しかし、この思想化が、一種のスコラ主義や停滞におちいつたとき、その作業といつでも訣れうるものでなければならない。思想が現実と逆立する契機は、いつも、どこにでも転つているようなものである。すなわち、わたしたちはいつも「立場」主義者とおなじ危険に、裏側から対面しているのである。(過去についての自註)

ここで「立場」主義者と呼んでいるのは、いわば教条主義のことで具体的には左翼政党(共産党とか社会党)を指しているのだと思います。マルクスレーニンの言説を教典として信仰に近い無批判な忠誠を示すならそれは教条主義です。それに対して自らの体験を対自的に思想化しようとするわけですが、その思想化もまた停滞に陥ることがありうると考えているわけです。その内省の根拠にはおそらく戦争世代の文学者たちの姿があるのだと思います。高村光太郎にしろ横光利一にしろ体験を掘り下げて思想化した優れた文学者でした。しかしその思想も戦争のなかで戦争肯定的に飲み込まれていった。体験といい、その論理化といっても体験自体の場であるアジアというものが解明されていないなら、そのアジア的な特質は真剣で深刻な体験に根付いた思想をも停滞に導くのだということになります。それがスターリニズムに吸収された優れた詩人や文学者の陥った道でもあったのだと思います。だから吉本はどうしてもアジアとしての日本の共同性をどん底まで掘り下げるしかなかったのです。

おまけです。

「悲劇の解読」のなかの「横光利一」より(1979筑摩書房) 吉本隆明

横光利一の悲劇も「旅愁」の主人公の表白する滑稽感も存在しえない<日本>という原理をヨーロッパとその原型としてのギリシャに対置させようとしたところに発祥した。原理的な無のうえで現代ヨーロッパの全重量を個人の肩に背負いこもうとしたのである。そして手当り次第に対比しうる伝統的な素材をかきあつめて俄づくりの原理をつくりあげようとした。それは悲劇であり滑稽であったが、横光の演じた悲喜劇が、抜群の膂力なしには不可能であり、また発想の契機すらないものであることは、漱石の場合と同じであった。