私は私と全く正反対の人生観の持主であつても、尚その人格を尊敬してゐる人がある。人は私自身が「俺は小人ではない」と自惚れても許して呉れるだらう。(随想(其の二))

こうした幼い文章のなかにも、その生涯の終わりまでを見届けた者には吉本の初期とその後の人生を貫くものがあるように読めてしまう。吉本がマルクスについて書いたように、そのアルファとオメガが円環をなすように感じられてしまうわけです。吉本が書いていたことで、レーニンがロシアの帝政を倒し権力を奪った時、ロシアの広大な風景を見てぼうぜんとしただろうというのがあります。それは自分たちの共産主義の党派的な思想でこのロシアの歴史や文化の総体が包括できるだろうかという初めての疑問の衝撃だったろうというものです。文化や歴史の総体を包括できる思想ということが重要で、政治的な思想として対立していても、優れた保守的な文学者にも思想家にもおおくの学ぶことがあるというのは吉本がくりかえし述べていたことです。だから吉本は政治党派的な、あるいは文学党派的な群れを作らず、歴史や文化の総体に向かう単独者として振る舞ったのだとおもいます。

おまけです。
2001年9月に亡くなった川上春雄の詩です。

「水と空」         川上春雄

わたしの王城は雨にぬれて
ほっそりと夜空をくぎる

腐蝕に耐え 通信の杜絶をしのいで
はじめの光に接し 光はただ
外部を照射するのみであるときも
みずからたかぶりはしなかったのだ

しだいに移動する巻貝のように
六月のねばる坂

甲高い舞踏の終わりを告げたペトログラードの鐘
いやもっと微弱な自然物に思いなされて
もう省みる人もいなくなった
古い容器なのだ
それでいいのだ
しだいに移動してきた影のなかに
黒人がいてみているにちがいない
黒人は
おぼつかなげに階段のてすりにそって
まわりをまわりながら上昇してくるだろう
うまごやしのさかんに花ひらく
湿地帯を
廃市を 遠望する半開きの窓
泥で飾られた地上のあけがた