2011-01-01から1年間の記事一覧
これはいきなり読めば吉本さん突然何をゆっての?という感じだと思います。吉本は「エリアンの手記と詩」という長編詩を初期に書いています。この初期ノートの断片はその長編詩の設定をもとに書かれています。エリアンの長編詩は私小説みたいなもので、エリ…
昔々高校生のころに、好きになった女の子の家の外の路上でその子の部屋の灯りをじっと見ていたことがありました。今ならストーカーと呼ばれちゃう。でもアンタもあるでしょそんなコト。エロスなんて言葉はアチャラカの言葉でよくわかんないけど、寒い路上で…
この古臭い、そして女性に対するコンプレックスが露出している部分は吉本自身が公開するには恥ずかしいものだったと思います。「窓辺でピヤノを打つ少女(#^_^#) 私は吉本が育った月島の町を知ってるけど、あんなど下町にそんなお嬢様なんかいないっての。靴…
むかしむかしの60年安保闘争の後で、分厚い「安保闘争史」といった書物を書いた学者がいた。吉本の言い分では自分を賭けもせず闘争をやり過ごしておいて、メディアの記事だけ寄せ集めて闘争史なんて書くバカの気がしれないというものだった。他人の戦いを…
「幸せかい?幸せよ(^―^)」という会話はありえないと吉本は言っているわけです。幸せなんてなんだかわからない。悲しみならわかる。「幸せだなあ、ボクはキミといるときが一番幸せなんだ(BY加山雄三)」というような会話は理解不能だということです。こう…
現今の話題であるTTPという関税撤廃同盟の推進といったものは、世界秩序を支配するアメリカという世界覇権国にとっての政治的思想的体系の一環です。それはアメリカやアメリカに支配された日本の官僚組織や野田首相をかついだ民主党一派にとって一つの自…
ここに書かれていることは吉本が敗戦という体験を経て、戦中に自分が形成した日本と世界の社会観を組み替えていかなくてはならないと感じた時に、もはや頼るべき思想がこの世界のどこかに用意されていると期待することはやめようと考えたということだと思い…
それは全面的に依存している、といわなければいいんだと思います。あるいは生理から精神の作用が分離することに論理を与えるしかない。そしてそれはこのノートを書いた後の吉本が自らやりとげてみせていることです。「昨日の我に今日は勝つ」(BY 美空ひば…
これは要するに死に場所がないという気持ちだと思います。時代劇でいくさで負けて浪人になったような男がよく口にする情念です。死に場所が欲しいのに良きいくさがない。だから浪人になって酒をくらいながら用心棒なんかをやっている。そんな時代劇に共感す…
お目にかかりたかったら、そういう人はいくらでもいると思います。やっぱり幸せな人っていうのもいるんだと思います。それは死を選択するか死なんて考えないかということの分かれ道が人が生まれて育つどこかにあるということです。では理想的に生まれ、理想…
これはオッペンハイマアという人の言葉ですが、オッペンハイマアがどういう人か私は知りません。ただ吉本がこの文章を引用したのはやはり天皇制の問題について重要なことを言っていると感じたからだろうと思います。正系主義とは祖先に崇敬するべき始祖がい…
この吉本の抒情性のなかに登場するのは風と光です。これは「固有時との対話」という詩集にも特徴的な感性だと思います。風と光だけが自然感性としてあるいは抒情として吉本に許容されているのだと思います。あとのものは、すべて批判的な思考の対象と化して…
戦争は、殺し合いはイヤだ、平和が好きだという意思を持つ人が単にたくさんいれば避けられるか。そんなことはないと吉本は言っています。副島隆彦によれば戦争は国家のおこなう一種の公共事業であるということになります。戦争は軍事産業の大量の在庫を一掃…
習慣ということの意味を初期ノートの時期、吉本は執拗に考えています。なぜ毎日を送るのか、なぜこういうことを今日もやり明日もやるのか。はぎ取っていい理由をはぎ取っていくと、習慣と化しているからやっているだけだということしか残らない。その底には…
これは吉本のなかの孤独さが作られていく道筋を自分で説明しているわけでしょう。書物の著者というものとの一体感から引きはがされて自分という個になっていくこと。町の灯りというような地域社会とか庶民の町の光景から引きはがされて個として分離されてい…
共同の幻想として流布されている自己完成とか社会変革とか人類というような概念に一体化できずに個としての自分を区別する思考作業が行われているのだと思います。実朝の歌を事実を叙する歌だと見た吉本は、かって「固有時との対話」という詩集を書いていま…
叙情というのは感情とか感慨とか詠嘆というような(ああ!)というようなアレですね。それが現実に密着すれば必要なくなるかどうかは疑問です。ただ現実意識が欠如していることが叙情に転化されることが許せないという若き吉本の怒りがあるんだと思います。 …
支配秩序と支配秩序に飼いならされた感性の秩序が占有せられた現実です。政治を支配し金融を支配し経済を支配し、テレビや新聞を通じて感性の秩序を飼いならす。そして私たちの内面も占有されていく。それは恥だと吉本は言っているわけです。生きることが限…
福島原発事故が起こり、まだ生々しくその恐怖と被災地の人々の悲惨への思いが心を占めていて、その結果世界的に原発廃絶の論調が高まって実際にドイツのように全廃を決定する国家も生まれている、そういう現状で吉本は上記のように原発廃絶論を批判している…
こうした考え方の正当性は、なにより今回の被災者の人々が体験されていることだと感じる。悲惨な状況から立ち上がるということは残された身近な世界を大切にするということなのだと思う。いつのまにか私たちは自分を含む人々の生活や社会を、それを上から管…
無限に下降しようとする精神というのはたぶん倫理的なことを掘り下げるということだと思います。形式的な倫理というもの、たとえば通俗的な道徳とか多数派的な社会観に同調して、そこで思考を止めてしまうのではなく、そこに納得できない虚偽を見つけ出して…
存在というのは自分自身がいまここにいるという自己の身体を自己が把握することだと思います。それだけは疑うことができないし、そこが揺れ動くとすればそこが深刻な精神の病の根底になる。それは後に心的現象論となる吉本の思想的な発想の始まりだと思いま…
疎外せられている人間性を矢鱈に導入して、というのは分かりにくい文章ですが、要は法というものは支配者の特権を無意識に正当化するものであるから、法の枠のなかだけで考えてもしかたがないからその支配構造自体を問題にしなければならないということだと…
人を支配する方法というのはいつも自信を失わせることにあるんだと思います。自信を失わせたのちにわれらが支配に服することだけにおまえの自信を回復する道があると慈悲深く指し示す。それが支配の古くて新しい方法ではないでしょうか。支配したがる、仕切…
思考を表現するものは音楽、絵画、演劇、学術論文などいろいろありますが、ここでは文章や詩の表現のことを指しているだろうと思います。言葉の表現には技術がいる。技術とは比喩とか韻律とか写実とかイメージとか構成とかさまざまな要素が考えられます。そ…
こういう言葉を裏打ちするのは吉本の文芸批評家としての目利きさです。たとえば高橋源一郎が「さよならギャングたち」で登場した時の吉本の批評は、環境のなかに虫のように閉じ込められた者の蜘蛛の巣のような心的領域がどこにも還元されることを拒否して言…
ここで言われているすべてのもののうちひとつのものというのは恋愛対象の異性と考えてもいいし、自分の子供と考えてもいいし、さまざまに当てはめることができると思います。しかし私たちが幼児であった時に、愛する対象としてすべてのもののうちひとつのも…
吉本もなんらかの理由で生涯のはじまりにNOを背負った人物です。それは幼児期、あるいは新生児期、あるいは胎児期にさかのぼって考えることができますが、それを明確に把握することはとても難しい。なぜなら母親が我が子に真正直にその時期の真実を語るこ…
この文章はそのままの意味として受け取って、この文章と関係があるかどうか分かりませんが、自信を喪って落ち込む穴ぼこの世界について書いてみたいと思います。吉本は「悲劇の解説」という著書のなかで太宰治を論じています。吉本の描く太宰治は他者に対す…
倫理性というのは自分はどうするのかという自分の人生の選択を賭け、その選択の根拠を掘り下げるなかで姿を見せるものだと思います。それは自分という個が世界をどう受けとめるかという問いを含んでいる思想です。優れた思想にはそうした倫理性が込められて…