2016-01-01から1ヶ月間の記事一覧

実践はいつも動機だけに関与されてゐる。そして人間史は無数の動機の、しかも悲哀ある動機の連鎖のようなものだ……と。これだけは僕の心情が、政治史や経済史から保存しておくべきだと思ふ唯一の痕跡だ。それで僕は虚無の歴史の如きものを僕の精神史のなかにも持つてゐると言はう。(夕ぐれと夜との独白(一九五○年Ⅰ))

動機、つまりこうしたいとかこう生きたいというような動機があって人は行動する。つまり実践する。しかし現実とぶつかって最初にこうしたいと思ったような結果にはならないものだと吉本は述べています。現実のほうから働きかけてくる力があって、その力と動…

神への信仰と従属。それはやがて権力と貪らんへの奉仕を人に教へるのではなからうか。(エリアンの感想の断片)

このたった一つのことを信じ込むということの怖ろしさは、キリスト教だけでなくマルクス主義でも同様だということが初期ノート以降の歴史でも証明されたのだと思います。権力と貪らん、あるいはスケベとか不倫とかいじめとか、男女とか集団内での愛憎のすさ…

且て個性の運命を社会学的に解析し得たものはない。否これは解析することは不可能だ。だが解決した者は在る。如何にして?それは行為といふ単純で重たいものによつて。ここでも人は現実といふ魔物に出会ふ。(原理の照明)

あけましておめでとうございます。今年もつたない解説をしていきますので、よろしくお願いいたします。さてこの初期ノートの文章ですが、あなたならあなたの個人としての運命を社会的な面からだけ確定することはできないということを言っていると思います。…

批評家は論理が個性と出遭ふまで待つてゐるべきだ。それ以前に表現されることはすべて生のままの素材にすぎない。如何に多いことか。市場は彼ら似非批評家で黒山だ。(原理の照明)

こうした考え方の出どころはたぶん小林秀雄の宿命論だと思います。個人にはすべて自己資質という根深い「宿命」があり、それを見出すのが批評なので、それには批評家自身の自己資質または「宿命」の発見が前提とされるという考察です。吉本はさらにその宿命…