彼(宮沢賢治)が童話と言ふものに生命を打ち込んだ理由は実に明らかであると思ひます 斯様にして創られた彼の作品に於て私達が忘れてはならない事がたつた一つあります それは彼の作品には「生命の悲しみ」とも言ふべき一つの悲哀を帯びた調子が一貫して流れてゐる事なのです (宮沢賢治童話論)

吉本にとって宮沢賢治は大きな存在で、正面からぶつかった宮沢賢治論は膨大なテーマを追求しています。その全体はとてもここで書ききれないわけですが、このノートの部分に触れるようなところを少し解説してみます。「悲劇の解読」(1979筑摩書房)のなかに宮沢賢治論がありますが、そのなかに「猫の事務所」という童話を取り上げている箇所があります。「猫の事務所」というのは短い話ですが、忘れがたい心に残る童話です。
「猫の事務所」は猫の歴史と地理を調べるために猫が働いている事務所です。そこには所長の黒猫のしたに四匹の猫の書記が働いています。そのなかに「かま猫」がいます。「かま(竈)猫」は下っ端の四等書記ですが、みんなにひどく憎まれうとんじられています。「かま猫」は夜かまどの中に入って眠るくせがあるため、いつも身体が汚く煤けていて、ことに鼻と耳にはまっ黒なすみをつけています。そのためにいつもほかの猫から嫌われているわけです。
「かま猫」はみんなによく思われようとするのですが、ほかの猫からいやがらせや意地悪をされるばかりです。でも「かま猫」はじぶんが事務所にいるのは「かま猫」仲間のみんなのために名誉だとおもわれているのを知っているので、いじめられてつらくても、みんなのためにやめずにがまんしようとおもっているのです。ある時、「かま猫」が風をひいて一日休んで事務所に出ていくと自分の分の原簿がほかの三匹の猫の机にふりわけられ、仕事を奪われていました。ほかの猫たちは忙しそうに気づかぬふりをして立ち働いていて、暗黙の仲間外れの雰囲気になっています。ときどきほかの猫はちらっと「かま猫」を見るだけで、ひとことも声をかけようとしません。「かま猫」はおひるになってももって来た弁当も食べず、じっと膝に手を置いてうつむいています。そしてとうとうひるすぎの一時から、「かま猫」はしくしく泣き始めます。そして晩方まで三時間ほど泣いたりやめたり、また泣き出したりしました。それでもみんなはそんなこと一向知らないというように面白そうに仕事をしていました。
その時に、事務長のうしろの窓の向こうに、いかめしい獅子の金色の頭が見えました。獅子はいきなり猫の事務所に入ってきます。猫たちは驚き、うろうろうろうろそこらを歩き回るだけでした。「かま猫」だけが泣くのをやめて、まっすぐに立ちました。
獅子は大きなしっかりした声で言いました。「お前たちは何をしているか。そんなことで地理も歴史も要ったはなしではない。やめてしまえ。えい。解散を命ずる」
最後の宮沢賢治の文章はこうです。「かうして事務所は廃止になりました。ぼくは半分獅子に同感です」
これだけの短い童話ですが、吉本はここには難解なところがあり、それは宮沢賢治の作品の肝要をなすものだと評価しています。まず「かま猫」は「よだかの星」とか「祭りの晩」などの宮沢賢治の作品によく登場する、いじめられている者、ないがしろにされている者です。つまり弱小な者です。そしてこの弱小な者は「無償」や「善意」を抱いているのですが、その「無償」や「善意」はいつもむくわれずに無視されてしまいます。このむくわれない「無償」や「善意」はどこへ行くのかということです。吉本は宮沢賢治が偏執しているのは、弱小なものさげすまれているものの「善意」は「無償」でなければ意味がない、あるいは「善意」や「無償」の行為は、行為するものが弱小でありないがしろにされているときにだけ均整がとれるものだという思想だと述べています。これが「猫の事務所」の難解さのひとつです。
難解さはほかにもあります。なぜとつぜん「獅子」が窓の外から覗いたのか。そして一瞬のうちに「かま猫」がいじめられているその場の様子をすぐに「察知」したのか。そしてほかの猫たちが驚いてうろうろしているなかで、なぜ「かま猫」だけが泣くのをやめて「まっすぐに立ち上がる」のか。そして「ぼくは半分獅子に同感です」というときの、残りの半分はなんなんだということもあります。
獅子に同感だということはいじいじと弱い仲間をいたぶりながら「歴史」だの「地理」だのもっともらしいことを調査研究することなどやめてしまえ、という怒りへの同感です。この怒りと叱咤への同感には解消されない残りの半分はなにかというと、それは宮沢賢治がよく使う「ほんとうのこと」とか「ほんとうのかんがえ」とか「まこと」ということに関わっていると思います。そしてその「ほんとう」とか「まこと」というのが何なのかというのが、難解なわけですが、それは宮沢賢治自身にとっても難解であったということになります。つまりよくわからなかった。よくわからないけどもそれを感ぜずにはいられなかった。「注文の多い料理店」という宮沢童話の作品集の「序」に「なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです」という文章があるわけですが、吉本は「わけのわからないところ」にはひっきょう「わけのわからないところ」そのものが存在するという理念を語っていると述べています。いやはや、このわかったようなわからないようなことをどうしたらいいんでしょうか(~。~;) しかし吉本が述べるには、宮沢童話のなかにはなぜこんな童話を書いたのかまったくわからないというような不思議な作品があり、それはわけのわからないところにあるわけのわからない存在をそのまま描こうとしたとしかいいようがないということになります。それが宮沢賢治表現者としての純粋性でありまた天才性、幼児性であったといえるのだと思います。
「猫の事務所」に戻りますが、吉本はこの童話のモチーフの難解さ、「わけのわからなさ」は宮沢作品に普遍的にみられるものであるとともに、宮沢賢治の資質の難解さにかかわっていると述べています。こういうところで「宮沢賢治論」が「母型論」に通じていく通路があるわけですが、宮沢賢治が幾度も幾度も描こうとしている「わけのわからないところ」であるが「ほんとうのこと」があると感じとっているところは、宮沢賢治の資質に関わっている。資質に関わっているというのはつまり宮沢賢治の乳胎児期に、つまり「大洋期」に関わっているということになるのだと思います。
吉本はこう述べています。「そしてこの資質はどこかに帰還したいのだが、その場所は生存のなかにはなかったというべきである」これはつまり宮沢賢治が自らの「大洋期」の様相を天才的な鋭敏さで感知し、それを「ほんとうのこと」というふうにみなした、というふうに私は考えます。最初の初期ノートの言葉に戻れば、『「生命の悲しみ」とも言ふべき一つの悲哀を帯びた調子が一貫して流れてゐる』という「生命の悲しみ」という言葉で指そうとしているのは、こうした宮沢賢治の察知力なのだと思うんですよ。だからそれは人生の悲しみではなく、生命の悲しみというしかないんで、その悲しみが帰還する場所は「生存のなかにない」つまり大洋期を過ぎて始まる「人生」のなかにはない、人生にないのだから人の世のなかにもないということになるのだと思います。すると同時にここのところが宮沢賢治にとって、とても危ういところにもなるわけです。宮沢賢治に限らず、鋭敏に大洋期のありようを感知し、そこに「ほんとうのこと」があるように感じてしまう敏感な人たちにとっても危ないところなのだと思います。
どう危ないのかというと、この鋭敏な感知力がついに「わけのわからないところ」そのものが居場所だということに、つまり生存のなかに場所がないということに耐えきれずに、生存のなかに場所を求めてしまう時に危うさが起こるわけです。つまり道徳主義的な嘘に近づいてしまうということです。吉本は宮沢賢治の「稲作挿話」という詩のなかにその危うさをみています。「稲作挿話」というのは少年少女に向けて書かれたような激励の詩です。
「これからの本統の勉強はねえ テニスをしながら商売の先生から 義理で教はることではないんだ きみのようにさ 吹雪やわづかの仕事のひまで 泣きながら からだに刻んで行く勉強が まもなくぐんぐん強い芽を噴いて どこまでのびるかわからない それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ」
こういう詩句があるわけです。吉本によれば勉強というのはテニスをしながら商売で教えている人から習おうが、吹雪やわずかな仕事のひまに泣きながら学ぼうが、同じなんだということになります。楽しく学ぼうが苦労して学ぼうが、学問の本質には関わらない。こういうところが危ないところで、吉本はこういうところで宮沢賢治がわからないもの、生存のなかに場所をもたないものをわからないままに偏執するという、そして生存のなかに場所を持たないがゆえに、この偏執をそのまま「天上」にゆかせたいという思想の忍耐、思想の構造を喪っていると述べるわけです。こうした危うさは、社会のなかで弱小なもの、いじめられたもののなかにも、いたぶっているものにも通底した篤農意識、勤勉主義、能率主義のようなものであり、また東洋風の静観とあきらめというようなものである。それは道徳主義的なものであって、それは吉本の言葉でいうと
「支配者や農本的な篤農家や労働者の味方づらをした道徳主義者が、貧民や労働者の弱点につけこむためにつねに吐き出す嘘と同じことになる」ということになります。そしてその次に書かれていることが吉本の核心に関わります。「能率、有効性、必要に強いられて生存しているものに、べつの有効性と能率主義を与えて解放できるとする思想はサギ以外のものではない。総じて抽象的な「論理」と「無効」性を身につけるながい道程のなかにしか弱小なものが解放される方向はない」
ついつい宮沢賢治について長く書きすぎて「母型論」の解説を書くスペースがなくなってしまいましたが、まったく「母型論」に無縁なことを書いたわけでもありません。母型論がテーマとする乳胎児期や幼児期の問題は文学的に追及するとすれば、宮沢賢治の文学のなかに宝庫のように存在するものだといえるのだと思います。私たちは生存のなかに場所をもたないもの、「わけのわからないところに、わけのわからないところ自体がある」というような不可思議なものに心を惹きつけられます。あるいは高度な文化のなかで便利な生活を享受しているのに、古代的な宗教や文明に心を奪われることがあります。あるいは平和とか平等とか民主主義とかの近代的な法秩序を押し頂いているくせに、残酷なもの血みどろのもの身も震えるような恐ろしさに惹きつけられることがあります。つまりなにかたましいのふるさとのようなものが、この現実とは別の次元にあるというような想いをふっきることができません。そして誕生と死といういまだになんだかわからない、体験できないし、体験がけしてよみがえらないものが私たちの短い生存の前後に暗闇の口を開いているわけです。そして天空には、おまえたちの生存の場所などほんの点のようなものにすぎないのだと語りかけてくるような宇宙がひろがっている。ねえ、それは会社とか学校とか家庭とかで暮らしてそれなりにつじつまがあっているようになっているけれども、やっぱりそのなかだけで生きるということは無理じゃないですか。そうでしょう?