2011-01-01から1年間の記事一覧

下町は亡霊が蘇つたやうに、昔のままになつてゐた。老舗は元のままの位置に新しい営みをはじめてゐたし、ミリカの母はそこにゐたのだから。ただオト先生の家だけがそこになかつた。

これはいきなり読めば吉本さん突然何をゆっての?という感じだと思います。吉本は「エリアンの手記と詩」という長編詩を初期に書いています。この初期ノートの断片はその長編詩の設定をもとに書かれています。エリアンの長編詩は私小説みたいなもので、エリ…

昨日、ミリカの家の方を訪れた。母のみ。(一九五〇・四・二)(下町)

昔々高校生のころに、好きになった女の子の家の外の路上でその子の部屋の灯りをじっと見ていたことがありました。今ならストーカーと呼ばれちゃう。でもアンタもあるでしょそんなコト。エロスなんて言葉はアチャラカの言葉でよくわかんないけど、寒い路上で…

独りの少女がゐて……、独りの少女がゐて窓辺に近くピヤノを打つてゐる。ああそれはづつと昔、僕がどこかで視たやうな記憶がある。現在、独りの少女は低脳な唯物論にふけつてゐた。靴のかかとを三分高くする方法についての……。(風の章)

この古臭い、そして女性に対するコンプレックスが露出している部分は吉本自身が公開するには恥ずかしいものだったと思います。「窓辺でピヤノを打つ少女(#^_^#) 私は吉本が育った月島の町を知ってるけど、あんなど下町にそんなお嬢様なんかいないっての。靴…

己れの生涯を忠実に生きぬかないものは、人類の現代史を生きぬくことは出来ない。これは明瞭なことだ。そして現在の僕は何もわからなくなつてゐる。(風の章)

むかしむかしの60年安保闘争の後で、分厚い「安保闘争史」といった書物を書いた学者がいた。吉本の言い分では自分を賭けもせず闘争をやり過ごしておいて、メディアの記事だけ寄せ集めて闘争史なんて書くバカの気がしれないというものだった。他人の戦いを…

〈いま幸福?〉〈否!〉〈諾!〉そんな会話はあるものではない。それはなぐさめといふものだらう。悲しみを知つてゐる精神だけがよくなぐさめといふことを知つてゐる。(〈夕ぐれと夜の言葉〉)

「幸せかい?幸せよ(^―^)」という会話はありえないと吉本は言っているわけです。幸せなんてなんだかわからない。悲しみならわかる。「幸せだなあ、ボクはキミといるときが一番幸せなんだ(BY加山雄三)」というような会話は理解不能だということです。こう…

一つの秩序は必然的に一つの思想的体系を要求する。秩序は支配する者にとつて一つの自然であるが、被支配者にとつては巧まれたる体系に外ならない。(秩序の構造)

現今の話題であるTTPという関税撤廃同盟の推進といったものは、世界秩序を支配するアメリカという世界覇権国にとっての政治的思想的体系の一環です。それはアメリカやアメリカに支配された日本の官僚組織や野田首相をかついだ民主党一派にとって一つの自…

人はしばしば模倣の上に乗つて、かの青春期を出発致します。そして何日か自分が見知らぬ地点で、視むきもされないで置き去りにされるのを発見するのです。そのときこそ、真にある物を理解するとは、その物を原点からはじめることであるのを知るでせう。敢くて彼は、独りして、貧弱な自分から出発し直すのです。僕にはそれが一九四九年中頃に始まりました。(原理の照明)

ここに書かれていることは吉本が敗戦という体験を経て、戦中に自分が形成した日本と世界の社会観を組み替えていかなくてはならないと感じた時に、もはや頼るべき思想がこの世界のどこかに用意されていると期待することはやめようと考えたということだと思い…

明瞭に言ひ得ることは人間の精神の作用が、その生理に全面的に依存してゐるといふことである。だがこれは少しも精神について解決であることを意味しない。(原理の照明)

それは全面的に依存している、といわなければいいんだと思います。あるいは生理から精神の作用が分離することに論理を与えるしかない。そしてそれはこのノートを書いた後の吉本が自らやりとげてみせていることです。「昨日の我に今日は勝つ」(BY 美空ひば…

社会とは不逞な僕から何もせしめることが出来ない代りに、僕になにもさせることをしないところだ。死すらも僕のために提供されてゐない。(〈夕ぐれと夜との言葉〉)

これは要するに死に場所がないという気持ちだと思います。時代劇でいくさで負けて浪人になったような男がよく口にする情念です。死に場所が欲しいのに良きいくさがない。だから浪人になって酒をくらいながら用心棒なんかをやっている。そんな時代劇に共感す…

且て死を選択することのなかつた幸せな人にお目にかかりたい。(〈少年と少女へのノート〉)

お目にかかりたかったら、そういう人はいくらでもいると思います。やっぱり幸せな人っていうのもいるんだと思います。それは死を選択するか死なんて考えないかということの分かれ道が人が生まれて育つどこかにあるということです。では理想的に生まれ、理想…

正系主義が支配と搾取とを、人種学的および神学的論拠を以て理論づけることは、どこでも同じである(オツペンハイマア)(エリアンの感想の断片)

これはオッペンハイマアという人の言葉ですが、オッペンハイマアがどういう人か私は知りません。ただ吉本がこの文章を引用したのはやはり天皇制の問題について重要なことを言っていると感じたからだろうと思います。正系主義とは祖先に崇敬するべき始祖がい…

もう夕暮だ。一日のうち風はしづまり、又吹き、ふたたびしづまらうとしてゐる。そして一日のうち曇り又晴れまがみえ、ひわ色の斜光が充ちてゐる。僕は誰よりも寂かにひそんでゐる。不安を凝固させようとして……。(〈少年と少女へのノート〉)

この吉本の抒情性のなかに登場するのは風と光です。これは「固有時との対話」という詩集にも特徴的な感性だと思います。風と光だけが自然感性としてあるいは抒情として吉本に許容されているのだと思います。あとのものは、すべて批判的な思考の対象と化して…

僕は決意したいと感じてゐる。若し現実がこのまま発展してゆくならば、僕らは、再び不幸な戦争の渦中に自らを見出すといふことになるだらう。人々は、傷つき易いように忘れやすい。僕は、執拗に且て自らを苦しめたからそれを再びしたくはないのだ。何人も殺し合ひを好むものではない。併し戦争を阻止するといふことは決して、単に殺し合ひを好まないといふ意志によつて行はれるものではない。若しそのやうに軽信するものがあるとすれば、それは歴史といふものに対する無知に外ならないのだ。戦争とは一つの指向性であつて、これを阻止するには、逆に

戦争は、殺し合いはイヤだ、平和が好きだという意思を持つ人が単にたくさんいれば避けられるか。そんなことはないと吉本は言っています。副島隆彦によれば戦争は国家のおこなう一種の公共事業であるということになります。戦争は軍事産業の大量の在庫を一掃…

これを為してどうするのかといふ問いが絶えず僕を追つてゐる。僕は、それに対して何も大切なことは答へられない。完全に答へられない。僕はすすんでこのノートを取ってゐるのではなく、無理にといつて良い程習慣的に行つてゐるにすぎないのだから。習性は僕を生きさせるという教義は、怠惰な僕がひとりでに得た唯一のたのみと言つてよいものだ。(断想Ⅲ)

習慣ということの意味を初期ノートの時期、吉本は執拗に考えています。なぜ毎日を送るのか、なぜこういうことを今日もやり明日もやるのか。はぎ取っていい理由をはぎ取っていくと、習慣と化しているからやっているだけだということしか残らない。その底には…

僕は沢山の書物の中から師を見付け出す。だがこの師は問ふただけのことについて応へてくれるだけだ。山彦のやうに。並外れた応へとしてくれることを期待することも出来ない。僕が並外れた問ひを用意してゐない限り。それからひとりでに教へてくれることもない。僕が憂ひに沈みきつてゐるとき。何故なら僕はそんな時、書物に向ふこともしないで大方は夜の街々を歩いてゐたから見慣れない家々の灯り。それは唯の灯りであつた。僕が様々の意味をつけようとしてもそれは唯の灯りであつた。結局地上に存在するすべてのものは僕のために存在するのではなか

これは吉本のなかの孤独さが作られていく道筋を自分で説明しているわけでしょう。書物の著者というものとの一体感から引きはがされて自分という個になっていくこと。町の灯りというような地域社会とか庶民の町の光景から引きはがされて個として分離されてい…

わたしたちは自らを完成させるために生きてゐるものではない。また社会変革の理想を遂げるためにでもない。人類といふ概念のあいまいさを思ひみるべきである。人類はない。自らの像がいつもある。自らに対する嫌悪と修正の意欲が、わたしを精神的に生かしてゐるのだと言つたら誤謬だらうか。(断想Ⅵ)

共同の幻想として流布されている自己完成とか社会変革とか人類というような概念に一体化できずに個としての自分を区別する思考作業が行われているのだと思います。実朝の歌を事実を叙する歌だと見た吉本は、かって「固有時との対話」という詩集を書いていま…

叙情とは存在の空孔に充たされる液態だ。どうしてそれが必要だらうか。我々が現実に密着すれば、この空孔はそのまま乾燥する。(下町)

叙情というのは感情とか感慨とか詠嘆というような(ああ!)というようなアレですね。それが現実に密着すれば必要なくなるかどうかは疑問です。ただ現実意識が欠如していることが叙情に転化されることが許せないという若き吉本の怒りがあるんだと思います。 …

正しく驚くべき泥濘の道がある。それは僕らの占有せられた現実だ。僕の精神は占有せられることを耻とする。限りなく倦まざらんがために。(原理の照明)

支配秩序と支配秩序に飼いならされた感性の秩序が占有せられた現実です。政治を支配し金融を支配し経済を支配し、テレビや新聞を通じて感性の秩序を飼いならす。そして私たちの内面も占有されていく。それは恥だと吉本は言っているわけです。生きることが限…

問い「(3・11、震災から5ヵ月が経って)原発事故によって、原発廃絶論が出ているが」吉本「原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬い物質を透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴なう。しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは人類をやめろ、というのと同じです。だから、危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み

福島原発事故が起こり、まだ生々しくその恐怖と被災地の人々の悲惨への思いが心を占めていて、その結果世界的に原発廃絶の論調が高まって実際にドイツのように全廃を決定する国家も生まれている、そういう現状で吉本は上記のように原発廃絶論を批判している…

問い「(吉本の『今度の震災の後は、何か暗くて、このまま沈没して無くなってしまうんではないか、という気がした。元気もないし、もうやりようがないよ、という人が黙々と歩いている感じです。東北の沿岸の被害や原子力発電所の事故の影響も合わせれば、打撃から回復するのは容易ではない』を受けて)、明るさは戻るか?」吉本「全体状況が暗くても、それと自分を分けて考えることも必要だ。僕も自分なりに満足できるものを書くとか、飼い猫に好かれるといった小さな満足感で、押し寄せる絶望感をやり過している。公の問題に押しつぶされず、それぞ

こうした考え方の正当性は、なにより今回の被災者の人々が体験されていることだと感じる。悲惨な状況から立ち上がるということは残された身近な世界を大切にするということなのだと思う。いつのまにか私たちは自分を含む人々の生活や社会を、それを上から管…

無限に下降しようとする精神は、形式的なもののうちに虚偽を見つけ出すだらう。即ち精神の停滞を拒否するだらう。(断想Ⅳ)

無限に下降しようとする精神というのはたぶん倫理的なことを掘り下げるということだと思います。形式的な倫理というもの、たとえば通俗的な道徳とか多数派的な社会観に同調して、そこで思考を止めてしまうのではなく、そこに納得できない虚偽を見つけ出して…

精神にとつて存在がひとつの終点である。(断層Ⅳ)

存在というのは自分自身がいまここにいるという自己の身体を自己が把握することだと思います。それだけは疑うことができないし、そこが揺れ動くとすればそこが深刻な精神の病の根底になる。それは後に心的現象論となる吉本の思想的な発想の始まりだと思いま…

法といふものが今日までのやうに、支配者の特権を無意識的に正当化するために存在するような時代が、永久に継続するものだらうか。無意識的であるが故に、支配者が慈悲者であらうと無かろうと関はりないことで、これが打開せられねばならないことは常に正しいことである。疎外せられてゐる人間性を矢鱈に導入して法の正当化を主張することは正しくない。(〈少年と少女へのノート〉)

疎外せられている人間性を矢鱈に導入して、というのは分かりにくい文章ですが、要は法というものは支配者の特権を無意識に正当化するものであるから、法の枠のなかだけで考えてもしかたがないからその支配構造自体を問題にしなければならないということだと…

経験を解析することは、現実を解析することと同義だ。誰もこれを汲み尽すことは出来ない。(原理の照明)

人を支配する方法というのはいつも自信を失わせることにあるんだと思います。自信を失わせたのちにわれらが支配に服することだけにおまえの自信を回復する道があると慈悲深く指し示す。それが支配の古くて新しい方法ではないでしょうか。支配したがる、仕切…

思考を表現するために技術が必要だ。技術なくして表現が成立つといふ一つの迷蒙。だれもその迷蒙を信じてゐるものはないだらうが、実行してゐるものは稀だ。(原理の照明)

思考を表現するものは音楽、絵画、演劇、学術論文などいろいろありますが、ここでは文章や詩の表現のことを指しているだろうと思います。言葉の表現には技術がいる。技術とは比喩とか韻律とか写実とかイメージとか構成とかさまざまな要素が考えられます。そ…

環境のなかに虫のやうに閉ぢこめられてゐる者が、徐々に動き出すときの形相を僕は正視しよう。そこにはあらゆる現代における思想の表象としての劇がある。(原理の照明)

こういう言葉を裏打ちするのは吉本の文芸批評家としての目利きさです。たとえば高橋源一郎が「さよならギャングたち」で登場した時の吉本の批評は、環境のなかに虫のように閉じ込められた者の蜘蛛の巣のような心的領域がどこにも還元されることを拒否して言…

若しすべてのもののうちひとつのものを愛するならば、我々はそのもののためにこそ生きるべきものである。(断想Ⅳ)

ここで言われているすべてのもののうちひとつのものというのは恋愛対象の異性と考えてもいいし、自分の子供と考えてもいいし、さまざまに当てはめることができると思います。しかし私たちが幼児であった時に、愛する対象としてすべてのもののうちひとつのも…

僕が薄明りのやうに訪れる希望の曙光に胸をおどらせるといふこと。これには思つたより重大な意味がある。(断想Ⅵ)

吉本もなんらかの理由で生涯のはじまりにNOを背負った人物です。それは幼児期、あるいは新生児期、あるいは胎児期にさかのぼって考えることができますが、それを明確に把握することはとても難しい。なぜなら母親が我が子に真正直にその時期の真実を語るこ…

生活すること、才能、思想、精神の構造、すべてに自信を喪つてゐる。(下町)

この文章はそのままの意味として受け取って、この文章と関係があるかどうか分かりませんが、自信を喪って落ち込む穴ぼこの世界について書いてみたいと思います。吉本は「悲劇の解説」という著書のなかで太宰治を論じています。吉本の描く太宰治は他者に対す…

僕は倫理性のない思想を尊重することが出来ない。(〈少年と少女へのノート〉)

倫理性というのは自分はどうするのかという自分の人生の選択を賭け、その選択の根拠を掘り下げるなかで姿を見せるものだと思います。それは自分という個が世界をどう受けとめるかという問いを含んでいる思想です。優れた思想にはそうした倫理性が込められて…