2014-02-01から1ヶ月間の記事一覧

誕生したとき、すでにある時代の、ある環境のなかにあつた、という任意性は、内省的な意識からは、どうすることもできないし、また意味づけることができないものである。わたしのかんがえでは、さまざまなニュアンスをもつた「存在」論の根拠は、つづめてみれば、かれ自身にどんな意志もないにもかかわらず、そこに「在つた」という初原性に発している。(過去についての自註)

私たちは生まれてこようとして生まれたわけではない。親子喧嘩で「誰が育てたと思ってるんだ!」とか言われて「産んでくれと頼んだおぼえはねえ」みたいなことを言いかえしたことのある人はたくさんいると思います。私も言ったことがある。そうするとたいが…

しかし、「存在」論が、現在、ある時代的な意味をもつて主張されるのは、生まれたり死んだりする「個」そのものが、現代では、あまりに自己自身からも、「自然」からも、みじめに遠ざけられているからである。(過去についての自註)

この部分に書いてあることとは別に、吉本は「個」が生み出され、それが時代とか社会とかに異和を抱くのは、時代や社会のせいだけではなく、一個の生命である「個」がもつ本質かもしれないということを書いていたと思います。まわりの世界すべてに異和を抱き…

彼自身が諦観してゐたやうに詩人宮沢賢治は本質的にはアジア的領域を脱することは出来ず、かへつて最も根本的な意味でアジア的(日本的)となつてゐます(再び宮沢賢治の系譜について)

宮沢賢治の作品はヨーロッパ風な舞台装置の上に展開されることが多い。また宮沢賢治の感性は当時の日本の文学者のなかで飛びぬけて異質であり、ヨーロッパ的であるといえると思います。しかしその宮沢賢治が本質的にアジア的(日本的)だったとはどういうこ…

古事記のもつ日本は暗い悲劇的な日本を感じさせます 私は日本民族の特性が淡白であり明朗であると言ふ言葉には幾多の不満を感じます 日本民族が深淵や悲劇に堪えないとする言葉は多くは後世の創造ではないでせうか 古事記のもつ執拗な粘着性と暗澹たる人間性(ヒューマニティ)は日本をアジアから更に切離して考へる傾向を否定してゐるやうに思ひます(再び宮沢賢治の系譜について)

古事記についての吉本の思想は「共同幻想論」に詳しく述べられています。古事記や日本書紀の解読を通して吉本は日本のまたアジアの共同幻想の構造を取り出そうとしています。「共同幻想論」での吉本は徹底的な論理的な方法で古事記や日本書紀の世界に向かっ…