2016-01-01から1年間の記事一覧
吉本が当時の詩の書き方を説明していました。まず白い紙に細い罫線を手書きで引きます。そして毎日毎日2時間ほどの時間、その紙の前に座っているわけです。それが吉本の詩の書き方です。言葉は出てくることもあるし、出てこないこともあります。一行の言葉…
ここまできっぱりと自分の初期のノートの文章についていえるということは大したもんだと思います。とても自分にはいえないなと思います。どうですかあなたは。ではよいお年を。 おまけ「だが動くものとしての現実はあくまでも詩的なものだ。また逆に詩的なも…
この科学と宗教ともうひとつあげれば文学とが、吉本の深く探求したもので、そして探求すればするほど別々の方向に自分を連れていくことを感じるのでしょう。そしてそれらを統合する方法を構想していくようになります。シモーヌ・ヴェイユについての吉本の考…
昔はアインスタインと言ったんですね。アインシュタインを例に、科学の発見者を越えた普遍性のことを言っています。吉本が自分の思想の先に見ていたものも、こうした普遍性だと思います。吉本という探求者、発見者は万人の思想の方法のなかに普遍性として沁…
これはそんなに解説することがないですね。限界まで考え抜こうということです。限界を極端に想定すれば脳細胞が壊れるまで、ということで、そこまでやれば勝利といったっていいんだという若者らしいことが述べられています。実際はよく考える人より、考えな…
吉本が獲得したのは原理だと思います。それは精神の疾患ぎりぎりの苦しみを介して到達したもので、その耐え方はヴェイユに通じるものがある気がします。おまけ ありません。
これは分かりにくい文章ですね。美学から歴史を拒否するって。そもそも美学って何?すべて歴史的なものは現在的な論理と解析のうちに尽くすことができる、というのもよく分からない。要するに現在の文化の先端にある思想や論理で、歴史を論理づけるべきだと…
大庭みなことの対談で、吉本は否定に否定を繰り返した帰り道で他者を許すことができなくてはならないというようなことを言っています。大庭みなこが、その言葉は胸に刺さりますね、と言っていたように私のこころにも刺さります。夕暮れになると吉本は情感を…
しかたなしにということは、本当は共同でもつ希望があればいいということです。吉本がこの文章を書いた敗戦後7年目という時期の共同の希望、日本人としての希望といえばアメリカに追従して戦後の復興を成し遂げて豊かな生活をしようということだったでしょ…
偶然が必然なんだという矛盾を語っています。勝新太郎が「偶然完全」という言葉をよく言っていたらしいです。勝が監督をやるときに台本通りにやらせない。覚えてきた台本なんて死んだものだと言って。その場で出てきた言葉とか、その場で思いついて筋書を編…
宗教性を払いのけたように見せているイデオロギー集団のなかにも理念が宗教的であるものが至るところにあるということを言っているんだと思います。吉本は現在の段階では、宗教だけでなくイデオロギーにも宗教性があって、どちらも普遍的な真理には到達しえ…
沈黙をもってする、というのは書き言葉になる以前の、生活のなかに存在する感情とか体験とか感覚とか痛みとか喜びとかそういうものを通過した言葉をもってする、という意味なんだと思います。インテリぶるなということです。それは普遍的なものから遠ざかる…
こういう西欧の翻訳された文学に影響された比喩を使って書くことは初期ノートの特色ですが、それは若いからだと思います。「今沈もうとしている人類の寂しい夕ぐれ」なんて照れくさい比喩はだんだん吉本は使わなくなります。そういう比喩を自分に許すときに…
イキっとんなあ。 おまけありません。
初期ノートのこの部分は以前にも解説したと思いますが、若い吉本が論理というものにいかに凝っていたかがわかる部分です。スポーツに凝った人がゲームだけではなく、素振りをしたり握力を鍛えたりしようとするように、吉本は論理的に現実の問題を考えるだけ…
「知識」の同時代の範囲を超えることを目指して、自由に感じ考える。それを失うと人類が長い間疑問なくおさまっていた共同体への受動性のなかに退行する。退行は何者かのうへに乗っている安心感といってもいいし、自由を求めることは動揺することといっても…
「形ない暗黒」とか、そういう文学的な表現にとらわれないで考えれば、自分の実生活、家族とか学校とか会社とか地域とかの自分が生きている小さな生活領域に起こっていることを、歴史的現実という普遍的なものに結びつけて吉本は考えているということです。…
真空の時期というのは、現実に向かうことができずに観念のなかに閉じこもっている時期ということなんじゃないでしょうか。「ひきこもり」についての後年の吉本の考えに沿っていえば、それは吉本の「ひきこもり」の時期だと思います。吉本は「ひきこもり」を…
これは吉本が若いころに書いた散文詩「エリアンの手記と詩」の構想を練っている時の文章なんだと思いますこの詩は主人公のエリアンに吉本自身が仮託された物語になっています。どこの国とも知れない国籍不明の舞台を設定した、吉本の数少ないフィクションで…
よくわかりませんが、吉本がいっている「歌」というのは、吉本の心になかだけに秘められた「肯定」のイメージなんだと思います。それは現実のなかで歌われることができないんでしょう。しかし「歌」がないわけではない。それは「25時」のなかで、誰に伝わる…
音楽というのは音楽そのものを指していると同時に、比喩としてアメリカのイデオロギー、ソ連のイデオロギーのことを指していると思います。アメリカから民主主義として押し付けられるものも、ソ連から社会主義として押し付けられるものにも僕の魂は踊れない…
これは解説にしようがないですね。もの判りが悪いというのは、どんな音楽にも踊れないという比喩にあるように否定に囚われた魂のことでしょう。それをなんとかするには思考すしかない。わかるということが否定せざるをえない現実を見渡すことのできる唯一の…
有史以来人類が触れないで済ませた盲点とは何でしょう。書いてないのでわからないわけですが、その盲点は言葉で解明しようとしてもできないのに、いつのまにか体得している。なんとなくわかったような感じがするということでしょう。このなぞなぞのようなも…
吉本にとっての、というか日本人にとっての戦時中の神は天皇だったわけですが、その天皇へ戦後に再び上昇する、つまり信仰することはできなかったわけです。現実に下降しようとしても、その現実に吉本が拒絶するもの、否定するものがうごめいていれば、現実…
宗教から法が生まれ、法から国家が生まれるというのがマルクスの考察だと思います。そういう意味では宗教が否定され、より現実社会に接した法や国家が成立する過程は人類が主体性を獲得していく過程だといえると思います。しかしそれだけで事足れりとするな…
吉本は宗教も知やイデオロギーも信仰のなかに含めていると思います。つまりその両方があるということが、どちらもの真実性に不十分さがあることを意味しているということだと思います。真実をもとめてあらゆる神々の古ぼけた顔を破壊して、そのあとにきっと…
初期ノートの別の個所に「僕は眼を持たない。眼なくして可能な芸術。それは批評だ」と書いてあります。批評というものは論理性であり、抽象性であり、観念です。目で見るとか手で触れるという五感覚でとらえた対象を観念の内部で抽象化していくことは、抽象…
山本哲士という学者がインタビューした吉本の「思想の機軸とわが軌跡」「思想を読む 世界を読む」という分厚い本を読んでみました。山本哲士がしきりに述べていることがあって、それは吉本の思想を理解するということより、吉本とともにこの世界を探求するこ…
この文章は吉本が米沢工業高校時代に友人たちと作った同人雑誌に載せたものだそうで、1943年に書いたものだというからまだ19歳くらいでしょう。吉本が紛失したその同人誌を川上春雄という人が根気よく探し出して「初期ノート」を編集したということで…
これも19歳の若造の吉本の文章ですね。勤労奉仕という言葉に戦争中の風俗があらわれています。人を利己主義でもいいし、不道徳でもいいし、卑怯者でもいいけど、責める人はあんたのほうが利己主義なんじゃないの、ということを言っています。そういう人は…