2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧

戦後世代の無軌道を批難して、もつともらしい渋面をつくつてゐる大人たち。君たちはあの無軌道が、仮令へ無意識な行為であつても、一つの自衛の本能(精神の破局に対する)から発してゐることを、よもや知らぬふりをすることは出来まい。何故、自衛せねばならないか。それは全ての思考と行為とが、ネガテイヴの内で行はれてゐるからだ。ポジテイヴを放棄したものにとつてすべてはネガテイヴだ。(風の章)

戦争に負けるまでは、日本人は軍国主義のもたらす情報やイデオロギーによってであれ、ポジティブではあったわけでしょう。社会に対して希望をもっていたわけです。この戦争に勝ちさえすれば、というような希望。みんなが社会を向いている、困難ではあっても…

不安とは、ああそれは僕にとつて何処か精神の一箇処に集まつてゐる血液の鬱積のやうだ。(風の章)

不安というのは、それ以上考えが進まない、考える材料がない、考えること自体が苦痛で避けている、考えくたびれているというような部分から発してくる危険の信号のようなものじゃないでしょうか。そこが問題なのはわかっている。でももう解決のめどがない、…

青春は例外なく不潔である。人は自らの悲しみを純化するに時間をかけねばならない。(原理の照明)

不潔というのはお風呂に入らないというようなことではなく、昔風の言い方ですが自分の内面を誇張したり美化したり劇化したりしがちだというようなことですね。青年がある経験をしてある感情、たとえば悲しみを抱いたとしても、それを表現するのに大げさに嘆…

放浪と凱歌。僕が青春の終末に言ふべきこと。(原理の照明)

吉本は「言語にとって美とはなにか」のあとがきで「試行」にこの論考を書き続けているあいあいだ、沈黙の言葉で「勝利だよ、勝利だよ」とつぶやき続けてきたと書いています。つまり思考と実生活の放浪の果てのそれが凱歌とも言えるでしょう。沈黙の凱歌だけ…