と。そして、これがさしあたって、近親姦の<禁止>という観念の内在性を、正当づける、いまのところ唯一の根拠であり、それ以外のどんな理由も、うさん臭いものにすぎない、と」 
 「書物の解体学」(昭和50年 中央公論社) ジョルジュ・バタイユの章より引用
ここで遠隔対象性を観念の自然過程と呼んでいます。観念の自然過程というのは吉本がよく使った概念で、ほっておいても観念が動いていく志向性、だれでもそう観念は動いていくでしょうという普遍性を指しています。観念がより遠隔なものに対象を求めていくというのは観念にとっての自然な過程、観念のもつ本能のようなものだということです。だから観念としての人間はほっておいても次第に遠隔のものに興味をもつようになる。身近なものは忘れ去られるか、否定されて、山の彼方へ、異郷の世界へと接触の願望を広げていく。ここで吉本の思想にとって重要な観点は観念の自然過程には価値をつけることができないということです。ほっておいてもそうなるものには価値というものは考えられない。だからにんげんは制約がなければ誰でもより遠隔にある観念として知識に惹かれ、いわば誰でも知識人になる志向性をもつ存在だが、知識人であること、知識人になろうとすることはなんら価値の問題とはならないということになります。これが吉本の知識人と大衆についての論理の根底にある考察です。ここから吉本の大衆と知識人、そして政治思想へと解説を進めることができます。しかしそれじゃとっちらかっちゃうからもとに戻りましょう。
ここでは氏族の複数の共同体が部族に飛躍していくのはなぜなのかという問題が述べられています。吉本は心的現象論のなかでフロイトの「身体の諸器官にはそれぞれ性的な意義がある」という吉本のいうエロス覚の考え方を批判しています。エロス覚の存在自体を否定しているのではなく、フロイトが身体生理的な性と観念としての性の分離や矛盾を十分に考察していないことを批判しているといえます。観念というにんげんにしか発生しないものの本質についての吉本の思想があり、それが性についての論議の背後に控えているわけです。この観念とは何かという本質性から対幻想の問題に移り、そして対幻想の歴史的な表現である氏族や部族、そして家族とその近親姦の禁止というような問題にむかっていかなくてはなりません。こりゃたいへんだ( ̄〜 ̄;)
ではまた次回にさせていただきます。