宮沢賢治には祖国がない けれど彼が日本の生んだ永遠の巨星であることは疑ふべくもありませんでした 彼の非日本的な普遍性に対して私は考へつづけました それの解決は私自身の直面してゐた種々の苦悩の解決に重要な部分を成すことは明らかでした(創造と宿命)

宮沢賢治の祖国のない非日本的な普遍性というものは、ひとつには科学者としての科学の普遍性からきているのだと思います。宮沢賢治は科学者であると同時に熱烈な日蓮宗の信者でした。宗教というものはその発生から国家以前に遡るものです。宗教というのは古代思想だといえるわけで、死とか生命とか宇宙という問題に解答を与える古代思想への傾倒が宮沢賢治の感性に祖国なき、あるいは非日本的な普遍性を与えている他のひとつの理由だと思います。そして科学と宗教という宮沢賢治の体内に深く刻まれたふたつの領域の矛盾というものが宮沢賢治を生涯苦しめ、また優れた作品形成に導いたものだといえます。
宮沢賢治の非日本的な普遍性という意味で吉本が取り上げている宮沢賢治の思想のひとつとして「自然は変えることができる」あるいは「今ある自然よりもっと良い自然は作れる」というものがあります。宮沢賢治に「グスコーブドリの伝記」という作品があります。ブドリという男の子は森のなかで育つのですが孤児となってしまいます。ブドリには科学者としての天賦があって、それをクーポー博士に認められて火山局という火山を管理する役所に勤めることになります。火山局にはペンネンナーム技師という上司がいて、そのもとでブドリはその才能を発揮していきます。ブドリが才能を発揮した最初の仕事は火山が噴火しそうになって、その溶岩流からふもとの町を守るために火山の海側のほうに人工的に穴をあけて溶岩流をそっちに流せばいいと考えてペンネンナーム技師とともに町を救います。そしてブドリの最後の仕事は、夏になっても温度があがらないで作物が実らないという現象があって農民が困窮するわけです。「寒さの夏はおろおろ歩き」というやつです。クーポー博士は、それを解決するためには火山を人工的に爆発させれば炭酸ガスが噴出する。炭酸ガスが地球を全部とりまくと温度があがって夏の冷たさを解消できると述べます。温暖化を作為的に作り出すようなことです。ただしその仕事では最後のひとりはどうしても犠牲にならざるをえないとクーポー博士はいいます。ペンネンナーム技師は自分はもう年寄りだからおれがやろうというのですが、ブドリはもし失敗した場合にそのあとを引き受ける人がいないからペンネンナーム技師は残ってほしい。自分がやりましょうと言い出します。その場面で吉本が指摘しているのが「自分は大循環の風といっしょうに宇宙の塵となってしまうのはいいことだ」というブドリのセリフです。これは「グスコーブドリの伝記」を書く前に書かれた「グスコンブドリの伝記」という作品に出てきます。大循環の風というのは地球をとりまく大気の循環のことで、要するに宇宙的な感性をあらわしています。こういうところに宮沢賢治の科学と宗教からくる祖国なき精神というものを垣間見ることができると思います。そしてブドリは火山を噴火させる仕事をひきうけて犠牲死してしまい物語は終わります。
吉本は「今ある自然よりもっといい自然は作ることができる」という宮沢賢治の思想は大正という時代には突出した思想であったと述べています。吉本はこの自然観をさらに外部的な自然だけでなく出産とか無意識の形成などの人間的な自然にも展開させていると思います。出産を胎外で行う時代がまもなくやってくるとか、現在の先端的な課題は無意識をどう作るかということにあるというような「母型論」にも関わる吉本の指摘は宮沢賢治の思想とつながっているものと考えることができます。
そこで「母型論」解説の続きに移らせていただきます。男女の対幻想の本質的な差異、という問題から近親相姦の禁止という概念を解説していたわけです。この問題は「アジア的」という吉本が追求した概念に関わります。なぜなら家族というものが形成され、近親相姦のタブーというものが形成されてきた時期が歴史段階としての「アジア的」段階だと思うからです。
「アジア的」に関わる吉本の著作を読み直していたら、改めて「あ、そうだったのか」と思う部分があり、それはかって読んだはずだったのに忘れていた箇所でした。近親相姦の問題に入る前にそこのところを解説してみたいのでおつきあいください。その箇所とは吉本がなぜ「アジア的」という概念を熱心に展開してきたかのモチーフに関わります。なんで「アジア的」という概念に吉本はあんなにこだわったのか。その解答のひとつは吉本が「試行」に連載していた「アジア的ということ」という連載のなかにあると思います。
なんで「アジア的」という歴史段階を問題にするかというと、それはその概念を作ったマルクスの思想の理解に関わります。マルクスはなぜ「アジア的」という歴史概念を原始、未開という時代と古代との中間に想定したのか。それはマルクスヘーゲル歴史観に対して疑念を持っていたからだと吉本は考えます。それはヘーゲル歴史観はヨーロッパの近代というものを基盤にしている。しかしヨーロッパ近代という時代は外在(文明)史と内在(精神)史の幸福な同致が成り立った例外的な時代であったと吉本は考えます。だから歴史を外在史として描けば済むという発展史観というか進歩史観というものが成立してしまう。しかし吉本は「歴史は外在史と内在史の二重性と、そのずれ、垂離によって総合されうる。そして歴史の外在史的な未来を考察することが、同時に内在史的な過去を解明することと同義である方法だけが、世界史の哲学や分類の原理になりうる」と「アフリカ的段階」のなかで書いています。そのためにはマルクスの「アジア的」という概念だけでは足りないので、ヘーゲルが野蛮、未開、原始という歴史段階とした概念から疑うべきで、それが野蛮、未開、原始という概念と異なる「アフリカ的」という概念を吉本が作ろうとした理由だったと思います。吉本は「アジア的」という概念の検討のなかで、マルクスのアジア的という概念の設定に歴史観としての鋭敏な思想性を認めると同時に、それが外在史にアジア的な内在史的な特質を折衷させたものにすぎなかったと批判しています。すると結局また吉本は歴史段階の最初から自分で掘り下げるしかなくなったわけです。それが「アフリカ的段階」の追求という課題だったのでしょう。その半ばで吉本は亡くなりました。
ではもういちどなぜマルクスはまた吉本は「アジア的」という概念にこだわったか、と問うとすれば、それはヨーロッパ近代を基盤に置き、外在史として歴史を考えるヘーゲルを頂点とした歴史観への疑念をもったからだと思います。吉本の場合、その疑念は自らを賭けた左翼思想の死活の問題でもあったと思います。
「アジア的ということ
(「試行」連載)を読むと、吉本のレーニン批判がじっくりと述べられています。吉本のレーニン批判にはマルクスの思想が関係します。マルクスの「アジア的」の概念や国家の死滅についての思想をレーニンはどう読んだか。ざっくり言って、レーニンマルクスがプロレタリア革命が成功して政権を奪取したのちに描いた、死滅する国家への過渡期としての「開かれた国家」の概念を革命成立後には捨ててしまったという批判を吉本が行っていると思います。それは通常スターリン批判として行われた批判ですが、吉本は神格化されているレーニンの批判に挑んでいるわけです。マルクスの「開かれた国家」というものは「プロレタリア独裁」の概念です。プロレタリア独裁という概念はその異様な言葉のひびきとともにいわば幾多の手垢のついた概念として忘れ去られようとしているものです。吉本はこの「プロレタリア独裁」という概念にマルクスが与えた本来の意味をよみがえらせ、それが現在の国家観としても生命を保っていることを証明しようとしています。マルクスプロレタリア独裁という概念を作ったもととなるのは「パリ・コミューン」からだそうです。コミューン型国家、過渡期の国家、死滅する過程にある国家、あるいは「反」国家、そういうものとしてマルクスパリ・コミューンの分析から導いたものにはいくつかの太い支柱があると吉本は述べています。第一は国家によって常備された軍隊と警察の廃絶(それに代わった武装した民衆の勢力)である。第二は民衆によって選出され、またいつでも民衆の意思表示でリコールできるように定められた公務員の採用である。そして国家公務員は、すべて国家機関以外の労働者や大衆の賃金を上廻る給与をうけとることはできない。ここまで支柱となる要素を引き出してくるとプロレタリア独裁という概念がその手垢を落として、現在でもどこの国家でも行われていない原則であることがわかります。
吉本のレーニン批判をくわしく解説していくのは今の道筋から外れてしまうので、なぜ吉本は「アジア的」という概念にこだわるかという道筋に戻ると、吉本は政権奪取後のレーニンのロシアの農業共同体に対する政策と認識に批判をもち、そこにソビエトの崩壊にいたる錯誤の政治の始まりとみなしていると思います。そしてレーニンがロシアの農業共同体に対して示した認識と政策の錯誤は、マルクスの「アジア的」という概念を正確に理解しえなかったことに帰着すると考えているわけです。マルクスの「アジア的」という考えのなかにはロシアの共同体に対する考察も含まれています。またマルクスはインドに対するイギリスの植民地支配の過程の分析のなかで「アジア的」という概念を詳細に展開しています。インドに対するイギリスの植民地支配はインドの「アジア的」な共同体を徹底的に破壊した。その破壊の意味を考察するなかでマルクスは深刻に悩んでいると吉本は考えます。イギリスの資本主義によるインドの農村と手工業の「アジア的」共同体の破壊は、一面では近代へと移行する歴史段階の必然が植民地支配という形で強行されたものとみなすことができる。そういう意味では、どんな残酷な破壊であっても歴史の必然的な進歩という概念のなかで不可避なものとみなすこともできる。しかし一方では、その破壊は「アジア的」な共同体が保持していた偉大な古代思想や信仰の破壊であり、また貧しいが互いに助け合う平和で豊饒な村落共同体の内面的な破壊であった。同時にまた迷妄や貧困や専制からの脱出も意味していた。今もアメリカの世界戦略のなかでアジアや中近東のアメリカ化という大義名分がありますが、それはイギリスがインドにしたようなアジア的な偉大で親密な共同体の破壊を意味しているわけだと思います。その破壊の意味にマルクスがこだわったように吉本も自らの左翼思想の死活を賭けてこだわっています。そしてその検討の果てに内在史と外在史の垂離やずれを包括する歴史観というものを自分が作るしかないという考えに至って「アフリカ的段階」という書物ができたわけです。そして歴史を「はじまりからぶっ通す」ためにはにんげんの精神をはじまりからぶっ通すことが並行的に不可欠な課題となります。そこに「母型論」が書かれた意味があるのだと私は思います。では今回はここらでさようなら。