2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧

僕は思考の演習がもたらす効果を知つてゐるわけではなく、そうすることによつて効果を実験し得ると考へてゐるのみである。如何なる作家も作品形成における秘事を明らかにしたことはなく、唯彼等は結果だけを提示したにすぎない。一つの結果である作品から、一つの過程である生成の秘事を発見することは容易ではない。(断想Ⅱ)

吉本がいう思考の演習というのは、たとえば「女性の美しさ」というような任意の命題を最初にもってくるとして、その命題を抽象化して考えて、さらに抽象化して、次には具体化して、さらに具体化するというような論理的思考の体操のようなことをすることです…

注意深く演習することによつて僕が期待する唯一の効果は、一つの段階が終つて他の段階に移るといふことが果して可能であるか、(一般にそれは同時に行はれるから)を検討し得るといふことにある。(断想Ⅱ)

これは思考ということ自体に凝って、思考の跳躍というものがなぜどのように行われるのかを注視しているにんげんの記述です。やはりこれも幻想論につながるものだと思います。思考の跳躍は幻想と幻想の間の跳躍だとも考えられるからです。 おまけありません。

忘却はひとつの選択に外ならない。最も忘却をまぬがれるものは嫌悪である。悲しみも愛憎も決して永続することはない。何故ならそれはたまることはないから。愛憎の思ひ出といふものは総じて在り得べきものではない。これらは過ぎてゆく季節に外ならない。(忘却の価値について)

これは若い時に読んだときにわかったようなわからないような印象でしたが、今読んでもわかったようなわからないような感じになります。確かに激しい愛憎とか悲しみはやがて薄れていくものだと思います。その理由はわたしが思うには、嫌悪というのは対象への…

悲しみは無数の体操の形式をもつてゐる。喜びは単に上下運動とか単純な性質の体操。いかりは全身の緊張で、それは体操の終局。愉しみは小さな緩急律動。(忘却の価値について)

これもいかにも吉本らしい記述です。面白いと思いますが、だからどうということも特にありません。これは自分の思考とか感情とかを自分の論理で押さえたいという執念のある人が書くことです。 おまけありません。