2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧

人類が宗教を否定してゆく過程は、とりもなほさず人類が被支配者たる自らの位置を否定してゆく過程である。同時に、人間精神が宗教性から離脱してゆく過程は、とりもなほさず人間精神の全き自由と独立への過程に外ならない。斯くて僕たちは内的規定と外的規定とを共に神及び神権政治の排滅の方向につきやぶりながらゆかねばならない。(エリアンの感想の断片)

宗教から法が生まれ、法から国家が生まれるというのがマルクスの考察だと思います。そういう意味では宗教が否定され、より現実社会に接した法や国家が成立する過程は人類が主体性を獲得していく過程だといえると思います。しかしそれだけで事足れりとするな…

人類は未だ若い。到るところに神々の古ぼけた顔がのぞいてゐる。(エリアンの感想の断片)

吉本は宗教も知やイデオロギーも信仰のなかに含めていると思います。つまりその両方があるということが、どちらもの真実性に不十分さがあることを意味しているということだと思います。真実をもとめてあらゆる神々の古ぼけた顔を破壊して、そのあとにきっと…

ひとは女性たちが建築の底を歩むのを視たことがあるだらうか。その如何にも不調和な感じを覚えてゐるだらうか。女性は視覚的実在であるのに反し、近代の建築群が抽象的実在であるためである。又僕は、濠と丸の内街の中間にある路を馬車が通るのを視たことがあつたが、それは如何にも不調和なものに感ぜられた。決して馬車が前時代的であるからではなく、馬が視覚的実在であるからだと僕には思はれた。(〈建築についてのノート〉)

初期ノートの別の個所に「僕は眼を持たない。眼なくして可能な芸術。それは批評だ」と書いてあります。批評というものは論理性であり、抽象性であり、観念です。目で見るとか手で触れるという五感覚でとらえた対象を観念の内部で抽象化していくことは、抽象…

建築の間を歩むとき、精神は均衡と垂直性とを恢復する。(〈建築についてのノート〉)

山本哲士という学者がインタビューした吉本の「思想の機軸とわが軌跡」「思想を読む 世界を読む」という分厚い本を読んでみました。山本哲士がしきりに述べていることがあって、それは吉本の思想を理解するということより、吉本とともにこの世界を探求するこ…