わたしは、どのような小さな闘争であれ、また、大きな闘争であれ、発端の盛り上りから、敗北後の孤立裏における後処理(現在では闘争は徹底的にやれば敗北にきまつている)にいたる全過程を、体験したものと信じている。どんな小さな大衆闘争の指導をも、やらしてみればできない口先の政治運動家などを全く信じていない。とくに、敗北の過程の体験こそ重要である。そこには、闘争とは何であるか、労働者の「実存」が何であるのか、知的労働者とは何であるのか、権力に敗北するということは何であるのか、を語るすべての問題が秘されている。(過去に

吉本は30歳くらいの頃に、東洋インキという会社の青戸工場で労働組合運動を行い組合長になってリーダーとして会社と戦っていました。この文章はそういう体験をもとに書かれていると思います。私には組合運動の体験がないので、わかったようなことは言えませんが、労働組合の闘争を本気でやれば生活のかかっている職場での闘争なので、これ以上徹底的に闘争すれば会社も労働者も共倒れになるという段階に突入していくのだろうと思います。吉本は闘争を徹底すれば、労働者の生活の基盤である企業自体を壊してまで闘争をするべきなのかという問題にぶつかると述べています。それは不可能だということになれば、必ず闘争は敗北するわけです。敗北すれば指導者たちは会社を追われるんだと思います。追われればたちまち食うに困るわけですが、組合指導者としてとことんやったという経歴は再就職を困難にする。それで吉本は失業の時代を経て、知人の紹介で特許事務所に就職します。それでだんだん書くものが売れるようになってきて、物書き一筋という生活に入っていくんだったと思います。つまり吉本が物書きの世界に入っていくまでの経歴というのは、貧しい青年が生活を背負いながら辿る、平凡と言えば平凡なありふれた経歴だったといえるわけです。
私が高校や大学にいるころ大学紛争や高校紛争という、新左翼が学校当局とぶつかる事態が広がっていきました。その学生運動というものや、それをめぐるあまたの言説に当時の私は混乱しどう考えたらいいのかよくわからないまま、とはいえ無縁と割り切って遊びや勉強にはげむということもできず、混乱したまま傍観するいわゆるノンポリ学生であったわけです。そんな時に吉本の本に出会ってのめり込むように読みました。特に関心事であった学生運動についての吉本の見解はほかの論者の言説とまったく違っていて衝撃を感じました。なにが違っていると感じられたのかというと、ひとつは吉本の情況論の言説が吉本自身の体験に根を下ろしていることです。そして吉本の体験というのは戦争期の体験であり、戦後の労働組合運動の体験であり、それらは当時の青年のありふれた体験のひとつだったといえます。ありふれてはいますが、それは命や生活を賭けた切実な体験です。またありふれているがゆえに普遍性があり、掘り下げれば社会の普遍的な課題に接触するものだともいえます。そのありふれた体験を吉本はそのありふれた下町の生活のなかで徹底して勉強し思想として血肉化していました。吉本から視れば、学生運動の思想的な経路も、闘争の内実も、自らの生活と思想の経路から視えたのです。それが読んでわかりました。吉本の当時の学生運動への自らのマスコミからの孤立を賭けた肯定も、新左翼諸派から攻撃を受けることも意に介さない歯に衣を着せない批判も、その自らの人生の経路を掘り下げて普遍化し思想化したという研鑽からやってきているということがわかりました。ああ思想というものはこういうものかという私にとっては目の覚めるような読書体験だったわけです。
最初に勉強して得た知識があり、その知識から現実を見てあれこれ述べるというのではなく、まずありふれた生活者としての生活を賭け自分の精神を賭けた人生の体験があり、その切実にして平凡な人生体験の内実を徹底して掘り下げることによって世界思想の普遍性に登っていく。それが吉本です。吉本は下町の中小企業の工場の労働組合運動という、誰の耳目にも触れない閉鎖された小さな世界のなかでの活動をとことんやって敗北し、会社を追われました。その体験が吉本に「大衆」についての徹底した思想をもたらしたのだと思います。だから私たちだって、どうせ小さな閉鎖された世界で、生活であれ精神であれその後の人生の予定であれ、なにかを賭けてあくせく戦っているとしたら、そのことに根ざした思想というものを獲得することはできるはずです。その思想を生活のなかに終始する生活思想として胸に秘めたままにするか、知の世界と接触させて普遍的な思想に登らせていこうとするかはそれぞれの自由でしょうが、少なくとも自らの体験を掘り下げるということから得られるカタマリのようなものが、その人にとって重要です。それをイデオロギーや宗教やメディアや、政治家や教育家や評論家や、あまたの頭でっかちが横からかっさらっていこうとするわけですよ。そしてかっさらわれてしまった人たちはポカンと口を開いたまま、とんでもない政治やとんでもない宗教やとんでもない教育に目隠しをされた羊のように追いやられていくじゃないですか。そういうかっさらいどもに対抗する大衆的な抵抗というものは、結局そのカタマリを大衆が持っているかどうかに帰着するのだと思います。そういうことを言うと、この切迫した情勢でなにをわけのわからない呑気なことを言っているのだ、という言説は昔も今も必ずおこりますが、吉本が学生運動の活発ないわゆる「政治の季節」のただなかで主張したのはそういうことだったと思います。どんなに閉ざされていても卑小であっても目をそむけたくなるような恥ずかしさに満ちていてもアンタの体験を掘り下げろ。自分の立っている場所を掘れ。それがかっさらわれない道であり、孤立しているがゆえに連帯している道であるということになります。なんか懐かしいな・・・( ̄。 ̄)
吉本が闘争の発端の盛り上がりから敗北の孤立裏における後処理に至る全過程を体験したものを信じている。特に敗北の過程が重要だと述べているのは、そこに大衆の人生の原型が込められているからだと私は思います。吉本は労働組合運動の時期を振り返って、若い活動家の層がいちばん頼りになる。しかし組合の集会に出てもあまり発言しないで、黙って見ているようなごま塩頭の職人さんのような中年のオヤジたちの層が重要だと述べていました。そうしたオヤジたちは組合活動には気があるのかないのかわからないが、仕事はベテランでしっかりこなす。そして若いころは現在の若い熱気のある活動家たちのような時期をもっていたかもしれない。いわば全過程を体験した存在としてむっつり黙ってそこにいるわけです。その沈黙の内実というものをどう理解するかが重要なんで、それを無視して社会も闘争も考えることはできないと吉本は考えたのだと思います。
この構図は形を変えて吉本の批評のさまざまな場面で登場するといえます。たとえば中野重治「村の家」というようないわゆる転向小説に対する批評にもこの体験的な構図は登場します。中野重治自身である主人公が戦前の共産党に入り検挙されて獄中で転向します。そして故郷の村の家に帰ってきて、父親と対話する場面が重要となります。この父親は無学ですが自らの人生を掘り下げたカタマリを胸に秘めています。つまり吉本が組合活動のなかで出会ったむっつりと黙っているごま塩頭の職人のオヤジたちと同じです。「村の家」の主人公の父親は獄中転校して戻ってきた息子に「おまえが逮捕されたと聞いてから小塚っ原で処刑されるものと思ってすべて処理してきた」と言います。小塚原というのは江戸時代の処刑場です。つまりもう息子は帰ってこないと覚悟を決めたということです。そして父親は「筆を折れ」と息子に言うわけです。これ以上なにかを書くのは恥の上塗りだと考えるからです。それに対して息子は「やはり書いていこうと思います」と言って父親を憮然とさせます。ここで中野重治とそれを読んだ吉本隆明がぶつかっているのは、ごま塩頭の、人生の縮図たる闘争の全過程を体験したことのある中年の職人のような層の人々が抱いているカタマリの内実です。それを分析し、そこから学び、それと対決する。この部分は吉本の転向論の白眉であり、ということは吉本の戦後の社会に対する政治思想の白眉をなしています。これが入口だと吉本は指をさしているわけです。
母型論について触れる余裕がなくなりましたが、すべてはこうした政治体験や政治思想の範疇であれ、やはり大きく母型論のテーマの大きな掌のなかにあるということはできます。しかしそれを説明するにはもっともっと掘り下げるべきものが残っています。