突然の訃報で驚かれることと存じますが、平成29年6月18日に、依田圭一郎さんが御逝去されました。慎んでお知らせいたします。依田さんが亡くなられた原因は、心臓の動脈瘤です。奥様の都華子さんからうかがいました。 亡くなられるまでの経過は次のようでし…
この詩は吉本が東京府立化学工業学校に在学中に友人と作っていた「和楽路」という同人誌に発表されたそうです。この詩の載った「和楽路」最終号は、1941年11月に発刊されたそうで、吉本は1924年11月生まれだから16歳の時に書いた詩か、あるい…
これも「くものいと」の詩と同じ「和楽路」の最終号、卒業記念号に載った詩だそうです。この詩も完成度が高いと思いますね。スタイルとしては「太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪ふりつむ」の三好達治みたいな日本の自然詩人を模倣しているといえるでしょうが、舟…
この文章はこの下の「ゼミ・イメージ切り替え法」の文章と続いています。それを合わせ読むとわかりますが、吉本は歴史的現実、つまり歴史があってその積み重なりの上に存在している現在のこの社会、そのありようを内面の問題にしようとしていると思います。…
歴史的な現実が引き起こした事件、たとえばサリン事件を自分自身の内面の情緒のありように翻訳するということを言っています。サリン事件は吉本に関わらないところで実行され、吉本も事件に巻き込まれたわけではない、しかしその事件は吉本の情緒に暗い陰を…
なにを言っているのかよくわかりません。昔この文章を読んだとき、感銘を受けたのは自分の悩みを自分の責任ではなく自分のいる風土の責任だと考えているところでした。すべてを自分の肩に背負わせてはならない、ということですね。自分だけが背負うと風土、…
宗教というものは私たちには遠いものですが、しかし世界はまだまだ宗教が大きな力をもっている段階にあります。また宗教にはさまざまなものがありますが、どこかに宗教が人間をとらえる普遍性があるはずです。そのひとつは臨死体験の普遍性なのだと思います…
こういう文章はなにかの模倣なんだと思いますが、なんの模倣だかわかりません。リルケとかかな。国籍不明ですよねイメージが。ヨーロッパの古い町っぽいところで若者が窓の内側で物思いに沈んでいるみたいな。しかし吉本は佃島出身のこてこての下町っ子。だ…
ほんとうに晩年のよろよろした爺さんになった吉本の写真で見たんですが、吉本の自宅の書斎で山のような書物に囲まれてお爺さんの吉本がいるんですが、目の前の壁に大きな綺麗な外人女性のポスターが飾られていたんですよ。たぶん吉本が惹きつけられた写真な…
これは昔読んでよく分からなかった箇所ですが、今読んでも分からないですね。自己写像っていう概念が分からないわけですよ。人間はたえず心も体も動いていますよね。絶え間なく何らかの活動状態にあるわけで、そのすべてを把握することはできません。絶え間…
これはマルクス主義的な考えから出ている言葉のようですね。現実の歪みというのは資本主義社会の歪みというようなものを指しているのだと思います。吉本が優秀だなと思うのは、制度の歪みを革命で改めようというだけでなく、現実の無意識の歪みというものを…
戦争に負けるまでは、日本人は軍国主義のもたらす情報やイデオロギーによってであれ、ポジティブではあったわけでしょう。社会に対して希望をもっていたわけです。この戦争に勝ちさえすれば、というような希望。みんなが社会を向いている、困難ではあっても…
不安というのは、それ以上考えが進まない、考える材料がない、考えること自体が苦痛で避けている、考えくたびれているというような部分から発してくる危険の信号のようなものじゃないでしょうか。そこが問題なのはわかっている。でももう解決のめどがない、…
不潔というのはお風呂に入らないというようなことではなく、昔風の言い方ですが自分の内面を誇張したり美化したり劇化したりしがちだというようなことですね。青年がある経験をしてある感情、たとえば悲しみを抱いたとしても、それを表現するのに大げさに嘆…
吉本は「言語にとって美とはなにか」のあとがきで「試行」にこの論考を書き続けているあいあいだ、沈黙の言葉で「勝利だよ、勝利だよ」とつぶやき続けてきたと書いています。つまり思考と実生活の放浪の果てのそれが凱歌とも言えるでしょう。沈黙の凱歌だけ…
これは具体的には何を言っているのが分かりにくいですね。無限の抑圧を若き吉本に感じさせている「何か」ってなに?よくわかんないけど、その「何か」は現実の歪みの中心、ブラックホールみたいな感じで、「無数の観念の亡霊」をその周辺に集めている。亡霊…
自分が無意識に前提にしている観念から自分を引きはがすのはとても難しいものです。それを可能にするのは「あれ?」とか「おや?」というかすかな異和感の気づきです。その気づきもまた無意識の信じ込みで埋め込まれていきます。でもまた「あれ?」と思う。…
ここで正義というものを曖昧なものと思わず正義の味方になってしまうとどうなるのか。それは「正義」という共同的な理念の陰に、自分の個人の心が隠れてしまうことになると思います。だから「自分が何を欲するか」とか、「人間が如何なるものか」というよう…
まあ二十代の青年の吉本にこういうことを言われてもね・・・60歳を超えちゃうと、肉体が精神のセンサーだということがよくわかる。歯が抜ける、耳が遠くなる、目が衰える、そういったことは世界への通路が詰まっちゃうことなんですよ。しかし人の心身は不…
科学にしても栄養学にしても知識の世界、知の世界ということですね。吉本は知の世界に没入していくんですけど、どうしても没入しきれないものがある。知の世界よりも現実の世界のほうが大きいと感じるんでしょうね。それは特別な現実じゃないんで、ごくあり…
矛盾的自己同一というのは西田幾多郎の概念だろうと思います。読んだことがないので解説はできませんが。手に負えないのでパスさせていただきます。おまけありません。
吉本にとっての敗戦は、こころの底から信じ込んでいたものが間違いであったと気づかされたということでした。日本の軍国主義が教え込んだ歴史や世界や現状というものが、間違いに充ちたものだと気づいた。それは宗教団体のなかで育って、まったく疑うことな…
副島隆彦が述べていたことで「それだ」と思ったことがあります。日本人の評論家というのは、自分を問題の外側に置いて語るやつが多いということです。自分の立場をはっきりさせないで、問題の枠外に超然としているように語る。それを知的とか思っている。欧…
吉本が当時の詩の書き方を説明していました。まず白い紙に細い罫線を手書きで引きます。そして毎日毎日2時間ほどの時間、その紙の前に座っているわけです。それが吉本の詩の書き方です。言葉は出てくることもあるし、出てこないこともあります。一行の言葉…
ここまできっぱりと自分の初期のノートの文章についていえるということは大したもんだと思います。とても自分にはいえないなと思います。どうですかあなたは。ではよいお年を。 おまけ「だが動くものとしての現実はあくまでも詩的なものだ。また逆に詩的なも…
この科学と宗教ともうひとつあげれば文学とが、吉本の深く探求したもので、そして探求すればするほど別々の方向に自分を連れていくことを感じるのでしょう。そしてそれらを統合する方法を構想していくようになります。シモーヌ・ヴェイユについての吉本の考…
昔はアインスタインと言ったんですね。アインシュタインを例に、科学の発見者を越えた普遍性のことを言っています。吉本が自分の思想の先に見ていたものも、こうした普遍性だと思います。吉本という探求者、発見者は万人の思想の方法のなかに普遍性として沁…
これはそんなに解説することがないですね。限界まで考え抜こうということです。限界を極端に想定すれば脳細胞が壊れるまで、ということで、そこまでやれば勝利といったっていいんだという若者らしいことが述べられています。実際はよく考える人より、考えな…
吉本が獲得したのは原理だと思います。それは精神の疾患ぎりぎりの苦しみを介して到達したもので、その耐え方はヴェイユに通じるものがある気がします。おまけ ありません。
これは分かりにくい文章ですね。美学から歴史を拒否するって。そもそも美学って何?すべて歴史的なものは現在的な論理と解析のうちに尽くすことができる、というのもよく分からない。要するに現在の文化の先端にある思想や論理で、歴史を論理づけるべきだと…